八月の終わり、夜風が少しだけ涼しくなってきた頃。
浴衣姿の人々で賑わうはずだった夏祭りは、前日の大雨で中止になった。
私も彼も、浴衣を着ることを楽しみにしていたから、その知らせを聞いたときは肩を落とした。
そうつぶやくと、電話の向こうで彼が少し黙り、すぐに言った。
彼の声は、雨上がりの空みたいに澄んでいて、どこかワクワクが混じっていた。
胸がきゅっと鳴る。
夏祭りの代わりなんて考えてもいなかったけれど……彼と二人で過ごせるなら、それだけで特別に思えた。
そう答えると、電話の向こうの彼が嬉しそうに笑った。
夜九時、海辺。
昼間の熱気を吸い込んだ砂浜は、まだほんのりと温かい。
波音だけが静かに寄せては返し、街灯の届かない場所は月明かりに支配されていた。
彼はそう言って、小さな袋を取り出した。
中には色とりどりの花火。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
彼の隣で火を点けると、夜空にぱっと光が散って、私たちの顔を照らした。
私が見とれていると、彼は花火ではなく私の方を見ていた。
視線が合うと、慌てて逸らされる。
その仕草が可笑しくて、でも心臓が跳ねた。
派手な花火を一通り楽しんだあと、彼は袋の底から細い線香花火を取り出した。
彼と並んで座り、火を分け合う。
じんわりと小さな火玉が生まれ、ふるふると震えながら光を放つ。
彼が笑って呟く声が、波音に混じって柔らかく響いた。
私の線香花火はかすかに火花を散らしながら、まだ懸命に揺れていた。
どこで聞いたのか、彼は少し照れたように笑った。
私の心臓が急に速くなる。
さっきまで花火を見つめていた瞳が、まっすぐに私を射抜いていたから。
瞬間、彼の線香花火の火玉がふっと落ちた。
小さな命が消えるように、砂の上で淡い光を残す。
私は何も言えず、ただ彼を見つめていた。
頬が熱い。喉が震える。
胸の奥で、同じ言葉をずっと願っていたから。
かすれた声でそう言うと、彼は驚いたように目を見開き、すぐに優しく笑った。
そして、そっと私の手を取った。
指先から広がる温もり。
手を重ねるだけで、こんなにドキドキするなんて、
彼と出会う前の私は知らなかった。
波音と夜風に包まれて、時間がゆっくりと過ぎる。
彼の横顔を見つめていると、ふいに髪が揺れ、彼が近づいてきた。
月明かりに照らされるその瞳は、真剣で、逃げ場なんてなかった。
次の瞬間、唇が重なる。
驚きと、胸の奥からあふれる甘い痛み。
線香花火よりも短く、けれど永遠に刻まれるような熱。
唇が離れたあと、彼は少し息を整えながら照れ笑いをした。
彼は一瞬驚いたように固まり、それから静かに私を抱き寄せた。
夜の海は静かで、私たちだけの世界みたいだった。
砂の上には、燃え尽きた線香花火の残骸が転がっていた。
でも、私たちの胸には、これからを照らす光が確かに残っていた。
来年も , 再来年も , この先ずっと。
隣にいられますように。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!