ここなら。
あの人なら。
父と母を取り戻してくれる。そう信じることだけが、私をここまで連れてきていた。
でも、そんなもの甘えでしかなかった。
その瞬間、空気が止まった。
彼は顔を上げなかった。ただ息を詰めるような気配だけが伝わる。
わたしは震える声で続ける
やっと彼は口を動かした。だが出たのは一言だけ
何かが胸の奥で崩れ落ちた。
「仕方なかった」
私はその言葉を反芻した。
声が嗚咽に変わる。
感情が堰を切って漏れ出す
問いを重ねても、彼は答えない。
風の音と私の息づかいだけが丘を満たしていた。
そのとき、地面が低く震えた。
馬の蹄の音。鉄の鎧が擦れる音。
丘の向こうから、複数の影が現れた。
兵だ
私の血の気が引いた
彼が一瞬だけ顔を上げる。表情は驚きではなく、覚悟に似た静けさを帯びていた。
隊長らしき男が馬を降り、私に向かって手を伸ばした。
その言葉に私の視界が一瞬で凍りつく。
背中を捕まれ、腕を引かれる。鉄の手袋の感触が痛い。
私は振りほどこうと暴れ出す。
兵たちの手が止まる。彼は一歩前に出て低い声で言う。
兵たちは彼の命令に従うように私を引き起こし、手荒さを少しだけ緩めた。
私は涙で染まった目で彼を見つめた。
あの夜、森で見たおだやかな光が、今は苦悩の影に変わっている。
彼は何も言わない。ただ視線を逸らさずに見ている。
その眼差しが、言葉より雄弁だった。
罪悪感、痛み、そして何かを伝えようとする揺らぎ。
私はその意味を掴みたくて叫んだ。
彼の手が震えた。拳を握りしめ、地面を見つめる。
その言葉が風に溶けた瞬間、兵たちが私を引き立てる。
私は暴れた。けれどかなうはずもなく、腕をつかむ力はまし、足が地を離れる。
彼の姿が遠ざかる。
朝霧の中、彼の銀がぼんやりと光っている。
その姿が、私の最後の希望のように見えた。
その言葉に、彼の顔はわずかに歪む。
けれど、それでも何も言わなかった。
その言葉を最後に聞いた。
目の前が霞み、耳鳴りがする。
鉄の音、馬のいななき、遠くで崩れる風の音。
気づけば、私は馬上に押し上げられ、腕を縛られていた。
見下ろす丘の上、彼は立ち尽くしている。
風が彼の外套を揺らし、その影が長く伸びていた。
どうして
どうしてそんな顔をしているの?
怒っているのでもない、泣いているのでもない。
ただ、誰より痛そうな。
私が愛した彼の顔。
私は喉の奥からかすれた声を絞り出す。
その言葉に嘘はなかった。心の底からの愛の言葉。
彼の耳には届かなかった。私を不快にさせる空気に消されて。











編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!