第4話

寺本辻の色彩
10
2025/12/07 09:36 更新
あの絵画は、聖母マリアが十字架から降りた直後にイエス・キリストの亡くなった体を保持している姿を描いたのだそうです。ピエタとして言及されることが繰り返し行われているのだとか
 ミルクティーとパンケーキを頼み店内の涼しい空気でクールダウンしたあと、辻先輩はそんなことを聞かせてくれた。普段ならあまり興味がなく適当に聞き流すであろう内容なのだが、今日の采音はなぜなのか聞いておきたいと思ってしまう。
采音
先輩はその、ぶぐろーが好きなんだ
 彼女の眉毛がヒクリと動いたのがわかる。その後しばらくの沈黙が続いたあと、唐突に言葉が紡がれた。
好きですよ。けれど、綺麗すぎて受け入れられない時期もありました
 綺麗すぎて受け入れられない。その言葉に采音は首をかしげる。綺麗なものは全般に受けるだろう。それに、綺麗だという好評価を下しているというのに何が気に入らないというのだ。
采音
綺麗なのに受け入れられないって表現、難しくてちょっとわかんない
 采音の正直な意見に彼女は肩を竦める。そして何やら考え込み始めた。
 顎に手を当て、うーんと小さく唸る。あまりに悩みすぎているせいか、眉間の間に小さなシワがよってしまっていた。
 そんなことをしているうちに店員によってミルクティーがとどけられる。礼の言葉を口にしながらもなお悩み続ける辻先輩に采音はなんだか申し訳なくなってきた。真逆、この小さな疑問でここまで悩ませてしまうとは思ってもみなかった。
 ミルクティーの甘さに舌鼓を打ちつつ、そろそろ辻先輩を止めようかどうしようかと悩む。だが今さらもう大丈夫ですなんて言ってしまえば彼女の折角の苦労を台無しにすることになってしまわないだろうか。そんなことを考えて、つい采音も悩まされてしまう。
なんていうかその、彼の描くものは可愛らしい少女や天使が多いんです。それに全体の色の調和も相まって綺麗すぎて愛らしくて合わないというか。俗っぽい雰囲気があるというか。実際、彼の作品は美しすぎて特徴や個性がないと評価されることも多いんですよ
 少し詰まりつつ頭をかしげながらではあったものの、辻先輩はようやく話しだした。時折手振り素振りで見せながら話す様子はなんとも面白い。
 一度話が区切られ、息をする音が聞こえる。少しばかり重々しい息遣いに軽くどきりとさせられる。面倒なことを聞いてきたものだ、だなんて思われてはいないだろうな。
 また少し沈黙が続いた。今度は辻先輩がミルクティーを飲むために動いてはいたが。
 飲み物の減ったグラスがことんと置かれ、けれど、と話が続けられる。
どの作品も描かれる手足や顔の表情が豊かで、繊細な色付けがされているんです。もう、見れば見るほど美しくて。だからか私は彼を大好きになりました
 ふむと相槌を打つ。なるほど、言われてみれば確かにそうだ。先ほど見てきた作品たちを思い返してみても表情豊かで美しい。
 天使が蝶を一匹指先でつまんで見つめていた作品を思い出す。確か“捕獲”という作品名だっただろうか。あの天使の口元は若干微笑んでいるように見えて子供らしい可愛らしさが感じられた。しかし蝶の姿を捉えたその目はギラギラとしていて観察するような、それでいて獲物を捕まえた肉食動物のような残酷ささえ見て取れた。それを1枚で言葉なしに感じ取らせたぶぐろーという男の腕は確かに凄まじいのだろうと辻先輩との話を聞いていて思う。
采音
なるほど。先輩、ぶぐろーの作品のことものすごく見てるんですね。だから今は好きなんだ
 一息の語りに相槌を打ったときちょうどパンケーキが運ばれて来た。采音はベリーとホイップの乗ったもので、辻先輩が蜂蜜と角切りバターの乗せられたものだ。どちらもとても美味しそうでつい喉を鳴らす。
采音
うわメッチャクチャ美味しそう。やばいよだれが出そう
 卓上に充満した甘い匂いに感嘆の声を漏らす。この匂いは無意識に出てしまうだろう。とんでもない刺激である。
 ナイフとフォークをかごから取り出し、早速切り分け口に運ぶ。途端、ふんわりとした素朴な甘さが口に広がる。柔らかく優しい生地とどっさりと乗せられたベリーたちの甘酸っぱさが調和していてとても美味しい。正直飲み込むのがもったいないほどだが、これを飲み込まずしてどうするのだと己に問いたくなるほどだった。
美味しいね。生地が後に引かない優しい甘さで落ち着くし、ミルクティーととっても合う
 そう言いながらため息に似た何かを吐き出す辻先輩の顔は幸せに満ちているように見える。
 パンケーキは水を飲むように減っていき気がづけば皿の上は綺麗になってしまっていた。満足の心とこんなに美味しいものを一気に食べてしまうだなんてという後悔の心が胸に同時に湧いてくる。もう何も乗っていない皿を采音は寂しそうな目で見つめた。
もう一枚頼んで食べちゃいます?どうせなら、とびきり大きいやつ
 ふんわりと優しく甘い声が采音を誘う。声の主へと目を向けてみれば、普段からは考えられないいたずらっ子のような笑みを浮かべた彼女がそこにはいた。
 しなやかな白い指が指した先には、大きなフライパンの中に入ったふんわりと焼色のついたパンケーキがあった。
采音
頼んじゃいましょう頼んじゃいましょ!
 いつものこの人の立ち振舞から見るに絶対に言わないであろう提案。それにのらない人間がいるはずがない。うきうきと胸を高鳴らせながら店員に品物を頼む。ミルクティーをストローで啜る先輩は相変わらず柔らかく微笑んでいた。

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