第74話

054 本編番外編¦前に進もうと彼は¦
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2026/07/21 01:00 更新















あなたの下の名前が消えたリビングは、驚くほど静かだった。


さっきまで同じ空気の中で笑っていた気配が、
跡形もなくなってしまったように感じる。


けれど───


胸の奥には、確かに“温度”が残っていた。


涙が落ちた頬も、腕の中の空しさも、
どれだけ濡れているようでいて、どこか温かかった。


まるで身体のどこか深い場所に、
あなたの下の名前がそっと灯りを置いていったようだった。










ハヤトはゆっくりと立ち上がる。

あなたの下の名前が最後に立っていた場所へ、無意識のうちに歩み寄る。


床に落ちた光がひとつ、きらりと揺れた。


それは残された涙なのか、ただの陽の反射なのか、ハヤトには分からなかった。










手を伸ばす。


そこには何もない。


けれど、指先がかすかに震えた。






ほんの少し── 本当に少しだけ、
温度の名残が触れたような気がした。


深く息を吸い込む。


 
胸の奥に痛みが走る。


でも、その痛みすら、どこか愛おしい。


失った苦しさではなく、
触れられた奇跡の痛みだった。


ハヤトはそっと目を閉じた。


あなたの下の名前が笑っていた顔、泣きそうな顔、照れた顔。


どれも輪郭が色濃く浮かび上がる。









 「未来に幸せがありますように」










最後に聞いた声が、耳の奥で柔らかく響いた。


あなたの下の名前が残した祈りのような言葉が、
喉の奥でゆっくりと溶けていく。


ハヤトは窓を開けた。


淡い夏の風が部屋に入り込む。


カーテンが静かに揺れる。


その揺れに、あなたの下の名前の影がふと重なって見えた。


もう戻ってはこない。


でも、それでいいのだと思えた。


大事なものは、消えてしまったんじゃない。


理解し合ったまま、確かに未来へ送り出されたのだ。


そんな気がした。










風が頬を撫でていく。


その瞬間、またあの温度が──


ほんの一瞬だけ蘇った。


ハヤトは小さく微笑む。









ハヤト
 ……行ってくるよ、あなたの下の名前 











その言葉は、祈りではなく、もう決意だった。


振り返らず、でも忘れずに生きていくための、一歩目。


静かに閉じた目の裏には、
あなたの下の名前が最後に見せた笑顔が、やわらかく揺れていた。
















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