本人にとってはありふれた一日のひとコマに過ぎないのかもしれない。
歳を重ねるごとに誰かに祝われることも、誰かを祝福する機会も、少しずつ減ってしまう。恋人、家族、友人。誰の人生にだって代わりのきかないかけがえのない人がいる。
その人がこの世に産声をあげた日は他の誰かにとって、何があっても忘れたくない特別な記念日になるのだ。
この世に生まれてきてくれたこと。広い世界で私と巡り合ってくれたこと。
そして、私を愛してくれたこと――。
ありがとう。ずっと、ずっと、言葉にできないほど大好き。この日が巡ってくるたびに私はあなたに何度でも、この想いを届けたい――。
じりじりと肌を焼くような日差しが強まり、それに応えるように世界の熱量も増していく季節。
暦の上ではちょうど7月7日、本格的な夏の幕開けを告げる「小暑(しょうしょ)」を迎える頃。
額を伝う汗を手の甲で拭いながらあなたは目の前の作業を一心不乱にこなしていた。やるからには一切の妥協はしない。
「ふぅ……あ、そろそろ時間。戻らなきゃ……よっと」
高い脚立から軽やかに飛び降り部屋全体をぐるりと見渡した。
あなたが散らばった道具を片付け部屋を後にしようとしたその時、小気味よいノックの音が響いた。その特有のリズムだけで相手が誰だかすぐに分かってしまう。幼い頃から、家で幾度となく耳にしてきた音だから。
「……あなたちゃーん。入っていい?」
予感は的中する。
「はい、会長。どうぞ」
ガチャリと扉がゆっくりと開き顔を覗かせたのは、あなたの父親であり、殺連会長の天羽宗一だった。その表情には部下には決して見せないとろけるような笑みが浮かんでいる。
「……その『ちゃん』付け、職場でやるのはやめてください」
「えー? 今は誰もいないんだからいいじゃないか。おや……だいぶ形になってきたねぇ」
部屋に足を踏み入れた宗一は嬉しそうに周囲を見回しぽつりと呟いた。
「会長、私はもう勤務に戻りますので。失礼します」
「待ってよあなたちゃん……いや、あなた! 一緒にお昼ご飯を食べよう? 久々にふたりでゆっくり話したいんだ。いいだろう?」
「あなた、久々だな。斎藤さんから聞いたぞ、最近は南雲君と二人きりでよく来てるんだろ」
目の前の鮮やかなケチャップがかかったオムライスを頬張りながら、あなたはうんうんと相槌を打つ。
「はぁ〜……昔はワシと一緒に、こうやって並んでご飯を食べていたのになぁ……。はぁ……」
フォークに刺さった肉を持ち上げたまま、遠い目をして物思いに耽る父親。その寂しげな背中をまっすぐ見つめながらも、あなたはもぐもぐと口を動かす手を止めない。
「あと何回、こうやって二人でご飯を食べられるのかな……あなたの手料理だって、あのお家でもう一度食べられるだろうか……」
「お父さん……」
あなたはフォークを置き父の目をじっと見つめた。
「私ね、南雲が大切だよ。でもお父さんも同じくらい大切。そこに優劣なんてないし比べられるわけがない。9歳の時から今でも、これからもずっと変わらない。お父さんはいつだって私の味方で私もお父さんの味方。私の手料理が食べたいならいつでもいくらでも作るよ。何年経っても、何十年先だって、一緒にご飯を食べよう? だから……そんな悲しそうな顔しないで」
娘の真っ直ぐな言葉に天羽はハッと息を呑み、それから嬉しそうに笑った。目の前の娘はあの頃から何一つ変わっていない。どれほど素敵な恋人ができようとも父親を蔑ろにすることもしなければ、簡単にその手を離して遠くへ行ってしまうこともないのだ。
あなたにとっての唯一無二の家族。
普段は立場上あまり接点が持てず物理的な距離があろうとも、二人の心の繋がりは一ミリも離れず常に隣り合い続けている。
「あなた……ありがとう。そうだな……少し寂しさに負けていたよ。……南雲君は、良い男だろう? 彼は本当に悪いところが見当たらないからなぁ」
「……たまに思うよ。本当に、私なんかにはもったいないなって。それくらいあの人は素敵な人だから」
端正な容姿はもちろんのこと、あなたは何よりも彼の心の奥底に隠された不器用な優しさと魅力を誰よりも近くで見てきた。
「何を言うんだ。あなたは十分すぎるくらい綺麗で魅力的な女性だよ。ワシにとっては世界で一番の自慢の娘だ。南雲君がどれだけ優秀だろうと、あなたがもったいないなんてことは絶対にない。自信を持ちなさい」
父親の親バカ全開の勢いにあなたは少し目を丸くする。それから再びパクパクとステーキ肉を頬張り始めた父を見つめクスリと声を立てて笑った。
「ふふふっ……そっか。お父さんは私のことを南雲よりもずっと長く知っているもんね。ありがとう。私、これからもっと素敵な女性になれるように頑張るよ」
少し潤んだ瞳で微笑むあなた。この二人の間に包み込むような温かい時間が流れていた。こうして大切な誰かと『あの人』の話をすると決まって頭の中に彼の姿が鮮明に浮かび上がる。そしてふと、今頃何をしているのだろうと意識が彼の方へと寄せられていく。
(何をしてるのかな……、南雲)
実を言うと、私はあなたに相応しい女性だなんて思ったことは一度もない。それくらいあなたは魅力的で、眩しくて、いつもキラキラと輝いて見えたから。学生の時からずっとただの憧れとして尊敬する対象として、そして命の恩人として私は陰からその背中を見つめることしかできなかったのに。なのに今は私の手が届く距離で微笑み、優しく手を差し伸べて、その腕で強く抱きしめてくれる。こんなに幸せでいいのだろうかと、時折怖くなってしまうくらいに。
だからこそ、私の願いは――。
明日からあなたが四ツ村さんと長期任務に行く。
その話を聞いた瞬間から僕の心は少しモヤモヤしていた。四ツ村さんが一緒なら絶対に安全だとも分かってる。だけどやっぱり彼女のことが心配でたまらないのだ。
「よぉ、お疲れ。俺と大佛は一旦本部戻るわ……」
気怠げな関西弁で同僚が一仕事を終えた解散の合図を出す。
「はーい、お疲れー。僕はご飯食べて寄り道して帰ろっかなぁ〜。じゃあねぇ〜」
ひらひらと手を振って歩き出す僕に珍しく後ろから声がかかった。
「あ……そうや南雲、大佛とよく行くうまいラーメン屋あんねん。奢ったるから行かへんか?」
――数十分後。
活気あふれる店内のテーブル席で南雲は目の前の神々廻をニヤニヤと見つめていた。
「神々廻〜、どしたの? 神々廻からご飯に誘ってくれるなんて。いつでも誘ってくれたら喜んで付き合うのに〜」
「は? 嘘つくなや、お前」
「神々廻さん、このあと最近できたフラン・パティシエのお店いこ……」
「は? ……なんて? フラン……?」
「あ、大佛それ知ってる! フランスのスイーツだよね。フラン、僕も食べたーい。……あ! あなたに買って帰ろうかなぁ〜」
賑やかな店内に負けないテンションで盛り上がる三人(実質二人)
――結局、このあと三人仲良く今SNSで大バズりしているスイーツ専門店へ。るんるん気分の二人と約一名の足取りが重い男。
「えーっ! 抹茶やチョコレート、フルーツ盛り合わせもあるんだ……。あなた、どれがいいかなぁ〜」
「神々廻さん、私全種類食べたい……」
「……あんだけ大盛りチャーシュー麺食うて、まだ入るんか。そやな、食べ盛りやもんな……」
ショーケースに綺麗に並んだスイーツを眺めながら南雲は愛しいあなたの顔を思い浮かべる。きっと彼女も嬉しそうに一緒に食べてくれるはずだ。君が喜んでくれるならなんだっていい。
「あ、すいませーん。僕も全種類でお願いします」南雲がすかさず店員に声をかける。
「はい、かしこまりました! あの、お会計は――」「あ、一緒でいいですー。いくらになります?」
南雲と店員の会話に割り込むように、神々廻がシュッと間に割って入った。そしてそのまま財布からカードをスマートに取り出す。あまりにも無駄のない動きと予想外すぎる展開にさすがの南雲も驚きで目をパチパチさせていた。
それから三人は車に乗り込む。
南雲は後部座席から慣れた手つきでハンドルを握る神々廻の横顔に声をかける。
「神々廻〜、今日はいったいどうしたの? まさか、海外に転勤が決まったとか……そういうオチじゃないよね?」
「アホか。そんなん決まったら、俺はその日のうちにここ辞めるわ」
あまりにも珍しい同僚の接待に南雲はわざとあり得ない極端な質問をぶつけてみる。すると、隣に座る大佛が完全に真に受けた様子で目を丸くした。
「え……神々廻さん、どっか行っちゃうの……?」
「いや、行かんわ。……南雲、お前どこ送ったらええねん」
バックミラー越しに神々廻の鋭い視線が刺さる。南雲は少しだけ目元を緩め行き先を告げた。
「あ、あなたが今支部にいるから、そっちお願い」
神々廻はそれ以上今日こうして二人を連れ回して奢った理由を語ろうとはしなかった。ただ、無駄のないスムーズな運転で静かに車を走らせていく。明日からあなたが長期任務で遠くへ行くこと、それによって南雲の心が少しだけ軽くなっていた。
しばらくして車が支部の前に滑り込み停車する。
「じゃあね、二人とも。……神々廻、ありがとう」
いつもの調子でニコニコと微笑む南雲。降り際、運転席にいる男へ真っ直ぐに視線を向けた。神々廻は前を向いたままぶっきらぼうに呟く。
「……あなたさんとなかよーするんやで。ほな」
その言葉を残し車は滑らかに加速し消えていった。残された南雲は遠ざかるテールランプを静かに見つめながらぽつりと溢す。
「なんなの……一体。……ぷっ」
自然と口角が上がってしまうのを止められなかった。腕に抱えた全種類のスイーツの重みを感じながら南雲は愛しい彼女が待つ場所へと少しだけ歩調を早めて向かった。
あなたは会長と別れた後すぐさま支部へ戻り、山積みにされていた書類を手際よく片付けていた。張り詰めた集中力の中で少し目が霞んできた頃動かしていたペンを一度置き小さく背伸びをする。そのタイミングを計ったかのようにデスクの上の携帯が震えた。
『お疲れ様ー!今支部の給水室にいるんだけど、手が空いたら来て欲しい🥺』
南雲からのメッセージを確認し、あなたは残った作業を素早く整理した。数分後、周囲の職員に一言声をかけてから南雲の待つ場所へと足を向ける。
「もしもし、南雲? うん……今向かってるからちょっと待っててね」
逸る気持ちを抑えながら階段を駆け上がり給湯室のあるフロアへと急ぐ。廊下の窓際肘をついてぼんやりと外を眺めている南雲の姿が視界に入った瞬間、あなたの口角は自然と跳ね上がっていた。
「あ、あなた〜。お疲れ様〜」
「どしたの、いきなり。びっくりしたよ」
「まぁまぁ、ちょっときてきて」
嬉しそうに目を細めた南雲が、あなたの手を引いて室内へと促す。そして備え付けの冷蔵庫から先ほど神々廻が買い占めてくれた色鮮やかなスイーツを取り出し誇らしげに並べてみせた。
「一緒に食べようよ、あなた。どれにする?」
フロアの奥に位置する給湯室のドアを開けると幸いなことに中は無人だった。リニューアルされたばかりのこの部屋は、従来の給湯室というよりは洗練されたオフィスカフェのような居心地の良さがある。木目調のシックなカウンターテーブルが置かれ、小さな窓からは午後の穏やかな光が優しく差し込んでいた。あなたは、きれいに磨き上げられた流し台へと歩み寄る。
最新式の自動センサー蛇口に手をかざしひんやりとした水で丁寧に手を洗いながらあなたは仕事の緊張をほぐすように、そっと息を吐き出した。
南雲は冷蔵庫から出したケーキをじっと見つめるあなたの隣で、どこかそわそわとした様子で佇んでいる。
「美味しそう……凄いきれいだね。南雲はどれにする?」
「僕はなんでもいいよ。あなたが最初に選んで」
「え、じゃあ……フルーツが乗ってるのがいい、……いい?」
「ぷっ……だと思った! いいよ。あ、実はこれ、神々廻からなんだ」
「えっ!?」
思わず驚いて、同僚の顔を思い浮かべる。あの神々廻さんがこんなにも可愛らしい差し入れを……。今度会った時にはちゃんとお礼を言わなければと心に決める。
二人は他愛のない会話を交わしながら贅沢で些細な時間を共有した。南雲は目の前で本当に嬉しそうに顔を綻ばせ、ケーキの美味しさに感動している彼女の横顔をただ愛おしそうに見つめていた。
「……明日からだよね、。任務……無理はしないでね。何かあったら、すぐに駆けつけるから」
「えっ……あ、うん!……」
わずかに視線を泳がせたあなたの様子に南雲は「ん?」と不思議そうに首を傾げた。
「ううん、なんでもない。……会えなくなるの、寂しいね。あ、もうこんな時間。私そろそろ戻るね。ご馳走様、ありがとう」
腕時計を確認しそそくさと立ち上がってお礼を言う。使った食器をキッチンへと運び洗剤の泡で洗い始めたその時――背後からふわっと柔らかな温もりに包み込まれた。
「南雲……?」
両手が塞がっているため振り返ることもできず声だけで問いかける。南雲は何も答えないまま細い体を抱きしめる腕の力をぐっと強めた。
「……っ、南雲……?」
自分よりも一回り大きな身体に完全に閉じ込められ手が動かせなくなったあなたは戸惑うように声を漏らす。
「あなた、寂しくないの?」
耳元で低く囁かれた声音に心臓が跳ね、ビクッと身体が反応してしまう。
「寂しいよ、……南雲、手を拭きたいから、その……」
腕の拘束が緩み正面を向いて彼を見上げると、そこには大型犬のようにしゅんとしたひどく愛らしい顔をした南雲がいた。あなたはその切なげな瞳に愛おしさを募らせ、彼の大きな手のひらを両手で優しく包み込んだ。
「毎日連絡するから……ね?」
「あなた、ちゅーしていい?」
「っ、……! しょ、職場……っ、ダメ……!」
あなたは一瞬で顔を真っ赤に染め小さく首を横に振った。
「あはは、可愛い」
真っ赤にするあなたを見て南雲は満足そうにいたずらっぽく微笑む。そんな彼の子供みたいに愛らしい表情を見ていると、恥ずかしさよりも愛おしさが勝って、あなたの口元からも自然と笑みがこぼれてしまう。
どちらからともなく視線を重ね、二人は小さく吹き出すように笑い合う。
廊下を通り抜ける夏の風が見つめ合って笑う二人の影をいつまでも優しく揺らしていた。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。