バイスロでヒカルが裏切ったら…のifです
苦手な方は自衛お願いします…
「ごめん…ライオン。」
ヒカルのいつもの明るい声が、浅い息とともに少し霞んで響いた。
「え」
ガシャン。ウィーン。
ポトッ。
マリア、いや、マリアのぬいぐるみが、穴に落とされた。
「ゲームクリア!デミ!」
ぱっぱらぱーと安っぽい効果音が大音量で鳴り響き、園児たちは思わず耳を塞ぐ。
しかし、1人それには動じず、震える手を必死で握りしめる園児がいた。彼女はガラスに両手をつき、わなわなと唇を震わせていた。
ライオンだった。
「ヒカルさん、何を、…何てことを」
「ごめん」
「引き分けにして、どちらも助けようって、言ったじゃないですか」
「…ごめん」
「あなたは…ヒカルさんは!ライムさんを…っ!」
「ごめん!」
ヒカルがひときわ大きな声で叫ぶ。
そのまま、スカートを小さな手で強く握ったまま、ヒカルは崩れ落ちた。
その顔は、汗と涙でぐちゃぐちゃだった。
「ひーちゃん」
ふいに、聞きなれたあの歌うような甘い声がした。振り向くと、そこにはマリアの姿があった。
「駄目だよー。そりゃあマリアだって不安だったけど…」
「だって…マリアが、いなくなっちゃうかもしれないって思ったら、やっぱり、怖くてっ…」
「…ひーちゃん、……ごめんね」
「…うわぁぁん、マリアぁっ、ごめん、ごめんなさいっっ」
マリアが、ヒカルの肩をそっと抱くのが見えた。でも、ライオンはそんな様子には目もくれず、いまだガラスの中を見つめていた。
「ライムさんっ、ライムさん」
「おねえ…たまっ」
「大丈夫ですか、絶対に助けますから、どうか…」
「そっちの子は、もうゲームオーバーデミ」
「待ってください、もう少し時間をっ」
「ゲームオーバー、デミ」
後ろから、カエルタマゴの顔が描かれたアームが迫ってくるのが見える。丸まった爪の先が、しっかりと照準を合わせて止まる。
「おねえたまっ、出してくださいっ」
「ライムさんっ…!」
ライオンは、ガラスに手を強く添えて、顔をしかめる。頭の中は意味の無い思考でいっぱいだった。最後の抵抗でもするように、左手をきゅっと握ってガラスを叩く。
「おねえたま…!あたち、帰りたいですっ…」
「ライムさん!」
必死に呼びかけるライオンの顔が、ガラスに反射して揺れる。
アームが下がってくる。ぬいぐるみの顔の上に、角張った影が落ちる。そしてその腕が開く。
あまりに機械的であまりに正確。前まで操作していたアームとは大違いの強度で、一切の揺れもなくライムは持ち上げられる。
そして、そのアームは横へとまっすぐに滑っていく。
「あたち…もっと…おねえたまとっ…!」
「ライムさん…!ライムさぁぁん!」
「おねえ…たまぁっ」
腕が、再び開く。
グシャッ。
無慈悲な音が、静かに落とし口の下で響いた。
「ライムさんっっっ!!ライムさんっ、ライムさんっ」
もう、返事はなかった。落とし口から微かに覗く液体が、だらだらと気味悪く垂れているだけだった。
「あ、ああぁっ…」
額をガラスに当てたまま、ライオンはゆっくりと崩れた。
「ライオン…」
ヒカルの声が、狭いアトラクション内にこだましていた。
「そんなつもりじゃ……ちょっと、リードさせようと、した、だけだったの…」
「ライオン、辛いとは思うけど、一旦落ち着いて……っ」
「そう…ですね」
すっくと、先程までの乱れが嘘のように、いとも簡単に、ライオンは立ち上がった。
そのまま、ゆっくりとヒカルとマリアの方に、足を進める。
「大丈夫…別に、怒っていません。マリアさんを大事にしたかったヒカルさんの気持ちも、よく分かります」
優しく透き通った、いつも通りの声だった。でも、ヒカルが涙を止めて顔を白くし、マリアが顔をしかめてヒカルの肩を抱く手に力を入れたのは、ライオンのその手が背後の木刀に伸びていて、…かつ、その丸く優しげな目に、一片の光も宿っていなかったからだろう。
「…大丈夫です。大丈夫なんです…許せるんです、許せ、ますから」
瞬間、ライオンが木刀を振り上げた。
薄く微笑んでいた口元が、きつく歪む。
「…なんてっ」
その木刀が、2人に向かい、振り下ろされる。
「そんな訳ないじゃないですかっ!!」
「……はぁっ、はっ、はぁっ…」
間一髪で避けたヒカルの頬から、ぽたぽたと汗が垂れる。
「大切なものを奪われて!そんな、自分たちのためだけに!」
いつもの数倍ほどに大きく開かれた口から、真っ白の綺麗に並んだ歯が覗く。
黒く塗りつぶされたような瞳からは、涙こそ流れていなかったが、恐ろしいほどの憎悪と悲しみが溢れ出ていた。
そのまま、ぐるりと背後を見渡す。あまりの気迫にすくむ園児と岡田が、そこにはいた。
「そこで見ているあなたたちも!止めようとするならば、容赦はしません」
それだけ言ってきっときつく睨みつけたあと、ライオンは再びヒカルたちに向き直った。
「私の…大切な、妹を!ただ1人の味方を!返せっ……返してくださいっ!!」
再び、木刀が振り上げられる。黄色い着物の袖から露出した腕は確かに子どものそれであった。だが、そこから溢れ出る力量と感情は、完全に大人を超えていた。
「きゃあああっ」
「…っ!」
ヒカルとマリアが身構えた、その時。
「やめとけ」
少し低い、掠れた声。
ライオンの握る木刀が、何者かによって握られていた。
「…ハヤテさん。なぜ」
褐色の肌に、銀色のくせ毛、黒い帽子とマスク。
確かにハヤテであった。
「呼ばれたんだよ、こいつに」
その後ろでは、ダイヤがはあはあと息を切らして倒れ込んでいた。
その様子を一瞬視界に入れると、すぐにライオンはハヤテに向き直った。
「やめてください。手を離してください…ハヤテさんは、1人で脱出するのでしょう。こんなところで自ら足止めを食らうつもりですか」
「…もっともだな」
「それならなぜ、私の邪魔をするのですかっ!」
「そのままじゃ、絶対、後で後悔するからだ」
「そんなこと、知りません!"後で"なんて……」
ライオンは、木刀から手を離してハヤテの方を向く。
「私は…"今"、大事な人を失ったんです!」
髪からライムの花の簪を抜いた。団子が崩れ、艶やかな長い髪が小さな背中を隠すように広がる。
そして、その簪の鋭い先をハヤテに向けて振り上げた。
脅しのつもりだったのだろう。しかし、ハヤテは動じなかった。ただ、木刀を握り、1歩も動かず待っていた。
だが、ライオンの腕に込められた熱と力は留まることを知らず、そのまま腕が振り下ろされる。
「……ッ」
ハヤテの目が、一瞬、見開かれた。
ライオンの手に握られたままの簪の先が、生々しい赤に染まっていた。
見ると、ハヤテの頬には斜めに傷がつき、痛々しげに血が溢れていた。
「おめーな…痛てーよ」
「はっ…はあ…っ」
ライオンは、荒い呼吸を繰り返す。しかし、その内に、ゆっくりと目が潤んでいった。
「はぁっ…はあ…はあっ」
透明に澄んだ涙の粒が、すーっと頬を伝っていく。次々と溢れる涙に洗い流されるように、目に光が戻ってくる。
「はっ…はぁ…っ、はっ……わ、私…私…っ!!」
簪を握る手から力が抜け、地面に向かって落ちていった。ついさっきハヤテを傷付けたばかりの先端は、硬い床をかつんと引っ掻いて滑った。
「ごめんなさ……っ、わた、私っ、そんなっ」
それにつられるように、ライオンも膝から崩れ落ちる。丸い瞳が、行き場を失ったようにきょろきょろと逃げ惑う。
「ライオン」
「ハヤテ……さん……」
ハヤテが、ライオンに目線を合わせるようにしゃがんだ。やっと標的を見つけた瞳が、真っ直ぐにその顔を見つめた。
そして、その頬に、慈しむように、手を伸ばす。
「あっ……傷がっ、私のっ、せいでっ……!!」
「もういい」
しかし、ハヤテはその手を止めた。反対の手で握っていた木刀が、がたんと音を立てて倒れる。
「もう……無理すんな」
「……ハヤテさん」
ふっと力が抜けたように、きつく締まっていたライオンの口元が緩んだ。
ハヤテの手をそっと払うと、零れ落ちる涙を拭いながら、すっと立ち上がった。
「ライオン……!」
「……本当に、ごめんなさい。取り乱してしまいましたね…っ、あとで、手当てしてもらってくださいね」
そして、床に転がる簪と木刀を拾った。
簪の先についた血を、指の先で拭う。簪は懐に、木刀は背中にしまうと、くるりとハヤテに背を向けて立ち上がる。
そして、髪を両手ですくい上げ、くるくると慣れた手つきでひとまとめにし、最後に懐から出した簪をそっと根元に刺した。
ここに来たばかりのときの、一片の乱れもない、姿だった。
「私はもう、ここには居れません。大切な人を守れなかった私に、ここで生き延びる価値などありません。……無理すんな、なんて……できる訳ないじゃないですか」
袴の裾をふわりと揺らしてこちらを振り向くと、口角をほんの少しだけ上げて、言った。
「私は……無理しなければ、生きていけない。そんな人間なのです」
そして、再び前を向いて、出口に向かって真っ直ぐに歩いていった。その足取りには少しの戸惑いも葛藤もなく、ただすたすたと、どこか遠いところへと自らを導いているようだった。
「……ぁっ、ライオンっっ」
我に返ったように岡田が立ち上がり、出口に走っていくが、そこにはもうライオンの姿はなかった。
「ううっ、うわぁんっ……」
誰かの嗚咽だけが、アトラクションの中に響いていた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!