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第1話

knmc / 病(自傷表現有)
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2026/01/14 12:38 更新





*閲覧前に必ずあらすじを御一読ください*















気づいたら朝だった。


いつ寝たかなんて、当たり前に覚えていない。


床で寝た為か、体が冷えきっている上に体がギシギシと音を立てそうな程に軋み、節々が痛む。


寝違えたらしい首を擦りながらゆっくりと立ち上がると、二の腕に激しい痛みが走った。


「い”ッ、!」


痛みのある箇所へ目を向けると、来ているグレーのスウェットに多量の血が滲んでいる。


ゆっくりと袖を捲れば、とても人には見せられないようなそこそこ深い切り傷が何個も散らばっていた。


そこで、昨日の夜自分が何をしたのか全て理解する。


記憶がなくとも、何があったのかなんて、不自然な位怠い体と床に散乱した薬の空き瓶を見てしまえば嫌でもわかってしまうのだ。


挙句に血が付着して錆びた剃刀付きともなればそれは容易である。


昨日に比べれば何倍もマシではあるが、まだ薬は完全には抜けきっていないようで意識は朧気。


慣れた手つきで傷の手当をしつつ、今日も学校があるのにどうしよう、とぼんやりとした脳で考えた。


が、最早ガラクタ化してしまった脳は剃刀に付着した血のように錆び付いてしまったようで、答えなんて出るはずもなく。


「…いつまで続くかな」


希死念慮のない人生というのは、どんなに眩しいものなのだろうか。










何時からだろう。


この行為が日常となってしまったのは。


危機感を覚えなくなったのは。


ある日から、言語化も出来ないようなぼんやりとした辛 さと死にたいという気持ちが心に付きまとうようになった。


少し失敗しただけで自分の全てを否定された気になり、何回も消えたいと願った。



今まで人生を誰よりも謳歌してきた自分にとってこれは耐え難いことであって。


最初は、興味本位だった。


ただTwitterで少し目にした事があって、これでこの説明しようのない抑うつ感が少しでも払拭出来るのなら、と軽い気持ちで手を出したのが始まりだ。


それが間違いだったのかもしれない。


上手く回らない思考と共に世界が心地良く歪んでいく様が、腕にひいた線から溢れ出る血液が、自分をこの憂鬱から救い出してくれた。


でも、それは一瞬の快楽に過ぎない。


もう一度だけ、もう一度だけを繰り返して約半年。


腕は見るに堪えない惨状で、どれだけ暑くても袖のある服を着るようになった。


薬も安いものではなくて、薬を買う為だけに友人からの遊びの誘いを断る事さえあった。


それ程までに、この行為は今の自分にとって魅力的だったのだ。


退屈な日常に薬を飲んで腕を切っている時だけ彩が現れる。


引き返すには、もう遅すぎる。









適当に腕と手に包帯を巻き、散らかった部屋を片付ける。


前まではこんな朝を迎える度に自己嫌悪に陥っていたというのに、今はもうそんな感情すら抱くことは無くなった。


これが今の僕のいつも通り、何も間違ってなんかいない。


ふと、ベッドに投げたスマホが光り、1件の通知が目に入った。


『もちさん今日は収録遅れんなよ〜笑』


あぁそうだ、今日はろふまおの収録もあったのか。


"今日は"と言うのは1度僕が薬をのみ、半ば気絶するように眠って収録をすっぽ抜かした事に起源する。


薬を飲み始めてからと言うもの、注意力やらなんやらが散漫になっているのか何かを忘れたりする事が増えた。


きちんと聞いていたはずなのに、少しすれば全てなかった事のように頭から抜け落ちてしまうのである。


今日の収録もふわっちの連絡がなかったら危なかったであろう。


大抵の場合は携帯のスケジュールに予定を打ち込んでおけば忘れることはないのだからさほど問題では無い。


そんな事より、いつもの僕を保つ方が何倍も重要だろう。







さっとシャツに腕を通し、身支度を整える。


包帯から血が滲んでいたのが見えたが、面倒くさいので見なかった事としようと思う。


どうせ、僕をそんなに注意深く見つめる人物なんて居ないのだから。


ある程度の準備を済ませ、リビングへ降りると静寂が広がっていた。


今日は両親も兄も外に用事があるだなんて言っていたなと薄れた記憶を思い返しながら机におかれた小さなメモに手をかける。


『刀也へ
今日は皆帰りが遅くなるみたいです。朝ごはんと夕ご飯は冷蔵庫に、お弁当は机に置いておくから食べてね。気をつけて行ってらっしゃい!』


どうやら母が気を使ってわざわざ置き手紙をしてくれたようだった。


手紙の横には美しく包まれたお弁当付き。


ふと、朝ごはんがまだだったなんて事を思い出して冷蔵庫を開けてみると朝食用であろうサンドウィッチと夕食用のカレーが入っていた。


何も考えずラップに包まれたサンドウィッチを手に取り、口に運ぶ。


口いっぱいに広がり、喉を通過していくハムの風味と引き換えに吐き気が喉を伝ってくるのを感じた。


急いでお手洗いの戸を開き、縋り付くように便器に全てを戻す。


「う"っ…げほ、ぅ…」


消化しきれていない原型を保ったままのサンドウィッチ。


胃酸のおかげか、喉がじくじくと痛むのを感じる。


食べることすら許されないだなんて皮肉なものだろう。


母に申し訳ないななんて考えながら口元を拭い、時計を見ると秒針はもう出るはずだった時刻を指していた。


「やばっ、」


優等生たるもの、遅刻は許されない。


母が作ってくれた弁当を鞄に入れ、藤の描かれた竹刀入れを手に取る。


ローファーを履いてから、玄関に置いてある大きな姿見でもう一度身支度をチェックする。


大丈夫、今日もいつも通りの僕。


「…いってきます」


当然返事は帰ってこない。





また、1日が始まってしまった。








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