おばあちゃんの入院している病室の番号を呟きながら、病院を見回す。
辺りでは女性看護師が患者のリハビリを手伝っていたり、
カルテの居場所を聞く看護師など、結構バタバタしている様子だった。
病院では周りを尊重して静かに、ってよく言われるけど、
看護師たちがうるさいんじゃあなぁ……と内心思いつつ口には出さない。
そんなこんな思っている内に、口に出していた番号の札がかけられている病室の目の前につく。
病室番号の横には太字で『大葉』と書かれていた。
ここで間違いないな……と、ゴクンと唾を飲み込む。
手に汗を握りしめながら、よし、と覚悟を決めて拳を握る。
コンコン、と控えめに扉を叩いて、「大葉おばあちゃん、私だよ、冴」と、
うるさすぎない程度に声を張って呼びかける。
数秒して、「冴ちゃんかい、おはいり」と優しい声が聞こえて、
ほっと胸を撫で下ろし扉の取手を握ってガラガラと横に引く。
病室に入ってすぐ奥のに、真っ白なシーツをほどこした寝具に横たわりながら、
顔をしわくちゃにしながら笑う大葉おばあちゃんがいた。
普通、病室一つにつき数名だが、父が気を遣って、
祖母専用にわざわざ一人用の部屋をとってくれた。
祖母はいいよ、気にしないで、と言っていたが、
のんびりしてほしいという父の想いに押されて結局一人部屋をとった。
久しぶりに会ってドキドキしていたが、
以前と変わらない様子に心から安堵した。
「さ、隣の椅子に座って」と嬉しそうに促す大葉おばあちゃんに、
コクリと頷いて素直に寝具の横にあるパイプ椅子に腰掛ける。
リュックから、母から渡された果物を取り出す。
入っていたのはりんごで、赤く熟した実がなんとも食欲をそそる。
リュックを足元に下ろして、持ってきたキッチンナイフで、
りんごを起用に剥いていると、大葉おばあちゃんが話しかけてくる。
……そう。 なんにも、なんにも変わってない。
皆んながどんどん、将来や未来に向けて成長している中、
まだ現実に向き合えていない私は未熟だ。
……このりんごみたいに。
皆んなが力をつけて、赤く赤く熟して、美味しい実を付けている中。
私は何も変わりたくなくて、今に固執しているまま、花のまま。
何も変わりたくない、変化を求めてしまって、
もしそれで何もかも平穏が崩れてしまったら。
それが怖くて動けない、安定という鎖に囚われている。
おばあちゃんからりんごに視線を落として、剥く手が止まる。
……今までは20歳から大人だったけど、今じゃ18際に繰り下げられた。
ということは、来年を含めて、私はあと3年で大人になる。
普通なら嬉しいだろう、上京とか、就職とか、
希望に花を咲かせる年頃になってくるはず。
でも……私は、嫌だっていうか、なんていうか……
未来を知らないから、なんとも言えない。
もし、良い未来なら大人になることはもちろん嬉しいし、
悪い未来なら一生このまま、子供のままでいたいって思うはず。
それは誰だってそうだし、全員がそう思っているはず。
もしひとつ超能力が手に入るなら、未来予知一択だろう。
お母さん、という単語を聞いて、一瞬顔を曇らせる。
しかしおばあちゃんに悟られないように、
すぐに表情を戻して微笑んで見せる。
ちょこんとしたうさぎ型のりんごを皿に8個置いて、
寝具横のチェストに乗せて椅子から立ち上がる。
部屋から出る際に看護師とすれ違って、
微笑んできたので慌てて頭を下げて急いで病室から出た。
よく小説とかに、屋上でたそがれている描写を何度か見かけるけど、
あいにく私の学校じゃ屋上に通じる扉に鍵がかかっている。
そのため生徒は授業で使用する以外は立入禁止だった。
わざわざ屋上に行くのに先生に許可を貰ったら、
何をするのか怪しまれるし、眺めたいだけと言ってもダメだと言われるだろう。
病院なら患者以外は無断で入れるし、
見舞いに来た際は絶対に屋上に来て新鮮な空気を吸っていた。
青々しい空気を深く吸って肺に満たして、それを一気に吐き出す。
汚れた場所で吸った空気を入れ替えるように。
ほとんどの見舞い人は病室だけを目的としてるので、
こうやって屋上を利用する人は少ない。
ゆっくりと流れる入道雲を眺めていると、
急に背後から声をかけられて思わず心臓が跳ねる。
慌てて振り返ると、そこには普段のおさげ姿の関さんはいなく、
代わりに髪を下ろして女の子らしい私服姿の関さんがいた。
全く同じ状況にぽかんとしていたが、やがてその間抜けな表情に
ぷっとお互い吹き出してしばらく笑っていた。
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編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!