第22話

【宮兄弟】あなたに(MONGOL800)
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2025/12/18 08:00 更新
季節は、静かに巡る。

冬の名残を残した空気が、体育館の中に薄く張りついていた。


高校最後の大会。

コートに立つ治の背中を、侑は正面から、逃がすまいと見つめていた。


いつもと同じはずの背中。
同じユニフォーム、同じ姿勢、同じ距離。

それなのに_____今日に限って、やけに遠く見える。


この試合が終われば。
この一瞬が過ぎ去れば。

バレー選手としての「宮治」は、一区切りを迎える。


その事実が遅れて胸の奥に落ちてきて、ぎゅっと締めつけた。

呼吸が少し浅くなる。
なのに、頬を伝うものは止まらなかった。


笑っているのに、泣いている。

声を出したら壊れてしまいそうで、侑は歯を食いしばった。

目の奥が熱い。
けれど、目を逸らすつもりはなかった。



_______悩めたことが、嬉しかった。


同じ道を進む以外にも、選択肢があったこと。

それを、逃げずに考えられたこと。

簡単に答えを出さず、立ち止まれたこと。

そして何より、
それを支えてくれる存在が、隣にいたこと。



治は、ほんの一瞬だけ指先を開いた。


ボールに触れる感触。

床を蹴るときの反発。

耳に飛び込んでくる、侑の声。


全部、ひとつも零さないように、体の奥に刻み込む。



これが、最後。
試合終了の笛が鳴った瞬間、胸の奥が強く軋んだ。

泣きたい。
叫びたい。

なのに、口元は自然と笑っていた。



侑が見ている。

その事実が、治の背筋を伸ばした。
前を向かせた。



(……ああ)



こんなふうに悩めたのも。
選ぶことができたのも。

全部、侑がおったからや。


バレー選手としての自分は、ここで終わる。
けれど、何かを失った感覚はなかった。

治は、コートの真ん中で深く息を吸い込む。
肺の奥まで、冷たい空気が入ってくる。



(……ほんま、ええ時間やったな)



隣を見れば、侑が笑っている。
治と同じ顔で、同じように笑っている。

けれど、その目だけは、今にも溢れそうで。



「なぁ、ツム」

「……っ、なんやねん……」

「俺な、バレー辞めるのを悩めて幸せやったわ」



侑は答えられなかった。
喉が詰まって、言葉が出ない。


視線を上げると、観客席に北の姿が見えた。
腕を組んで、静かに頷いている。

アランもいる。

コートの外には、烏野の連中。

ネットのこちら側には、角名や銀、頼もしい後輩たち。


そして、すぐ隣には、胸の1番をぎゅっと握りしめながら、声を殺して泣く片割れ。



「何泣いとんねん、アホ」



俺は、稲荷崎でバレーができて、ほんまによかった。








それから先、二人はそれぞれの道を進み始めた。

治がコートから一歩引いた、その少し後。
侑は、治のいないバレーを始めた。

最初の数週間は、正直、最悪だった。


人間関係。
バレー以外の仕事。
税金、取材、ファンミーティング。


バレーをするためには、バレー以外のこともこなさなければならない。1試合やるだけでも、動く金は安くない。

高校生の頃のように、熱だけで突っ走ることは許されなかった。それが今までの侑には足りなかったもの。

だからこそだろう。
新しい環境になって、バレーが不調になったのは。


新しい体育館は、相変わらず広く、床はよく磨かれていて、ネットの高さも変わらない。

なのに、セットは乱れる。
タイミングが合わない。


スパイカーが悪いわけじゃない。
自分が悪い。

それは、痛いほど分かっていた。



『惜しかったなぁ』

『大丈夫』

『もっかいやってみよか』



先輩のその言葉が、胸の奥をひりつかせる。

怒られない。
責められない。

代わりに、やさしくされる。



(……ちゃうやろ)



喉まで出かかった言葉を、何度も飲み込んだ。


怒鳴ってほしかった。
出来てないって、はっきり言ってほしかった。


やさしさは、余裕の証だ。

その余裕を向けられるたび、自分の小ささだけが際立つ。



_______優しさは、今の侑には重すぎた。



治がいた頃は、こんなことで悩んだことはなかった。
合わなければ言われたし、言い返した。

ぶつかって、喧嘩して。
それでも次の一本で合わせてきた。

それが当たり前だと思っていた。


更衣室で一人、膝に肘をついて俯く。



(……俺、ちっさいな)



情けなさが身体を蝕んでいく。
生まれて初めて、バレーが嫌いになりそうだった。



(……サムがおったら、楽しかったんやろか)



そんな考えばかりが浮かんでは消える。

今の姿を、治はなんて言うだろうか。
笑うか?馬鹿にするか?

いや_______





_____自分ツムのバレーは間違ってない。



治がいなくなったからといって、トスの軸が変わるわけじゃない。ボールのサイズが変わったわけでもない。

スパイカーに尽くすという根本が、揺らぐわけでもない。


恨んだ。
怒った。
分からないと思った。

それでも最後に残ったのは、
信じるしかない、という答えだった。

治の選んだ道も。
自分の選んだ道も。




一方で、治もまた、別の場所で壁にぶつかっていた。

調理の専門に進んで、現実を知った。

包丁の持ち方。
火加減。
段取り。

全部、思ってたよりずっと難しい。

火加減ひとつで味が変わる世界は、バレーよりもずっと繊細で、正解が分かりづらい。



『宮、もう一回やり直し』



その一言に、内心で歯を食いしばる。

簡単だと思ってたわけじゃない。
それでも、想像以上に厳しかった。


評価はすぐにはついてこない。
結果が出るまで、時間がかかる。

一本決めれば歓声が上がる世界とは、あまりにも違う。


当たり前や。
新しい世界なんやから。

認められるまで時間がかかる。
結果が出るまで、耐えなあかん。


それでも、不思議と投げ出したいとは思わなかった。

好きなものを追えば追うほど、好きの度合いは増していく。

包丁を持つ手に、かつてボールを追っていた感覚が重なる。


上手くなりたい。
認められたい。
負けたくない。

その闘争心は、確かにバレーで育ったものだった。



(あんだけ啖呵切ったんやから。
 ……胸張って言えるようにならなあかんな)



いつか、侑に。

「俺のほうが幸せやった」って。


そのために、ここで負けるわけにはいかん。
そう思うと、自然と背筋が伸びた。





時間は流れる。

会う頻度は減った。
背丈も、立場も、生活も変わった。


眠れない夜、ふと考えることはある。
あのまま続けていたら、どうなっていたやろ、と。


けれど、答えはいつも同じところに戻る。


やらされることは、楽しくない。
好きこそ物の上手なれ。

好きなものを追うことは決して楽ではないけど、楽しい。自分で選んだ道だから、踏ん張れる。


侑がコートに立てば、治が作った身体がそこにある。
治が飯を作れば、自然と侑の顔が浮かぶ。

道は違っても、根っこは同じだ。


季節は巡る。
花は散って、また咲く。

そして_________




「いらっしゃ……って、なんや。ツムか」

「邪魔すんで〜」

「邪魔すんねやったら帰って〜」

「ほな帰るわー…ってなんでやねん!」



おにぎり宮のカウンター越しに目が合えば、
昔と何一つ変わらないやり取りができる。


形は変わった。
けれど、失われなかったものがある。


ライバルで。

兄弟で。

仲間で。


手を取らなくても、
背中を預けなくても、
同じ方向を見て歩いていける。


「この道でよかった」と心の底から言える日が来るまで、道は直接交わらなくても、ふたりで歩んでるということは変わらない。


侑じゃなきゃあかん。
治じゃなきゃあかん。


この関係だけは、
何が変わっても、変わらなかった。



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