第7話

第一章 4
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2026/06/04 08:23 更新
それから私は、凛音先生の元で必死にピアノを練習した。譜面は比較的すらすらと読むことができるから、表現の仕方を磨き、より美しく、気持ちを伝える方法を、先生とともに模索した。


そんなこんなで、私は数々の名曲を早くて当日、長くても3週間ほどで仕上げるようになり、気づけば小学校入学を目前に控えていた。


エリーゼのためにを済ませてから、ありとあらゆる名曲を制覇した。しかしその中で、型にはまったピアノというものに幼いながら疑問を持ち始めていたというのも、また事実である。


最近の課題曲は、ピアノソナタ第14番、通称月光ソナタの第3楽章だ。


「もっと、フォルテだして。これは、気持ちが強くなって強くなって、っていう部分だからね」


私はピアノを弾く手を止めた。凛音先生は驚いたように私を見つめた。


「どうしたの?」


「げっこうって、つきのひかりのことでしょ?フォルテなの、へんだとおもう。つきのひかりじゃなくて、たいようになっちゃわないの?もっと、キラキラしててきれいな、つきのひかりみたいにひいたらだめなの?」



しん、と部屋が静まり返る。いや、部屋だけではない。いつも聞こえてくる遠くの物音も、なくなったように感じた。聞こえているのは、凛音先生と私の心臓の音だけ。驚きからだろうか、先生の呼吸音は聞き取ることができなかった。


「…そうね。間違ってはいない…。じゃあ、玲奈ちゃんの解釈で、最初から弾いてみて。譜面で確認するのは、音程だけ。あとは、玲奈ちゃんの思うように弾いて」


「うん」


月光。月の光。いつもの月はどんな音だろうか。


目を閉じて、今まで見てきた月を思い出す。


秋、家族で団子をかじりながら眺めた丸い月。
夏の夜、家の窓から見えた月。
冬の雪の日、凍てつく寒さの中きれいに輝いていた月。
春、桜とともに映えていた月。そして夜だけではなく、朝、太陽に負けて、白くぽっかり浮かんだ月。


私は、記憶の中にあるあらゆる月から聞こえてくる音楽を想像した。方針が見えると、静かに瞼を開け、7分以上あるその曲を一気に弾いた。


冷たく、刺すような光。
キラキラとした、夢の中のような光。
時折雲に隠されながら放たれる、柔らかな光。


それらすべてを組み合わせて、私が思い出とともに伝えたい音色を、奏でた。


「…!」


凛音先生の方を見ると、驚きで固まっていた。私の気持ちが、音楽を通して、このソナタで、伝わったのだろうか。


「はー、先生感動しちゃった。こんな月光初めて。でもすごく、説得力があって、今月が見えた気がする。それも、いろんな月が。淡い光から、強い光まで。月だけじゃなくて、その周りすら想像させるような…」


そして、凛音先生は私の目をまっすぐに見つめてきた。その目にはうっすら涙すら浮かんでいた。


「玲奈ちゃん。先生から教えることは、もうありません。玲奈ちゃんはもう、立派な音楽家だよ。これからは、ピアニストになったらどうかな。もちろん、嫌だったら」


「いやじゃない。りんねせんせいみたいに、なれるんでしょ?じぶんのきもちをつたえられるんでしょ。ピアニスト、なる」


「あとね、作曲もしたらどうかな。玲奈ちゃんみたいな直感型は、コンクールには向いてないかもしれない。それに、玲奈ちゃんの中には、たくさんの素敵な思い出が、景色があるんだよね。今日のソナタで伝わってきたから」


「きょく、つくるの?」


「玲奈ちゃんならできるよ」


レッスンの時間が終わる。迎えに来たママに、凛音先生は私に追い越されたこと、ピアニストと作曲家へ進むことを勧めたらやりたいと私が言った、ということを伝えた。


ママは驚いてこそいたものの、私が向けていた熱い夢を抱えた視線を感じ取って、ピアニストと作曲家としての活動を始める方向へと、話が進むことになった。

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