第13話

Lara et Laura 1
328
2019/05/16 14:22


血圧の低い店長は、雨の日がひどく苦手だ。



天井のあるこの街には、天候なんてまるで関係ないように思える。
けど、青い顔をした店主の曰く、気圧の高低差は地下にいる方がよく分かる……らしい。

うーん、あたしが鈍感なのかな。
店員
あ、店長! 今日は色物の洗濯と、イザベルの補修で間違いないですよね?
店主
店主
うわっ、元気だね……
あたしの声が反響するのか、店主はうんざりしたように耳を塞ぐ。
店主
店主
……明日でいいよ、そういうの。今日は客もとらないし
店員
え? ……ああ、地上は雨ですか
店主
店主
多分。ほら、シャッター閉めて
脂と酒の匂いのする、埃っぽい地下街の外気を遮断した。

トタンのシャッターを閉めるあたしの視界の端で、店主がザラザラと錠剤を飲み下す。
店員
……それODって言うんですよ
店主
店主
なにそれ、知らないし
僕もう寝るよ
店員
ちょっと、店長!
あたし、今日は何してれば良いんですか
店主は心底面倒そうに肩をすくめた。どこからともなく取り出した中華風の扇子を開き、口元を覆う。
店主
店主
戸締まりさえしてくれれば外出も許可するし、読書でも編み物でも、なんでも好きなことをしていて良いよ
店主
店主
だから僕には構わないで、とにかく寝かせといて……
ふらふらと壁に手を付きながら進む店主を、扉の向こうに消えるまで見届ける。

細い身体が不規則に揺れていた。頼りない大人だ、と思った。




締め切ったシャッターの向こうから、まばらに足音が聞こえる。


店主の纏うスパイスの香りが無くなれば、客間は思っていたよりも広くて寒々しい。
主の居なくなった部屋は、どこか寂しそうに家鳴りを続けている。

孤独な午前の匂いがした。
店員
……あーっ!
沈黙とか、静謐とか、そういうの好きじゃない。
だから大声をあげて伸びをした。さっきまでの孤独感は、一度にどこかへ消え飛ぶ。


勝った。

何に、なのかは分からないけれど、子供らしい稚拙な征服感と非日常感があたしを高揚させた。
ふふふ、一人でにやにやと笑う。
Karine
Karine
--何してるの?
店員
わああっ!
背後から声を掛けられ、その場に尻餅をつく。

振り返った先には若葉色のおさげ髪。不意に安心して、あたし何やってたんだろ、と力が抜けた。
店員
……なんだ、カリーヌかぁ。びっくりした
Karine
Karine
びっくりしたのはこっちよ
カリーヌはませた仕草で腕を組み、小姑のように鼻を鳴らしてみせる。
かと思えば、次の瞬間には期待でいっぱいの笑顔をこちらに向けてきた。
Karine
Karine
ねえ、ねえ! てんちょー、今日は元気ないでしょう?
店員
そうだけど……どうして分かるの?
Karine
Karine
雨の日は髪がもつれやすいの。お店の外、雨だよね?
店員
……!
あたしは思わず口ごもって、煮え切らない返事で場を濁した。
店員
(もしかしてプーペたち、ここが地下街だって知らないの……?)
恐ろしい予感だった。
店主はプーペに隠し事をしているのかもしれない。もしこの仮説が合っていたら、それは、まるで--
Karine
Karine
じゃあさ、わたしたちの部屋に遊びに来てよ!
カリーヌの上擦った声に、強制的に意識を引き戻された。
店員
……え?
Karine
Karine
だーかーらー、今日はずっとひまなんでしょ?
それならわたしと……じゃなくって。部屋のおちびさんたちと遊んでやってほしいの
ああ、そういうこと。

寂しがり屋のカリーヌは、それでいて理屈っぽい。
こんな下手な口実でも付けないと、お雇い店員のひとりも部屋に招けないのだ。
店員
--いいよ。あたしも暇してたの
Karine
Karine
ほんと?!
嬉しそうに大きく身を乗り出した後、カリーヌは慌てたように身を引き咳払いをした。
Karine
Karine
……こほん。
ねえ、朝ごはんはもう食べた? --まだなの? わかった、それじゃお茶の準備しておくね
Karine
Karine
十時になったらペネロープが迎えに来るようにしておくわ
ここで待っててよね!のぞき見なんて許さないんだから
何度も振り返ってあたしに釘を刺しながら、カリーヌはランタンを持って出て行った。



予期せぬお茶の会に招かれたことで、あたしの心はすっかり浮き立っていた。

どんなお茶菓子が出るかな、あの子たち元気かな……あ、お土産も包んで行かないと。

市で買った筆付きの色鉛筆を薄紙で包む。
オーガンジーのような藍色の重なりに思い出したのは、あの瓜二つの双子のプーペだった。

アルバムの写真で見た事があるだけで、一度も会った事はない。きっと早く寝るプーペなのだろう。
件のアルバムを開き、ページをめくって探していく。

色のあせた写真のページで手を止める。
民族衣装に身を包む、藍色の髪のよく似たプーペが二体、ロココ調の長椅子に座っていた。


この子たちの名前は--

そうだ。ララと、ローラ。

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