第10話

丈にぃの背中
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2025/09/29 10:00 更新
朝のやわらかな光がキッチンに差し込み、かすかに赤ちゃんの笑い声が響いた。

「……りゅーせー、そっちはあかん!」

和也の声に反応して、流星がくるりと振り向き、にかっと笑う。
食器棚の下から引っ張り出したタッパーをカンカンと叩いて遊んでいた。

「やれやれ……」

和也はあきれたように笑って、流星を抱き上げ、その頬をそっと撫でた。

「元気やなあ、ほんま。なあ、流星」

リビングでは、兄弟たちのいつもの朝が流れていた。
駿佑と恭平がテレビに夢中になって笑い転げ、大吾が静かに勉強を進めながらそれを見守っている。
謙杜も、まだ少し照れたような顔をしながら、食卓の準備を手伝っていた。

だが――その場に丈一郎の姿はなかった。

「丈にぃ、朝ごはん食べずに行ったん?」

謙杜がふと尋ねると、大吾が新聞から目を上げて答えた。

「うん。今週は夜勤続きやから、早めに出たらしい」

謙杜は少しだけ口をつぐみ、手元の箸をじっと見つめる。
その足元に、よちよちと流星が寄ってきて、小さな手で服の裾を引っぱった。

「……丈にぃのこと、好きなんやな」

謙杜はそう言って、そっと流星を抱き上げた。

和也がふと、穏やかな声で言う。

「丈にぃ、ほんまは不安なんやと思う。全部背負って、誰よりもしんどいのに、それを誰にも言わんと笑うからな」

「確かに、そういうとこ……前は正直、ムカついてた」

謙杜はぽつりと言いながら、流星の背中を優しくぽんぽんと叩いた。

「でもさ。最近思うんよ。言葉にせんでも、流星みたいなちっちゃい子が“わかる”くらいやねん。それって、すごいことやなって」

流星は、謙杜の胸に安心しきったように体を預け、眠たげに目をこすっていた。

「この子な、たぶん両親のことは覚えてへん。でも……丈にぃのことは、ずっと忘れんと思う」

大吾の言葉に、空気が少しだけ静かになる。

丈一郎の“背中”を、一番小さな流星が、ちゃんと見ていたのだ。
その夜、仕事を終えた丈一郎は、そっと玄関の扉を開け、音を立てないように靴を脱いだ。
リビングの灯りを頼りに入ると、ソファに流星がすやすやと眠っていて、その隣で大吾が本を抱えたまま、うたた寝していた。

「……ここで寝たら風邪ひくっての」

丈一郎は小さく笑って、流星をそっと抱き上げた。
あたたかくてやわらかい、小さな命。その重みが、心にじんと沁みる。

そのとき、和也が部屋の奥から顔を出した。

「あ、丈にぃ。おかえり。今日な、流星が“じょ”って言うてんで」

「“じょ”? ……それ、丈一郎の“じょ”ちゃうか?」

「かもしれんな」

和也が笑うと、丈にぃも照れくさそうに眉を下げた。

「でもな……その“じょ”って呼ばれる前に倒れたら意味ないで」

そのひとことに、丈一郎は一瞬だけ黙り込んだ。

「そんな、俺……そんなに限界っぽい?」

「うん。見たらわかる。ていうか、感じる。丈にぃの足音が聞こえん家は、やっぱり寂しいねん。流星だけやない。みんな……丈にぃが大好きやで」

静かにそう言われて、丈一郎は流星の寝顔を見つめた。

「……俺、ちょっとだけ、弱音吐いてもええ?」

「ええよ。誰がなんと言おうと、丈にぃは家族や。俺らの兄貴や。でも、ひとりやない」

じょうにぃは流星をそっと抱き直し、赤ちゃんのふわふわの髪に頬を寄せた。

「……俺、守りたいんや。みんなを、ずっと」

その声は、夜の静けさの中で、しっかりと和也の胸に届いていた。

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