その話が好きだったから、と、目の前の子供が笑った。
さくら。
見たことはある。寂れたこの場所にはもう存在しない。
桃色の。
目を閉じ、記憶の中からその花を引っ張り出す。
隣で上がった声に目を開くと、青空には無数の花びらが舞い踊っていた。
子供が不安そうにこちらの顔を覗き込んでくる。
なぜそんな表情を浮かべるのか、理解できない。
許可したのだから堂々としていればいいのだと、言ったところで無意味だろう。
人間は神を崇めつつ、同時に恐れているのだから。
昔は近くに村があったため、信仰する人間が少なからずいた。
が、時間の経過とともに村は廃れ、人は居なくなり、ならばちょうどいいと、残された力でこの森を隠した。
はずなのに、彼はこの場所へとやってきた。
……死にたいと、そう願いながら。
子供が指差す方向には大きな木があり、濃くも淡くも赤い布が数えきれないほど結ばれている。
いつの頃からか、人間があの赤に願いを込め、その辺に吊るしてしまうようになったのだ。
彼に視線を戻すと、持ってきていた鞄の中を漁って小さくため息をついた。
再び鞄の中に手を入れ、やがて彼は小さなきんちゃく袋を取り出した。
示された箇所を見ると、着物の裾がいつの間にか破れていた。
…そういえば、隼人がそんなことを言っていたような気がする。ような。
こちらの返答も聞かず、彼は手慣れた様子で着物に針を通していく。
やがて出来上がったのは、幼い子供が書いた文字のように、お世辞にも綺麗とは言い難い縫い目だった。
子供の手を取り、目を閉じる。
一呼吸おいて目を開けると、彼の手には真っ赤な林檎飴が握られていた。
これを喰えばお前の願いが叶う。あとは好きにしろ
子供は戸惑ったように、林檎飴に目を向ける。
何を迷っているのか分からないが、彼はその実を口にしようとはしなかった。
子供の目に、林檎飴の赤が映る。
映った赤が揺れたのは、零れそうな涙のせいだ。
その感情がどんなものか、想像もつかない。
だが、静かに泣いている子供の姿を見ていることしかできないのは、もどかしかった。
……こんな時、どうしてらいいのか分からない。
分かっていたかもしれない。過去は。けれど今は。
涙を拭うこともせず、彼は林檎へとかじりつく。
たった一口を飲み込んだだけだったが、この子供には十分だったようだ。
望んだ眠りに抗うよう、ゆっくり瞬きを繰り返す。
体を横たえ、かすれた声が何度も"あきら"と名を呼んだ。
無意識に、彼の髪へと手を伸ばす。
子供をあやすように頭をなでると、彼は安心したように目を閉じた。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!