生得領域の底は、光の一切を拒絶した澱(おり)のような場所だった。
交流会で花御の根に貫かれ、血を流しながら沈んだあの日から、俺の中の時間は止まっている。
影が形作った「母」の残像が、暗闇の中でこちらを見ている。
かつて俺の頬を腫らし、最後には八億の金と引き換えに俺を捨てた女。
その口が、音もなく動く。
『お前が甚爾さんに似ているのが悪いのよ』。
そう。
俺は限りなく、甚爾に似ている。
成長した今は、特に。
ス、と指を伸ばす。
触れた途端、母の形をした影が泥のように崩れ、俺の右腕に吸い込まれていった。
悲しくもなかった。
ただ、ずっと胸の奥に刺さっていた棘が、腐って落ちたような感覚。
…“僕”を愛してくれた人を殺した禪院家が憎い。
“僕”を殺した人も、憎い。
でも、、感情を一つ捨てた。
途端に、呪力の巡りが異常なまでに滑らかになる。
影が身体に馴染む。皮膚と影の境界線が曖昧になり、自分の心臓が刻む鼓動が、生得領域全体の脈動と同化していく。
俺は、俺であることを辞める。
誰かに愛されたかった「禪院あなた」はここに置いていく。
残るのは、ただ一つ。
脳裏に浮かぶのは、自分と同じ術式を操り、誰よりも優しく、そして危うい義弟の姿。
あいつは正しい。だから、傷ついてはいけない。
あいつの代わりに泥を被る役は、
最初から壊れている俺がやればいい。
そのために生まれてきたんだから
自分に言い聞かせる言葉が、影に溶けて反響する。
愛を捨て、心を空っぽにした器に、
ドロリとした「守護」という名の呪いが満ちていく。
影の表面が波打った。
外の世界では、恵たちが戦っている。血を流している。
俺は一歩、底なしの闇から踏み出した。
その声はもう、人間のものとは思えないほど、
低く、静かに、影の底へ沈んでいった。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。