第46話

ir×gt
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2026/07/23 17:54 更新
夜更けだった。

 仕事を終えて帰宅した二人は、それぞれの時間を過ごしていた。

 理人は風呂へ入り、威尊はリビングのソファへ腰を下ろしている。テーブルの上には飲みかけの麦茶。テレビは点いているものの音量は小さく、流れている内容はほとんど頭に入ってこなかった。

 こういう時間は嫌いではない。

 同じ空間にいて、それぞれ別のことをしているだけの時間。

 無理に会話をしなくても安心できる時間。

 威尊は膝の上に置いたスマホを開き、何となくSNSを眺め始めた。

 動画を見て、写真を見て、流れてくる投稿をぼんやり追いかける。

 そして気付けば、ある投稿へ辿り着いていた。

『おすすめ創作小説まとめ』

 ファンが書いた作品を紹介しているアカウントらしい。

 威尊は少しだけ興味を惹かれた。

 どんな話を書いているのだろう。

 そんな軽い気持ちだった。

 だから深く考えずに開いてしまったのだ。

 最初の作品は理人と大夢だった。

 読み始めると意外と面白い。

 文章も上手いし、展開もしっかりしている。

 なるほど、と感心しながら最後まで読んだ。

 読み終えて次を開く。

 また理人と大夢だった。

 人気なんやな。

 そう思った。

 さらに次。

 また理人と大夢。

 次。

 理人と大夢。

 次。

 理人と大夢。

 威尊は無言になった。

 指先だけが画面を滑る。

 理人と大夢。

 理人と大夢。

 理人と大夢。

「……多ない?」

 静かな部屋に呟きが落ちた。

 もちろん二人が仲良しなのは知っている。

 大夢も優しいし面白い。

 威尊だって好きだ。

 だから人気なのは納得できる。

 できるのだが。

 ここまで続くと、何とも言えない気持ちになってくる。

 少しだけ。

 本当に少しだけ。

 面白くない。

 威尊は検索欄を開いた。

 理人。

 そして自分の名前。

 検索。

 表示された結果を見て、威尊は固まった。

「……え?」

 少ない。

 びっくりするくらい少ない。

 ないわけではない。

 だが圧倒的に少ない。

 さっきまで何十件も並んでいたものと比べると、明らかだった。

「なんでやねん……」

 思わず口から漏れる。

 別に競っているわけではない。

 作品の数で愛情を測るわけでもない。

 そもそも創作なのだから。

 そんなことは分かっている。

 それでも。

 胸の奥がちくりとした。

 まるで自分だけ選ばれなかったみたいな、幼い感情。

 威尊はソファへ深く沈み込んだ。

 スマホの光が顔を照らしている。

 理人とはよく一緒にいる。

 仕事もする。

 遊びにも行く。

 写真も撮る。

 ご飯だって行く。

 それなのに。

「俺ら人気ないんかな……」

 自分で言ってから情けなくなった。

 俺は何を気にしているのだろう。

 自分でも馬鹿らしいと思う。

 そもそも創作だ。誰が誰を書くかなんて自由だし、そこに正解も不正解もない。

 それなのに、検索結果に並ぶ作品数を見てからというもの、胸の奥に引っ掛かった小さな棘がどうしても抜けない。

 威尊は膝を抱えた。

 スマホを閉じようとして、また開く。

 閉じる。

 開く。

 そして結局また検索結果を見る。

「何してんねん俺……」

 ため息が漏れた。

 見れば見るほど落ち込むだけなのに。

 それでも視線が離れない。

 理人と大夢。

 理人と大夢。

 理人と大夢。

 もちろん仲が良い。

 それは本当にそうだ。

 だから嫌な気持ちになる資格なんてない。

 ないのに。

 どうしてだろう。

 理人の名前の隣に自分の名前が少ないだけで、こんなに寂しくなるなんて。

 威尊は額を膝へ押し付けた。

 少しだけ拗ねている自覚はあった。

 けれど認めるのも悔しい。

 そんな微妙な気分のまま数分が過ぎた時だった。

 浴室のドアが開く音がした。

 続いて聞こえる足音。

 理人だ。

 威尊は慌てて姿勢を正した。

 別に隠す必要はない。

 ないのだが、何となく見られたくなかった。

 理人なら絶対笑う。

 それが容易に想像できた。

 だからスマホを伏せようとした、その瞬間だった。

「何してんの?」

 声が近かった。

「うわっ!」

 思わず肩が跳ねる。

 振り返る間もなく、背後から腕が回ってきた。

 温かい。

 風呂上がりの理人はいつも体温が高い。

 首筋へ触れる濡れた髪が少しくすぐったかった。

「びっくりしすぎやろ」

 笑いを含んだ声が耳元に落ちる。

 理人は当然のように威尊の後ろへ座り、そのまま抱きついていた。

 もう慣れている。

 慣れているけれど。

 心臓には悪い。

「急に来るからやろ」

「急じゃないやん」

「急や」

「威尊が気付いてへんだけや」

 理人は楽しそうだった。

 腕の力が少し強くなる。

 逃がさないと言わんばかりに。

「何見てたん」

「別に」

「怪しい」

「怪しくない」

「見せて」

「嫌や」

「なんで」

「なんでも」

「絶対なんかあるやん」

 理人は遠慮がない。

 もともと好奇心旺盛な性格だ。

 一度気になったら絶対に引かない。

 威尊は知っている。

 だから諦めていた。

 どうせ見られる。

 その予感は見事に当たった。

 理人は少し身を乗り出しただけで、簡単に画面を覗き込んだ。

 そして。

「あ」

 短い声を漏らす。

 威尊は一気に恥ずかしくなった。

 理人は画面を見たまま黙っている。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 妙に長く感じた。

 やめてほしい。

 何か言ってほしい。

 いや、やっぱり言わないでほしい。

 そんなことを考えていると。

「ふっ」

 笑われた。

「理人」

「うん」

「笑うな」

「無理」

 即答だった。

 威尊は顔を覆いたくなった。

 絶対に馬鹿にされる。

 そう思った。

 しかし理人は予想外のことを言った。

「探してたん?」

「探してへん」

「俺とのやつ」

「探してへん」

「いや探してたやん」

「探してへんて」

「顔見たら分かる」

 理人はくすくす笑う。

 その笑い方が余計に腹立たしかった。

「そんな面白い?」

「めっちゃ面白い」

「最悪」

「威尊かわいい」

「かわいくない」

「かわいい」

「違う」

「かわいい」

 何度も言われる。

 理人は本当に楽しそうだった。

 しばらく笑っていたが、やがて画面へ視線を落としたまま、少しだけ穏やかな声で言った。

「でも」

「……」

「そんな気にするんやな」

 威尊は答えられなかった。

 本当は気にしたくなかった。

 大人げないと思う。

 馬鹿らしいとも思う。

 それでも少し寂しかったのだ。

 理人の隣にいる自分が、誰の目にも映っていないような気がして。

 そんなことあるはずないのに。

「別に」

 ようやく出た言葉は小さかった。

「別に気にしてへん」

「嘘」

「嘘ちゃう」

「嘘や」

 理人は即答する。

 そして威尊の肩へ額を預けた。

 濡れた髪が触れる。

 少し冷たい。

「威尊」

「なに」

「こっち向いて」

「嫌や」

「なんで」

「嫌やから」

「向いて」

「嫌」

「向いて」

 子供みたいなやり取りだった。

 結局負けたのは威尊だった。

 ゆっくり振り返る。

 目の前に理人がいた。

 距離が近い。

 近すぎる。

 風呂上がり特有の柔らかな匂いがする。

 理人はしばらく威尊の顔を見ていた。

 じっと。

 本当にじっと。

 見つめる。

「……なに」

「いや」

「なに」

「かわいいなと思って」

「もうええって」

「ほんまに」

「理人」

「うん」

「うるさい」

 そう言うと理人はまた笑った。

 そして今度は威尊の手を取る。

 指先が絡む。

 自然な動作だった。

 まるで昔からそうしてきたみたいに。

「でもさ」

 理人が言う。

 さっきより少し低い声だった。

「本当は」

 威尊は顔を上げる。

 理人は笑っていた。

 優しく。

 どこか満足そうに。

「おれらがこんなにラブラブしてるからなあ」

「……」

「現実は分からへんで?」

 一瞬。

 威尊はぽかんとした。

 何を言われたのか理解が追いつかなかった。

 数秒後。

「は?」

 ようやく声が出る。

 理人は真面目な顔をしていた。

 いや。

 真面目な顔をしているだけで、絶対面白がっている。

「ほんまやん」

「自分で言う?」

「言う」

「恥ずかしくないん」

「全然」

 理人は迷いなく言った。

 あまりにも堂々としていて、逆に何も言えなくなる。

「だって」

 理人は笑う。

「作品の中の俺は知らんけど」

 絡めた指先をきゅっと握る。

「現実の俺は威尊ばっか見てるし」

 威尊の胸が少しだけ鳴った。

「仕事中も」

 理人が続ける。

「威尊おるなって見るし」

「……」

「移動中も威尊探すし」

「……」

「ご飯食べてても威尊やし」

「……」

「休みの日も威尊やし」

「……」

「家帰っても威尊やし」

 理人はそこで少し笑った。

「むしろ威尊以外あんま見てへん」

 冗談みたいな口調だった。

 けれど。

 その目は驚くほど真っ直ぐだった。

 威尊は言葉を失う。

 たぶん理人は気付いていない。

 こういうことを平気で言う自分がどれだけずるいか。

 どれだけ反則か。

 きっと分かっていない。

 だから困るのだ。

 胸の奥にあった小さな寂しさが、ゆっくり溶けていく。

 馬鹿みたいやな、と威尊は思った。

 たった数分前まであんなに気にしていたのに。

 今はもうどうでもよくなっている。

 作品の数なんて。

 人気なんて。

 そんなものより。

 理人が今、自分を見て笑っていることの方がずっと大切だった。

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