その日も、朝から雨が降っていた。
一度止んだかに思えた空は、午後になってまた灰色に戻っていた。
部屋の中は、昨日と変わらないまま。
窓は閉めきられ、洗濯物も乾かない。
カビくさいにおいと、息の熱だけが、部屋の空気に滲んでいる。
ピンポーン、とチャイムが鳴ったのは、14時過ぎ。
あなた「……誰?」
あなたちゃんがソファからゆっくり立ち上がり、モニターを確認する。
――『〇〇市役所・生活福祉課の者です』
胸に名札をつけた男性が映っていた。
30代くらい。メモ帳を手に、手袋を外そうとしていた。
あなた「……ナナ」
振り返ったあなたちゃんの声は、少しだけかすれていた。
ジェミンはその声を聞いた瞬間、ぴくりと反応した。
ジェミン「……なに?」
あなた「市役所の人。福祉課って……」
言い終わる前に、ジェミンの表情がすっと、冷たく沈んだ。
ジェミン「……なんで?」
あなた「わたし、何も……連絡とか、してないよ」
ジェミン「じゃあ、なんで来るの? “ここ”を知ってるの?」
あなたちゃんは小さく首を振った。
けれどジェミンは、もう視線をそらしていた。
部屋の空気が、一気に凍る。
ジェミン「……ここ、“バレてる”んだね」
あなた「違うよ、ナナ……なにか、たまたま。書類とか……そういう……」
その瞬間――
ドンッ
壁を叩く音。
ナナが突然立ち上がり、左手で机を払った。
上にあった空のコップが落ちて、床に転がる。
ジェミン「“たまたま”? ねえ、あなたちゃん、ナナとここで“隠れてる”ってわかってるよね?
誰にも知られないように、生きてるって、わかってるよね?」
あなた「……ナナ……こわい顔しないで……」
チャイムがもう一度鳴る。
ジェミンの目が、モニターに向いた。
ジェミン「……あの人、帰らせて。今すぐ。
“この部屋には、誰も住んでません”って言って。
“もういなくなりました”って言って。
“間違いです”って。
……それか、ナナが出ようか?
どういう人間か、ちゃんと“見せて”あげようか?」
その笑みは、静かだった。
けれど――“本物の異常”がそこにあった。
あなた「……わたしが、行く。大丈夫だから」
震える声でそう言って、あなたちゃんはゆっくりドアへ向かう。
ジェミンはその後ろ姿を見つめたまま、呟いた。
ジェミン「……ナナ以外の誰かと話すたびに、あなたちゃんの言葉、ナナから離れていく気がするの。
怖いよ、あなたちゃん……ナナの中から、消えないでね?」
その言葉を背中で受け止めながら、
あなたちゃんはドアを開けた。
冷たい雨のにおいが、一瞬だけ部屋に入り込んで――
外の世界の気配を、確かに部屋の奥まで運んできた。
ナナは、じっとその空気を睨みつけていた。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!