無理やり食べさせられたおにぎりの味が、苦い後味となって口の中に残っている。
侑くんの冷ややかな独占欲に晒され、呼吸の仕方も忘れそうになっていた時、静かに襖が開いた。
現れたその姿を見た瞬間、私の心臓は嫌な音を立てて跳ねた。
「侑、治。……北さんが呼んでる。用があるってさ。だから、交代」
そこに立っていたのは、昨夜、私の目の前でクロを背後から沈めた「あの男」だった。
その細められた瞳を見ただけで、あの時の衝撃と、崩れ落ちたクロの姿がフラッシュバックして全身の血が引いていく。
「ええー! 角名〜ほんまに、? もっとあなたちゃんと一緒におりたかったねんけどぉ!」
侑くんが不満そうに肩を落とし、地団駄を踏む。
けれど、北さんの名前を出されると逆らえないのか、名残惜しそうに私の髪をもう一度指先でなぞった。
「しゃあないなぁ。あなたちゃん、また後でな。俺のこと忘れたらあかんで?」
「……また来るからな。飯、ちゃんと全部食うんやで」
二人は嵐が去るように部屋を出て行った。
双子が出ていき、襖が閉まる。
一気に静まり返った部屋で、私はガタガタと震える膝を抱えた。
昨夜、私の目の前で暴力を振るった「あの男」が、目の前に座っている。その事実だけで、呼吸が浅くなり、視界がチカチカと火花を散らす。
「……あの、そんなに怖がらなくていいから。」
低い、どこか気まずそうな声がした。
顔を上げると、角名と呼ばれた男は後頭部を掻きながら、私から少し距離を置いて座り直した。
「……あ、そういえば。まだ名前も名乗ってなかったね。えーと、俺、角名倫太郎。よろしく」
ひどく熱量の低い挨拶。昨日の冷徹な動きが嘘のように、今の彼はどこか気怠げで、ひどく「普通」の青年に見えた。
「…………っ」
私は何も答えられず、ただ震える体を押さえつける。すると、角名さんは廊下の方をチラリと確認してから、声を潜めて呟いた。
「呼び方は好きにしていいよ。……そんなに怯えなくて大丈夫。俺は北さんや双子みたいに、君をどうこうしようっていう強いこだわりはないから」
彼は手に持っていたスマホを畳の上に置くと、膝に肘をつき、私の方をまっすぐに見つめた。
「北さんは、自分が正しいと思ったことは絶対だし。あの双子は、一度気に入ったおもちゃは壊れるまで離さないし……あの人たち、ちょっとおかしいんだよね」
角名くんはそこで言葉を切ると、少しだけトーンを落とした。
細められた瞳には、今のこの状況を冷めた目で見ているような、それでいてどこかやるせない色が混じっている。
「正直、俺もここまでやるとは思わなくて。君を調べるだけかと思ってたんだけど.…君を連れてくるまでになっちゃうなんて……」
廊下の外を警戒するようにもう一度視線を走らせてから、彼は再び、逃がさないように私の目を見た。
「君、あっちで幸せにしてたんでしょ? ……ごめんね。君を助けてあげたいっていう気持ちはあるんだけど、俺、北さんに恩があって稲荷崎のこと裏切れないんだ」
淡々とした口調だけど、その瞳には嘘のない罪悪感が滲んでいた。
助けたいという人間としての良心と、北さんへの絶対的な忠義。その二つの間で、彼は逃げるように目を伏せることもなく、重い現実を私に突きつけた。
「……俺にできるのは、君が少しでも、壊れないように見守ることくらいだから」
彼の手は届かない。助けも呼んではくれない。
けれど、北さんの「正しさ」に染まりきっていない彼の真っ直ぐな視線だけが、この冷え切った部屋の中で、唯一「私」を人間として認めてくれているような気がした。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!