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第8話

No.8 窮境の狭間で
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2025/11/27 04:11 更新
ひたり、ひたり。
耳元でやけに響くその足音は、どことなくこちらに近づいて来る感覚を覚える。一体何なんだ、気持ち悪い。苛立ちを誤魔化そうと毛布ごと引っ掴んで寝返りを打つも、耳の中に響き渡る不快音は鳴り止まない。だめだ、やっぱり眠れない。このままではせっかくの快眠を侵されると確信した僕は、隣ですやりすやりと気持ちよさそうに寝息を立てているお姉さんを起こさないように、できる限りの忍び足で寝室の外へと歩みを進めた。
主任
イデくん、お夕飯Eゲートに送付しておいたからね。食べ終わったら、プレートごと送り返してね
嘆きの島、地中深くに鎮座する研究所施設『S.T.Y.X.』。その奥深くにひっそりと佇む一室の前で、S.T.Y.X.技術部主任はインターホン越しに息子へと語りかけていた。あの事故以来イデアが自室に引き篭もり、誰かと関わることを拒むようになってから、既に6ヶ月が経っていた。食事は毎度部屋に通ずる特別なゲートから送付しているが、度々殆ど食されていない状態のプレートが送り返されてくることもある。イデアの部屋内には洗面台やユニットバスに自動洗濯機など、生活を送る上での最低限の設備は揃っているので生活の面で問題はない。
だがそういう問題では無く、やはり親心としては少しでも良いので元気な様子を見せて欲しいものなのだ。相変わらず何の応答も帰って来ないことに、主任は少し大袈裟に肩を落とす。
所員
主任、次回から始動する予定のシステムのプログラムについてなのですが
主任が来た道を重い足取りで引き返していると、一人の所員が駆け寄ってくる。慌てて彼女は母親から“技術部主任”に仮面を取り換えて顔を上げた。






その瞬間だった。凄まじい爆風と耳を劈く程の爆音がS.T.Y.X.内に鳴り響いたのは。
爆音の先に目を向けると、先程自身が近くにいたイデアの部屋の壁は木っ端微塵に破壊されていた。
状況を飲み込む間も無く先程の爆風によって吹き飛ばされ、周辺にいた主任や所員達が勢い良く壁という壁に激突する。背中から体を思い切り打ち付けたことで、奇怪な方向に折れ曲がった肋骨が主任の内臓に深く突き刺さる。堪らずえずくと口から血が入り混じった吐瀉物が溢れ出て、ヘルメット内に饐臭が充満していく。その匂いがさらに不快感を促進し、またえずきを繰り返すという負のループに陥っていた。
主任
(きっと、脊髄圧迫骨折だわ。このままだと、そう長くはもたない)
けたたましい警報音に赤色に灯るランプ、ジクジクと身体を波打つ鈍痛。心臓も異常をきたしたのか、血流が少しづつ低下していくのを感じる。
所員
B-105号室にて原因不明の爆発反応が発生、ご子息の生体反応が消失。所員たちは各自シェルターに迅速な避難を。所長方、カローン班は司令塔に直ちに集合願います。救護班はB-105号室周辺の所員たちの療治に当たってください。
薄れゆく意識の中で、緊迫して張り詰めたような声のアナウンスだけが耳から耳へとすり抜けていく。そんな状況下でも、イデアの身に何か命に関わることが起きたことだけは理解できた。自然と主任の目に、じんわりと数粒の涙が滲む。もしこのまま『あの子』と同じようにイデアも失ったら、自分はこれからどのように生きていけばいいのだろう。今の彼女には、ただひたすらに彼の安寧を祈ることしか出来なかった。
こうして絶望と切望の狭間の中、主任は意識をゆっくりと手放した。

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