重厚な木の扉を押し開け、私は暗い廊下へと飛び出した。
北さんの「完璧な世界」は、どこまでも静かで、どこまでも冷たい。
背後で閉まったドアの音が、退路を断つ処刑台の響きのように聞こえて、私はたまらず走り出した。
(もしかしたら……みんななの?)
廊下の向こう、入り組んだ屋敷の奥底から、激しい怒号と何かが壊れる音が反響してくる。
裏切られるのが怖い。
これが罠だったらという恐怖が喉元までせり上がり、吐き気がする。
けれど、このまま何もせず、誰かの用意した「幸せ」の中に閉じ込められていることなんて、もうできない。
(お願い、嘘じゃないよね……。クロ……研磨……っ!)
裸足のまま、冷たい床を蹴る。
慣れない着物の裾が足に絡みつき、何度も転びそうになる。
それでも、必死に壁に手を突き、前へ、前へと体を投げ出した。
呼吸はとっくに乱れ、肺が焼けるように熱い。
視界は涙で滲み、心臓の鼓動が耳の奥で警鐘のように鳴り響く。
あの日、私の手を引いてくれた音駒の影を、その温もりを、ただ一筋の光として追い求めて。
(私が行かなきゃ……みんなが来てくれてるなら、私が……!)
角を曲がり、出口へと続く広い廊下に出た、その瞬間だった。
「ん?? あ!! あなたちゃんやーん!!」
あまりにも場違いな、陽気で粘り気のある声。
驚愕で心臓が止まるよりも早く、背後から伸びてきた逞しい腕が、私の体をすっぽりと包み込んだ。
「……っ、ひっ、!?」
逃げる勢いのまま、強い力でバックハグされる。
衝撃で肺の空気が押し出され、視界が激しく揺れた。
耳元で聞こえる、聞き間違えるはずのない、不敵な笑いを含んだ吐息。
「なにしとんの? こんなとこで」
金髪を揺らし、獲物を捕らえた愉悦に目を細める宮侑の顔が、すぐ隣にあった。
「あ、侑、くん……っ!? な、んで……」
パニックで頭が真っ白になる。
震える私の前に、ゆっくりとした足取りでもう一つの人影——宮治が立ちふさがる。
「ちょーどよかったわ。今から迎えに行こう思てたんよ」
治くんは、廊下の奥から響く「音駒」の奮闘を冷めた一瞥で切り捨てると、逃げ道を完全に塞ぐように私の目の前に立った。
「え、なんで……。ね、音駒、は……? 」
私が縋るように、絶望を押し殺してその名を口にした瞬間。
二人を包んでいたどこかふざけた空気が、ふっと霧散した。
「…………」
治くんの瞳から温度が消え、底知れない暗闇のような色が差す。
「……ああ、やっぱり。音駒に会いたくて、あんな必死に抜け出してきたん?」
その静かな問いに、心臓が凍りつく。
治くんは私の絶望を指先でなぞるように、残酷なほど穏やかに笑った。
「残念やったなぁ。俺らに先、捕まってしもて」
バックハグの腕に、みしりと骨が鳴るほどの力がこもる。侑くんが私の首筋に顔を寄せ、低く喉を鳴らした。
「もう、従順なフリはせんの? 北さんの前ではもちろん……俺らの前でも、あんなにかわえかったのに」
その言葉に、息が止まった。
心の奥底、誰にも触れられない場所に「音駒」という光を隠し持ち、彼らが助けに来てくれるのを片時も忘れずに待っていたこと。
悟られないよう、ただ静かに、大人しく、与えられた役割を演じ続けてきたこと。
その「秘めていた希望」さえも。
最初から、彼らには全部、見透かされていたのだ。
(バレてた……。従順に振る舞って、機会を待ってたこと、全部……)
底知れない恐怖が背中を駆け抜ける。
必死に逃げ出したはずの道の先に待っていたのは、温かな救いなどではなく、より深く、より逃げ場のない二匹の狐の腕の中だった。













編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。