第38話

奔流
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2026/03/20 15:00 更新
元々こうなったのは僕に原因があるんです。まともに魔法使えないし、大切な人との約束も守れずに呆れられてしまう
だから今苦しんでるんですよ。自業自得なんです。それなのに、それなのに誰かに助けてもらうって、都合が良すぎるでしょ
ゾム
まぁ、まぁまぁ、それでも困ってるでしょうし、困ってるならお互い様って言うやないですか
それは、お互いが良い人じゃないと成立しませんよ
ゾム
鬱さん、ええ人やと思いますけど
鬱は少し言葉に詰まった様子で、自身の手を握る。
弱い自分の思いや体を外界から守るようにして包みこまれた手の中に、ゾムは彼の深層心理が込められている気がした。

鬱は相変わらず緊張状態でそこにいる。普段のリラックスした様子とは程遠く、体中の筋肉に不自然な力が入っていた。少しだけ眉間に寄っている皺をなくそうとしているのか、彼は乱れた深呼吸を繰り返していた。
普段ならどこにいてもすぐに手が届いて笑いかけてくれるような雰囲気がある彼だが、今はなんだかとても遠く感じられる。自分と鬱の僅かなスペースの間にとても深い断層が存在しているように思えて、手を伸ばすことさえ億劫だった。

何かを口に出そうとして、止める。鬱はそれを繰り返しているように見えた。
……別に、違うんです
彼の喉から絞り出されたその音は、あまりにも掠れて聞き取るので精一杯だ。まるで工事現場で遠くの人物と会話しているような気分にさせられる。とはいえ大声を出さなくていい分その面では楽かもしれない。
鬱の言葉を聞き取るのに成功したゾムだが、この言葉だけでは何も言葉をかけることができない。今不用意にぺちゃくちゃ喋って彼の地雷の上でブレイクダンスをするよりかは、どこに地雷が埋まっているのかを本人という名の現地民から教えてもらうべきだ。
そう判断し、ゾムは鬱の言葉を待つ。

十数秒程の沈黙の後、鬱はまた口を開いた。
いい人じゃない……ですよ
謙遜とか、そういうのじゃなくて
皆さんを利用してた……だけなんです
その言葉を聞いて目線が彼に釘付けになる。
もしや、何かおかしな陰謀を実現するために利用されたとでも言うのだろうか。そうなると場合によってはとんでもないことである。ゾムは恐る恐る彼に尋ねることを決めた。
ゾム
……利用ですか? 何に
一人が嫌で、誰かが傍にいて欲しくて
孤独を埋めるために、皆さんを利用しました
ゾム
……はぁ
もう、一人は嫌だったんです
誰かに、このどうしようもない気持ちを埋めてほしかった
ゾム
それなら、そう言ってくれればええと思うんですけど……
できませんよ、そんなこと。
僕は貴方みたいにチャレンジできるような強い人じゃないんです
ゾム
そんなに卑下しなくても……
卑下とか、そういうのじゃありません。事実です。ただの本当のことなんです
喉は思いを堰き止めるダムのような大きな壁だ。
しかし、そんな強大な存在も、想いというとてつもない質量がのしかかればすぐに壊れてしまう。

ダムの決壊した彼の口から溢れ出るのは、意味のわからない古びた言葉ばかりだった。長らく日の目を浴びず、暗い所に押し込められて湿気で黴びた惨めな言葉達。それが滝のように鬱から溢れ出す。瞳からは恐怖や失望となって、口からは言葉となって。
ゾムはそんな想いの奔流に為すすべもなく、ただ言葉を耳に入れて意味を理解することしかできなかった。言葉の一つ一つが水を含んだ布のようにずしりと質量を持ち、ゾムの身体に纏わりついてくる。正面から受け止めるにはあまりにも高すぎる重量。
僕は何物にもなれないんです。他の人達がそうだったような偉大な魔法使いになることにも、一般社会に溶け込んで周りの人と同じように暮らすことも。全部中途半端で、何も成し得ずに
ゾム
お、落ち着いて
僕を皆さんのような人と同じ箱に入れないでください!
お願いやから……一人にして……独りにしないで……
鬱は顔を伏せ、床にしゃがみ込む。
大人が見せるような姿ではないそれに戸惑ってしまい、ゾムは困惑してそれを見つめていた。子供なら抱き締めてあやせば多少はご機嫌を取り戻してくれるだろうが、大人になるとそうもいかない。というか、大人が大人をあやすなんて痛々しすぎる。

どうしようかと頭を回転させながら固まっていれば、鬱は次第に落ち着きを取り戻したようだった。少しだけ赤が残っている瞳を隠すように擦り、立ち上がる。
ごめんなさい、お見苦しい所を見せてしまって
ゾム
いや、大丈夫っすよ。鬱さんこそ平気ですか? なんというか……結構追い詰められてません?
先程も言いましたけど、一時の気の迷いですよこんなもの。すぐに戻りますから。そうなったら、またあの子を待つ生活に戻るだけです
あの子が私を覚えていれば……もしくは、いつか思い出してくれたら、この退屈な日々から解放されるはずです
そうしたら、今度こそ外に出てみようかと思います
鬱はそう言って耳を搔き、白い歯を見せてくる。
精一杯の笑いだったのだろうが、不自然だったことは言うまでもない。どうにかして彼を心変わりさせるために言葉を探すが、口に出す前に閉口してしまう。

ゾムは、何も言えなかった。
ゾム
その……てことは、別に医者の所に行ったりは……
そういう予定はないかな。再三言ってますけど、時間経てば良くなりますから。別に酷い状態じゃないですし
そう言って彼は腕を晒す。ゾムと会話している間に魔法でも使ったのだろう。不出来な切り傷がいくつも入っていた腕は、いつものエナメル質のような透き通った白い肌を取り戻していた。美しいと言えば聞こえはいいが、どう見ても病的な色だ。何年間日光を浴びなければこうなるのだろうか。今にも身体から魂が抜けて幽霊になってもおかしくない。

幽霊どころか実体がないゾムに何を言われても説得力などないことは自分が一番自覚しているものの、ここまで人間味のない体をされていると口も出したくなるものだ。
ゾム
なんや、その……ないんですか? 痛みとか
あるけど、別にすぐ良くなりますから。心配させてすみません
ゾム
い、いや、その……
どうにかして彼の自傷を止められる言葉を探すものの、脳内にはどう使ってもマイナスにしか転ばない無価値な言葉ばかりが売れ残っていた。他のものは完売だ。

言いたいことがあるはずなのに雲のように指と指からすり抜け、どうしても捕まえられない。何とか具現化しようと無理矢理声を出しても、犬の唸り声のように低く意味のない言葉がこぼれ落ちるだけだ。
会話をしていた時まで静寂に感じられていた外がやけにうるさい。僅かな風に木々がざわめく音、小鳥の鳴き声も、それどころか動物の足音さえ果てしない遠くから聞こえてくるようだった。何事もなかった床板がやけに冷たく感じられる。
気の所為なのだろうと心に言い聞かせるが、雰囲気も物質も硬くなった部屋に自然とゾムは体を強張らせた。

近づきがたく重苦しい静寂のカーテンを引き裂くように、鬱はゾムを見上げて曖昧に微笑む。所謂『ヘラヘラ』という効果音がつく笑い方だ。こんな状況でそんな風に笑われると、本人に悪意がないとはいえ実に腹が立つ。
そう言えば、キャンドルもなんにもないんですよ、今は。もうお帰りになられますかね?
ゾム
えぁ? そ、それは、ちょっと……
今ややる事もやりたい事も何もなかったが、このまま帰っては鬱の心理状態的にも予後が悪い。なんとなくここにいたいと思うものの、素直に助けを求めていないのだから放っておいてもいいのだろうという思いもゾムの心の中でせめぎ合っていた。どちらを言っても不正解な気がしてしまい、ゾムは息に詰まる。
す、すみません変な質問をして。僕が魔法でお返ししますよ。すぐですから
ゾム
ちょっと、ちょ、待ってください
では、また今度
鬱はゾムの目の前に手をかざす。
ゾム
待って、だい──

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