カランカランともう聞き慣れた鈴の音がする。
見慣れたバーの店内に1人マスターがグラスを拭いている。4時ということもあり、客は俺以外居ない。
頼んだサンドイッチをカウンターに置きながら、そう訊いてくる。小さなものだが、マスターからの初めての質問に嬉しく感じた。
事実ではあるが、僕の職場は社員の自由を大切にしている。仕事さえこなせば休憩はいつしてもいい。マスターが納得したように頷く姿を見て、会社で気になっていたことを思い出す。
すぐ教えてくれるとも思っていなかったので、慌てずにサンドイッチを一口食べる。
どう伝えようか悩んでいるマスターの手を取る。ビクッとさせた後、瞬きを繰り返していた。
思ってもいない嘘をつく。マスターの本名を教えてもらう為なら、嘘だろうと構わない。使える物は使わなければ勿体無い。
頼まれれば断れないタイプと見て、マスターを見つめる。しばらく目を泳がせて、迷って導き出した返答はこうだった。
タイミングよく客が入ってきたので、話はそこで終わった。マスターは客の相手をしており、僕は1人で残りのサンドイッチを食べていた。時間が経っても変わらずサンドイッチは美味しい。
結局、名前を聞けなかったことを悔しく思いながらも仕事が残っていたので全て食べ終わった後バーを後にした。
浅瀬の声が聞こえ、顔を上げる。浅瀬は「なんかあった?」と言いたげな顔でこちらを見ていた。
浅瀬は質問に答えず、柱にある時計を指差した。浅瀬の意図が分からずに時計に視線を向けると、バーから帰って来てから3時間も経っていた。
頷きながら帰って来てからした仕事を見返していると、明日の分までしていたことに気付いた。
僕の反応に疑問を抱いた浅瀬が、パソコンをのぞき込む。どういう感情なのか分からない言葉を溢している。
ファイルを閉じながら浅瀬に訊くと浅瀬は幸せそうな顔をしていた。浅瀬は2歳年上の女性と今付き合っており、近いうちに結婚するらしい。
それだけ言って軽くスキップをしながら、荷物を持って帰って行く浅瀬を見送りながら、僕も帰る準備をした。
引き出しを開けたり、鞄の中を漁ったりするが見つからない。
探していたのはプライベート用の携帯。記憶を遡りバーに忘れてきたことを思い出した。
その予定はなかったが、誰かに取られる心配もあるのでバーに向かった。
バーにつきゆっくりと扉を開ける。店の中にはマスター以外誰も居なかった。
食器を片付けながら、僕の方を見ずに話しかけてくる。
マスターにそう返され、店の中に入る。今日来た時に僕が座っていた席に探していた携帯が置かれていた。
マスターは返答をせずに片付けを続けている。携帯が見つかってバーに残る理由もない。それに無言の空間に居るのは気まずい。頭を下げてからバーを後にしようとした。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。