第2話

父親視点
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2026/02/19 06:11 更新
俺には父親という役割に向いていないのかもしれない。

いや確実に向いていないだろう

娘が何を考えているのか昔からよく分からなかった。
泣いている理由も怒っている理由も黙っている理由も全てがわからない

聞けばいいのだろうが、聞き方が分からない。
余計なことを言ってしまいそうで結局何も言えなくなる。


仕事では分からないことは調べればいい。
できないことはできるまでやればいい。
答えはだいたいそこにある。

でも人間はそうじゃない。

俺は頭のいい人間じゃない。
底辺校と言われる高校のさらに特進クラス。
周りは「特進ならマシ」と言ったが、そんなことはどうでもよかった。
数字と俺のいる業界だけはなぜか裏切らなかったからそっちの道に進んだ。

気づけば同じ仕事を何十年も続けている
同じことを繰り返すのは苦じゃない
むしろ安心する

人付き合いは苦手だ。
何を言えばいいのかいつも分からない。
場違いなことを言って空気を止めることもある
どんな言葉が正しいのかわからなくなる

それでも仕事ができれば許される世界だった。
だから俺にとってはこの仕事が性にあっていた

娘は俺に似ているところが何個かある。
顔は真反対だが静かで一人でいるのを苦にしない
でも懐いた人にはマシンガントークになる
英単語を覚えるのは苦手だが興味のあることだけ異様に覚えていてその「こと」だけはまるで辞典のようだ
だが俺よりずっと生きづらそうに感じる

小学生の頃に学校からの連絡帳を見て妻がため息をついた夜に俺は何と言えばいいのか分からず隣に座ってた

「この子はただ怠けてるわけじゃないと思うの」

妻はそう言った。
俺はすぐに頷いた。

怠けている人間の顔じゃない
空気を読むのが苦手だが自分の子供だ
俺にはわかる
あれは頑張り方が分からない人間の顔だ

俺も昔そうだった。

自閉症疑惑があるようで
何をどの順番でやればいいのか分からず、
周りが簡単にできることに時間がかかり、
結局「やる気がない」と言われた。

違う。やり方が見えないだけだ。

娘の部屋の前を通ると明かりがついていた
ドアは少しだけ開いている

中をのぞくと机に向かって座っていた。
ノートは開いているが手は止まっている。
鉛筆を握ったまま動かない。

俺はノックをした
娘がびくっと肩を揺らす

「…分からないなら、分からないって言っていい」

それだけ言った。
余計なことは言わない方がいい気がした

娘はしばらく黙っていたが小さくほんの少しだけ頷いた。

それだけで十分だった。

来年通級になるかもしれないと聞いた。
正直よく分からない
だが助けてもらえる場所があるならそれでいい

世の中は普通の人間を基準に作られている。
俺と娘はたぶんそこから少しずれている。

でも、ずれている人間でも生きてはいける。
俺がそうだった。

部屋の電気を消す前娘の机の上にあったメモが目に入った。

「ゆっくりでいい」

丸くて弱々しく何かに怯えてる字だった。
たぶん自分に向けて書いたのだろう

俺はその紙をまっすぐに直た。
少し曲がっていたから。

それから小さく言った。

「その通りだ」

娘には聞こえない声で。
だが、俺にとっては、はっきりした言葉だった。

速くなくていい
普通じゃなくていい
たまには止まってもいい
どれだけ能力があったって頑張らない人よりも何億倍も偉いんだ

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