アタシに母親はいない。いや、あの女を母親と認めたくないというのが正直な気持ちだ。あの女は男の子が欲しかったそうだが、実際は女の子としてアタシが産まれた。すると、あの女はアタシに対してまったく愛情を注がなかったという。この事は後から父ちゃんに聞いた。さらにはアタシの面倒を父ちゃんに押しつけ、自分は男の子欲しさによその子を拐おうと企んでいたのだ。そしてある日、あの女はまだ小さい人間の男の子を誘拐した。すぐにその男の子は解放されたのだが、その際にその子は大量の鼻血を流していたらしい。きっとあの女から暴力を振るわれたのだろう。その後、誘拐された子が王国の王子である事が判明し、問題が問題という事もあってあの女はそれ相応の処罰を受けた。一方のアタシは父ちゃんからたっぷり愛情を受けて育ち、今に至るという訳だ。
「カリン、今日も相変わらず綺麗だよ。また後で左の腋を堪能させてもらうからね」
「まったくぅ…、デクの変態♡」
今日は実家で父ちゃんと3人で談笑する予定だ。
「ただいまー」
「カリン、大変だ!レティシスがやって来た…!」
「えっ」
レティシスとはあの女の名前だ。どういうつもりでウチにやって来たのか。
「とりあえず帰るよう追い払ったが、まだ近くにいるかもしれん。第2王子様がせっかくお越しになられたのに…」
「いいえ、ボクの事はお気になさらず…」
「久しぶりだねぇ、カリン」
「…っ!」
その声に振り向くと、あの女の姿が。
「何しに来たのさ?このクズ女!」
「実の母親に向かってなんて口の利き方だい?どうやら立派には育たなかったみたいだねぇ」
「母親らしい事なんて何1つしてこなかったヤツが何言ってる訳?産まれた子が男の子じゃなかっただけであんな仕打ちないだろ!」
「カリンの言う通りだ!お前に母親を名乗る資格などない!さっさと出てけ!」
「あらあら、親子揃って冷たいねぇ。こっちは王子を拐った罪とかどうとかで大変だったんだからぁ」
「拐った…?え…?」
デクは何やらそう呟いた。
「…デク?」
「え、まさか…!」
「何?」
「実は小さい頃、獣人に誘拐された事があったんだ。ひょっとしてボクを拐った相手って…」
「デク…?へぇ、その王子みたいな彼、デクっていうんだねぇ。確か、前に似たような名前の子を拐った事があるような…。えっと、デクレッシェンドだったっけ?」
「…っ!」
なんとレティシスが誘拐した男の子とはデクの事だった。
「アンタ…!まだ小さかったデクを…!」
「そっかぁ。あの時の子が彼だったなんてねぇ。あんまりにもギャーギャーうるさかったからさぁ、ファーフラワーの茎を鼻の穴にブッ刺してやったのさ」
「なんて事を…!」
あの大量に鼻血を流していたというのはそういう事だったのか。
「なるほどな。それでボクの鼻は動物的な香りをかぐわしく感じるようになったのか」
そう言ってデクはアタシの左肩に手を添える。
「ある意味あなたには感謝すべきだな。おかげでカリンを心から愛する事ができた訳だから」
「デク…」
「フン、まさかそれでカリンの体臭を気に入ったって訳かい?どうせなら、私に惚れればよかったのに」
「申し訳ないが、あなたをそういう目で見るつもりはまったくない。自分の母親と同じぐらいの相手というのもあるが、単純にカリンとは似て非なる外見でまったくもって好みではないからな」
「ハッ!ひょっとしてその目はただの節穴?」
「ボクの事はいくらバカにしても構わない。だが、カリンを傷つける事は絶対に許さない!」
デクはレティシスをキッと睨みつける。
「そうかいそうかい!男はみんな私にメロメロかと思ってたけど、ここまで私をコケにした男は初めてだ!そんな男はこの猫の爪でブッ裂いてやるよ!」
レティシスはデクに向かって爪を振り翳してきた。
キンッ
デクは瞬時に護身用の剣で防御した。
「やめた方がいい。ボクは猫人間や他の獣人達を傷つけたくない」
「ハッ!私の心は傷ついたんだよ!いっその事その鼻の穴に爪をブッ刺してやろうか?」
「悪いが、もう鼻の穴に何かを刺されるのは勘弁だ」
デクがそう言うと、レティシスの右に回り込むように剣を操り、
バンッ
レティシスの首の後ろを剣の柄で勢いよく突いた。
「…っ」
レティシスはその場に倒れて気絶した。
「誰か!この者を頼めるか?」
デクが周りの獣人達を呼び、そのままレティシスは獣人達に連れられていった。
「第2王子様、ウチの元妻がとんだご迷惑を…」
「いいえ、謝らないでください。お義父様には感謝してもしきれませんから」
「そう言っていただけるのなら…」
「お義父様の愛情がなければ、ボクはこんな綺麗な彼女と出会えなかったのですから。お義父様の大事な大事な娘さんを一生かけて守ります!」
「ふふっ、これからもよろしくねー!」
その後、レティシスはデクに攻撃しようとした罪、その他諸々の罪もあって遠くの島に流される事になった。
「大変だったね、カリン。まぁケガがなくてよかったけど」
「デクの方こそケガするトコだったじゃん。アタシの心配の前に自分の心配しないとー」
「ボクにとって1番大事なのはカリンだよ。…左の腋をまた全開にして♡」
「ちょ、ヤダ♡」
相変わらずアタシの腋が好きなデク。いつものように鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
クンクン…クンクン…
「あぁ…、今日もかぐわしいアニマル臭…。カリンの腋の匂いなら、鼻の穴を突き刺されても構わない♡」
「何言ってんだよー、もう♡」
「濃い雌の香り…。はぁ…っ♡」
クンクン…クンクン…
デクの嗅覚はやはり人間の中でも変わっている。しかし、その嗅覚のおかげでアタシはこんなにも愛されている。きっかけはどうであれ、アタシの腋の匂いをかぐわしく感じてくれて嬉しい。
「ちょ、嗅ぎ過ぎ♡」
「いいだろう、もっともっと嗅ぎたいんだ…。だってこの世で最高のフレグランスなんだからさ♡」
スゥー…
「ん…っ、またそんな勢いよく吸い込んじゃって♡」
「あぁ…、腋…、腋…、腋…、腋…、腋…、腋ぃ♡」
そのまま甘い濃厚な時を過ごしていったのだった。
「…またカリンの腋に酔いしれて眠ってしまった」
「ふふっ、ホント幸せそうな寝顔で眠ってたねー」
「そうだったか。…カリンとこうして朝を迎えられるだけで幸せだな」
「まーた嬉しい事言っちゃってー。今日もメロメロにさせてやるからね♡」
アタシはいつもの袖のない黒いドレスを着てデクと共に廊下を歩く。すると、何やら側近達が小声で話をしているようだ。
「獣臭い…」
そう声が聞こえ、すぐにアタシの事だと思った。城の中で獣混じりの種族はアタシ1人だけだからだ。
「アタシってそんなにクサいかなぁ?まぁ純粋な人間からすれば、アタシは半分獣な訳だし…」
「気にする必要ないよ。ボクはむしろカリンが半分獣だからこそ好きなんだからさ。腋から漂う雌の香りも素敵な魅力だ」
「ふふっ、デクってば」
「キミは臭くなんかないよ。いい匂い、いい匂い♡」
デクは笑顔でアタシの左腕を優しく撫でてくれた。
「なんでそんなにアタシに優しい訳ー?」
「それはカリンが好きで好きでたまらないからさ♡」
「アタシの事好き過ぎだっての♡」
「好きでいる事の何がいけないんだ?ベタベタと濃厚に愛して離さないからね」
そこからアタシの閉じた左腋に手を入れ、ねっとりと撫でるようにその手を動かしてくる。
「やめ…っ、バカ♡」
「ほら、できるだけじっとするんだ。ツルツルの美腋を深ぁく濃ぉく愛撫して蕩けさせてやろう」
「いやん…っ」
さらにデクはアタシの耳元でこう囁きかけてくる。
「毛のない美腋…、黒肌美腋…、セクシー美腋…」
フゥッ
「…っ」
耳に息まで吹きかけてくるデク。ここまでくると、さすがに気持ち悪過ぎる。
「腋美人…、かぐわしい腋…、アニマル臭漂う腋…」
「ちょ、こんな廊下じゃ周りから見られるって…」
「構わないさ。ボク達の愛を周りに見せつけてやろう♡カリンがどれだけ必要な存在かを側近達に知らしめるんだ♡」
「ちょ、デクってば…」
「デクレッシェンド王子!」
そこへ春姫がやって来た。
「お義姉様…っ!」
「そこで何をしてるのです?廊下でそのような事…、はしたない!」
「いえ、その…。これはですね…」
「いいですか?あなたは王位を継がなくても第2王子という立派な存在なのです!私だったからまだよかったものの、国王陛下や他の者達に見られでもしたら、どうするつもりなのですか!」
「も、申し訳ございません…」
春姫の説教にデクは頭を下げる。
「夫婦仲が良好であるのはいい事ですが、今後は場所をわきまえてください。くれぐれも側近達に今のやりとりを見せつけようなどと考えないように!」
「はい…」
「それからカリンさん、少しお話があるので来てください」
「は、はい!」
春姫の呼び出しを受けたアタシはそのまま後をついて行く事に。アタシはアタシで別に怒られるのか…?
「…ではカリンさん、よろしいですか?」
「はい…」
アタシは春姫に怒られる覚悟を決めた。しかし、
「デクレッシェンド王子の幼少期、私も聞きました。あなたの匂いをかぐわしく感じるきっかけにそのような経緯が…」
「え、はい」
春姫はデクの嗅覚の事を口にしてきたのだ。
「あなたは本当に恵まれた方です。種族こそ違えど、あそこまで愛し愛される事などそう多くありません」
「…」
「ですが、時には夫婦間でぶつかり合う事もあるでしょう。もし王子にも言えない事があれば、私を頼ってください。あなたはもうれっきとしたソプラノ王国の姫なのですから」
「ありがとうございます!」
アタシは春姫の言葉に感激した。そして王国の姫である事を改めて自覚し、気を引き締めるのだった。
「…なんか真っ直ぐ芯が通ってる感じがするけど、何かあった?」
「別にー」
「まぁカリンはどんな感じでも素敵だけどね」
「デクも第2王子としてしっかりしなよ」
「はい…、精進します…」
「ふふっ、愛してる♡」
アタシはデクの右頬にキスした。
「はぁ…っ♡カリン…、ボクも愛してるよ♡」
デクは幸せたっぷりな表情を浮かべ、その場に倒れ込んでしまった。
「ちょ、しっかりしろって。アンタがアタシを守ってくれるんでしょーが」
「あぁ…、ボクはなんて幸せ者だろう…。カリン…、カリン…、カリン♡」
アタシの事になると、すぐにこうなってしまう彼。なんて浮かれやすい第2王子なのか…。
「ほら、デクってば。…誰か!彼をベッドまで運んでくれる?」
そうしてデクは側近達に支えられながらベッドへ。
「すまない。カリンの愛情溢れるキスに舞い上がってしまった…」
「まったくぅ…、すぐデレデレしちゃってさぁ…」
「やはりキミは魅力的過ぎる。どうしても愛さずにはいられない」
すると、デクはアタシの方に手を伸ばしてきた。
「カリン、もっと近くへ。それと、左の腋を開いて」
「ふふっ、また?」
アタシは言われた通りに彼の顔の前で左腋を開く。
「あぁ…、かぐわしいアニマル臭…」
スゥー…
「ちょ、すぐそうやって嗅いで…」
「いい匂い、いい匂い♡そのまま腋をボクの顔に押しつけてくれるかい…?」
「変態王子め♡」
そう言いながらも左腋をデクの顔に押しつける。
「んぁ…っ」
すると、デクは鼻を擦りつけるように顔を動かしてきた。
「じっとしてろっての♡腋の事になると、いつもこうなんだから…」
「カリンの腋…、腋…、腋…、腋…、腋…、腋ぃ♡」
アタシにはわからないが、きっと彼にとっては最高の世界なのだろう。幸せたっぷりな表情が直接見えなくても容易に想像できる。
「はぁ…っ、はぁ…っ」
荒い息遣いが左腋に感じる。もっと強く押しつけて窒息寸前までいこうかと一瞬思った。
「腋でこんなに力が抜けちゃってさぁ…、ホント腋に弱いんだから♡」
「んぁ…っ、獣臭の天国♡雌の強い香りが鼻の奥までずっと刺激し続ける…。もうこのまま離れられなくてもいい…。本当にキミの美腋で逝ってしまいたい♡」
左腋越しからのデクの本音。アタシは希望を叶えるように強い力で押しつけた。
「ん…、…っ、…」
しばらくしてデクは動かなくなった。きっと幸せに満ち溢れたまま旅立ったのだろう。デク、大好きだよ♡
END
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!