第24話

「正義/道義」
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2026/01/04 15:24 更新
知っている。

けれど、私はそれを「出来事」として知っているだけだった。


本当の意味でその夜を理解するには、塹壕の底に立ち、冷えきった土の匂いを吸い込み、指先の感覚がなくなるまで夜を待たなければならないだろう。



夜は、塹壕の上にも平等に降りてきた。
凍りついた大地は硬く、空気は肺の奥まで刺すように冷たい。



十二月二十四日。
暦だけが、戦争とは別の時間を刻んでいる。


塹壕は浅く、ぬかるんだ地面には雪と泥が混じり、空気は重く湿っている。

血飛沫があがるのは日常で、銃声は子守歌の代わりだった。



敵はすぐそこだ。

数十メートル先に、同じような塹壕があり、同じように疲れ切った敵兵たちがいる。


互いに殺し合っていた相手。
理由は国で、命令で、正義だった。

自分たちは正しい。
引き金を引く理由は、それだけで十分だった。

けれど今夜、その「正しさ」は、妙に静まり返っている。
銃声も砲撃も、今夜はなぜか遠く、世界は息を潜めているようだった。







その夜、銃声が途切れた。
代わりに、風に乗って、かすかな音が流れてくる。


歌だ。


最初は幻聴だと思った。
寒さと疲労で、頭がおかしくなったのだと。


けれど、確かに聞こえる。

拙い旋律。
聞き慣れない言葉。


やがて、こちら側でも、誰かが小さく歌い始めた。

最初は一人。
次に二人、三人。

言葉は違っても、旋律は同じだった。


夜空には雲が切れ、星が覗く。
月明かりが、昨日まで死の土地だった場所を、淡く照らしていた。


誰かが塹壕から出てくる。
白い布を掲げ、両手を上げて。



敵だ。
そう叫ぶべきだった。



けれど、誰も引き金を引かなかった。
銃を構える者はいなかった。


足が震える。
心臓が、まだ戦争を忘れていない。

男は喉を鳴らし、銃を置いた。
そして、ゆっくりと、塹壕を越えた。


向こうからもぞろぞろと人影が現れる。
同じように、武器を持たず、ぎこちない歩みで。


初めて至近距離で見る「敵」は、拍子抜けするほど普通の人間だった。

汚れた顔、疲れた目、ひび割れた唇。



________ああ。

この人も、誰かの息子で、誰かの友人で、誰かの大切な人なのだ。



無人地帯の中央で、彼らは向き合う。
昨日まで殺し合っていた相手と。

握手が交わされる。
ぎこちなく、しかし確かに人の温もりを持った手。



タバコを分け合い、写真を見せ合い、片言で言葉を交わす。


家族の話。
故郷の話。

戦争が始まる前の、どうでもいい日常の話。


無人地帯では、即席のサッカーが始まった。
ゴールも審判もない、ただ転がるボールを追いかけるだけの遊び。


笑い声が、夜に溶ける。
星空の下、月が静かに見下ろす。

それは、百万年に一度の奇跡のような夜。



人はそれぞれ正義を持っている。
だから争いは、避けられないのかもしれない。


けれど、その夜、彼らは知ってしまった。
自分の正義が、目の前の誰かを傷つけていたことを。

そして、その誰かも、同じように正義を信じていたことを。


夜が明ければ、また戦争は続く。
命令が下れば、「正義」に基づいて引き金を引かねばならない。



それでも。

この夜を知ってしまった者たちは、もう以前と同じではいられなかった。


引き金の重さが変わった。
照準の向こうに、歌う人間の顔が浮かぶようになった。



クリスマス休戦。
それは戦争を終わらせたわけでも、世界を変えたわけでもない。

けれど確かに、人が人であることを、ほんの一晩、思い出させた。



銃よりも、歌が。
命令よりも、祈りが。

正義よりも、隣にいる誰かの温もりが強かった夜。



百万年に一度でなくてもいい。
ほんの一夜で、十分だった。

その夜は、今も静かに、歴史の片隅で歌い続けている。













あけましておめでとうございます。
2026年の書き初めです。

大人侑の夢を書こうか、治の夢を書こうか迷っていましたが、そういえば去年「ペリリュー〜楽園のゲルニカ〜」を見たなぁと思いまして。僭越ながら、クリスマス休戦の話を書かせていただきました。

今年も平和な一年になりますように。
次からは夢書きます。


かさ

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