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第1話

授かえない体
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2022/03/06 13:54 更新
 恋愛小説に出てくるような気恥しい告白だった。告白をされている事に理解が遅れたが、その言葉の意味を全て把握できた時にはあまりにも幸せな感情が芽生えた。堪らなく愛おしくて、堪らなく嬉しくて、涙が込み上げてくる幸福を人生で体験できるなんて自分はどれほどの幸せ者なのだろう。と、テヒョンはジョングクに抱き着いてそんな瞬間を噛み締めた。どれだけ他者に馬鹿にされても、テヒョンはジョングクが傍に居てくれるのなら何もかもが幸せになると誓った。夢のような幸せすぎる現実。こんな事になるなんて思いもしなかった僥倖。最高な時間に胸がいっぱいになる中、ジョングクとテヒョンは笑顔で唇を重ねる。絡み合う視線はしっかりと互いを捉えて、瞳の奥には素敵な笑顔が鮮明に映っていた。
 ジョングギに身体を割り引かれる度、あの頃の自分は幸福感で満ちていた。「あぁ、早く彼の子供が欲しい」と切に願い「Ωである俺には子宮があるからジョングギの子供が出来る日だって近いだろう」と、浮かれていた。だがそんな日は来なかった。ジョングギと初めて夜を明かしてからもうどれだけの月日と時間が経っただろう。ちゃんと発情期中にするようにしていたし何度も試みたのに、それでも望んでいたものは授かれなかった。 また身体を重ねる度、不安と不甲斐なさでジョングギを感じなければならないのだろうか。こんなにも苦渋な日々を過ごすことになるなんて、昔の自分は想像していなかっただろう。
ジョングク
ジョングク
大丈夫だよテヒョンア、焦ることはないから。ね?
 またホットミルクを独りで堪能していたテヒョンを、ジョングクは優しく抱き締めた。絵の具をサラッとキャンパスに乗せたようなテヒョンの背中。テヒョンを包み込むジョングクの温もりは、幸せだとちゃんと直結させてくれる。だが焦りという奔流が日に日にテヒョンの脳を支配していっているのも、残念ながら事実だった。
──大丈夫、きっと授かえる。
──もうこのまま一生彼と育む事は出来ないだろう。
雑念だらけの霧で唯一その二つがぐいぐいと鬩ぎ合う。ジョングクの番になったテヒョンはΩで、ジョングクはα。この意味が指している答えはたった一つしかない。テヒョンはジョングクに捨てられてしまっては、やり直す事も立て直すことも出来ない、まさに蟻地獄のような発情期に耐えながら死を迎えるだけということだった。
テヒョン
テヒョン
ジョングガ、好き。大好きだからね……
ジョングク
ジョングク
うん、俺もすきだよ
だが暗示をかけるような愛の告白は、冷酷なものへと変わっていってしまった。

 それからテヒョンは病人のように憔悴していき、段々と細身になっていった。
テヒョン
テヒョン
あっ、ふぁ、ん……っ
授かれない苛つきと、ジョングクへいつ見捨てられるかの恐怖。時間の問題だと言わんばかりにふたりの距離は遠のいていき、幸せだったはずの一夜も、もはや愛を確かめる行為とは真逆でただ受精をするだけの医療行為と化していた。
テヒョン
テヒョン
んぁっ……
この時テヒョンはふと悟った。「ああ、もうその時なのかな」と。そこまでに至った理由は、いつまで経っても待ち望む症状が現れないからとジョングクの冷え切った視線だ。授かるというものに縋り付いているせいで、ふたりは抱き合う中で「愛してる」とも言わなくなった。Ωは一度番になってしまえばもう他の者と性交はできない。でもαは違う。絶対的権力を持っているαは、複数にΩと番になれることができる。ということは、今ここでテヒョンが孕めなくとも、ジョングクの子供は他のΩが産んでしまうかもしれないのだ。もう自分が愛されている自信もなく、テヒョンにとっては「子供を産む」ことがジョングクの傍に居られる唯一の理由だと妄信的になっていた。だがもう何度だろうか。この瞬間を噛み締めて腔内で種となるものが意味もなく放たれるのは、もう何度だろう。
ジョングク
ジョングク
テヒョンア
もう一年前とは確実に違う。貶すような、まるで欠陥品を見るようなその目に熱はない。
——あぁ、そんな目で見ないで。俺は、ただ、ただお前ともっと幸せになりたいだけなのに。
子供が欲しい。彼ともっと幸せでありたい。この二つの願いを同時に受け入れてくれることは不可能なのだろうか。神は子供を産んで、幸せな家庭を築くことを許してくれないのだろうか。ただテヒョンを見下ろすジョングクを見つめて、そんな無意味なことを考えてみた。これでまだ自分を肯定するような理由があったら楽だったのかもしれない。でも神は無慈悲だ。否定する余地も与えてくれず、すぐにテヒョンへ答えを出させてしまった。
──あぁ、俺が授かえない体だから悪いんだ。

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