第2話

 ☆ 1-0 〖 黄昏の起床 〗 
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2026/03/01 09:45 更新
















「 ……起きろ 」



 誰かの手に、体が揺さぶられる感覚。
 まだ寝ていたいからやめてくれ。
 そんな心地で、低い唸り声を返した。

 呆れたような溜息が聞こえる。



「 随分と肝の据わった奴だな。
  おい、起きろ。死ぬぞ 」



 瞬間、ザッ、と眼前で凄まじい音が鳴った。
 咄嗟に目を開くと、そこには艶やかに光を反射する白刃。
 仰け反るようにして飛び退き、起き上がった。
 白刃を背の鞘に戻した男が、此方を見て溜息を吐く。



「 この荒野で眠り、あまつさえ声を掛けられても起きんとはな。
  世が世であれば、貴殿は身包み剥がれて猛獣の群れに投げ込まれていただろうよ 」



 銀にも見える、やんわりと青みがかかった白のフード付きマント。
 男の肩に乗った黒猫が、なあぅ、と興味無さげに鳴いた。



「 ……自分の名前は分かるか? 」



 すこし、自分の頭の中を探って。
 わからない、ゆるりと頭を振った。
 口を開いても、喉から声が出なくて、意思を知らせる手段が身振り手振り以外に無かった。



「 ……声も出んか。自分が何処に居たかは? 」



 わからない。
 また、首を振る。

 こめかみに皺を寄せた男が、喉の奥で声を飼い慣らした。
 絶妙に苛立っているのか、それとも困惑しているのかが分からないラインだ。



「 …記憶喪失、失語、こんな場所に倒れていた理由も不明……
  十中八九、訳ありだな。しかも込み入った、面倒で、それこそ俺が手出しするべきではないような… 」



 にゃあ、と、黒猫が、抗議するかのように鳴いた。
 男は瞼を閉じ、ゆるりと首を振る。「わかっている」とでも言いたげに。



「 騒がしいぞ、“観測者”。俺とてその程度は了承の上だ。 」

「 んにゃあ? 」



 「本当か?」と聞くように、黒猫が鳴き返した。
 それには返事を返さず、男はじっとこちらを見つめる。
 値踏みするような、覚悟を確かめるような、そんな色合いの視線で。



「 ……全く。此度のものは、杜撰にもほどがあるだろう…
  …尻拭いをさせられるのは遺憾だが、やらねばならんことは確かだ。 」



 手を差し伸べられた。



「 立てるか? 」



 迷わず、その手を取って、立ち上がる。
 黒猫がビーズのような空色の瞳を此方に向けて、なぁう、と一鳴き。
 しっぽが機嫌が良さそうに揺れていた。



「 …………俺に名乗る名は無いが…呼び名が無いのも不便だ。一応、教えておこう。
  “放浪者”と言えば大抵の者には通じる。“凶兆の者”、“星渡り”、“無郷の旅人”……
  “アトラスの来訪者”なんてのもあるが…まあ、覚えておくのは“放浪者”だけで十分だ。 」

「 なぁーう、ふにゃあ 」

「 こっちのことは“紫金山の観測者”と俺は呼んでいる。
  他は”黒猫”、“凶兆”、“吉兆”、“使い魔”……まあ、“黒猫”で十分だろう 」

「 んにゃぁっ! 」


 不服そうにぱしっと尻尾で“放浪者″を叩いた“黒猫“。
 人の言葉を解するような挙動だ。空色の瞳が、こちらを見ている。


「 名前…があっても、口が聞けねば言えまい。
  勝手に呼び名だけは決めるが、なにか不満はあるか? 」


 首を横に振った。
 自分の名前もわからなかった。


「 ″テルス“でどうだ。陳腐だろうが、俺に小洒落た感覚を求めてくれるなよ 」

「 にゃぁう 」

「 騒がしい。文句があるならお前がやれ 」

「 んにゃーぁお 」


 テルス。テルス。……テルス。
 唇を動かして、その名前を反芻する。
 不思議と、心の中にぽっかり空いたパズルに、ピースがはまった心地がした。


「 気に入ったか?それは重畳。
  さて…まずは貴殿の身元の確認から行うべきか。
  ナジュムバザールに行くか、星見邸に行くか……… 」


 黒猫がこちらを見る。「聞き覚えはあるか?」と言いたげに。
 首を振った。バザールは市場、星見邸は館か家だろう、とは想像はつくが。


「 ……そうだ。テルス、少し頭の中で誰かに呼びかけてみろ。 」


 なんでだ。
 とは言え、異論を言える立場ではないので、おとなしく頭の中でいるかも分からない誰かに呼びかけてみる。
 聞こえますか。誰かいますか。返事は返ってこなかった。


「 呼びかけに別の声が応えはしなかったか? 」


 首を横に振った。なんの声もしなかった。
 ″放浪者“は「そうか」とだけ言って、ゆるゆると首を振る。


「 ナヴィガトリアとすら面識がないか。難儀だな…… 」


 ナヴィガトリア?
 聞き馴染みのない単語に首を傾げた。
 誰かの名前なのだろうか。それにしては言いづらい。


「 そうとなれば、ナヴィガトリアに会うことが最優先か。
  テルス、歩けるか? 」


 頷く。体は動く。


「 そうか、なら良い。ここから少し進んだ場所に、人のいる場所がある。
  あそこであれば情報はある程度集まる。貴殿の意思表示についても、どうにかなるはずだ。
  着いて来れるか? 」


 頷いた。
 無に近い表情を静かに湛えていた端正な顔が、僅かに笑む。


「 幸いにもここはズヴェズダから遠い。戦火に巻き込まれはしないだろう 」


 はて、ズヴェズダとは?
 浮かべた疑問は疑問のまま。
 こちらに背を向けて歩き出した“放浪者″の背中を追う。

 変わり映えのない、平原の風景だ。
 黄金色に照らされた草木は、風に吹かれて揺れている。

 夏草や、兵どもが夢の跡。
 ふと浮かんだ一文だが……誰の、なんだっただろうか。
 鈍痛が頭を襲った。思い出せない。


「 なぁーぉ 」


 黒猫がひと鳴き。
 “放浪者″が歩みを止める。
 こちらも歩みを止めた。

 獣の匂いが風に乗って、ふわりと漂ってくる。
 獣の持つ特有の、独特な、あの匂い。
 それと同時に、ぐちゃり、べちゃりというような変な音もした。
 まるでインク……いや、泥を引き摺るような。


「 変異動物か……獅子? 」

「 んにゃ 」

「 ………いや、そうか。合成獣キメラだな 」


 確かに、一見はライオンに見えた。
 しかしその尾は蛇で、胴体はよく見ればヤギ。
 キメラ__神話にも名高い、怪物が、そこにいた。

 明らかに危険だとわかる、禍々しい、黒い泥のような何かをまとって。


「 テルス。確認の為聞くが、貴殿は戦えないな? 」


 即座に首を縦に振った。記憶も知識もないが、分かる。無理だ。
 険しい顔になった“放浪者″は、背中の鞘から白刃を抜き放つ。


「 おい、“観測者″。テルスを星見邸まで先導しろ! 」

「 にゃぁう 」

「 テルス、貴殿はこいつの後を着いて行け。俺もこれを片付ければすぐに行く 」


 “放浪者″の肩から飛び降りた黒猫が、こちらを見上げて尻尾をゆらゆらと揺らした。
 黒猫が“放浪者″の隣に並び立つ。″放浪者“が剣を構える。


「 行け!! 」


 瞬間、“放浪者“は泥の獣に飛びかかり、黒猫はその横を通り抜けて走り出した。

 一瞬固まったものの、言われた言葉を思い出して、黒猫のあとを着いて走り出す。
 後方から打撃らしき鈍い音と泥の音、獣の咆哮が聞こえてきた。
 足が鈍る。最悪を想像して、走る速度が落ちる。


「 なぁぅ 」


 前を走る黒猫が、ひと鳴き。

 「どうせアイツなら大丈夫だ」とも、
 「心配している暇があれば走れ」にも、
 「託されたものを無駄にするな」とも、聞こえた。


 足が、自然と動きはじめる。




 走って、走って、走って。

 肺と心臓が爆発するのでは、と思うほど走って、足がまわらなくなってきた頃。
 地平線の上に、大きな岩のような塊と、小屋のような影が見えた。


「 にゃあ 」


 「もう少しだ」と、黒猫が鳴く。
 その言葉通り、もう少し、足を動かして__その小屋の扉に、手を掛けた。












 ☆ Tips : Where ?

 “あなた”が目覚めたのは、アステーリ平原の中央に程近い箇所である。
 中央からの距離はナジュムバザールとトントンだが、ナジュムバザールとはそう近いわけでもない。
 ただし、アステーリ平原故に、やはり変異動物に襲われてしまった。





 ☆ Person : “放浪者”

 黒猫を連れ、青みがかかった白のマントと同色の瞳、黒に近い灰の髪を持つ男。
 “凶兆の者”、“星渡り”、“無郷の旅人”、“アトラスの来訪者”…等、名前が不明な割に呼び名が多い。
 年齢不詳。時間の感覚が明らかに人間と比べて可笑しい辺り、長命種と推測される。
 実は案外茶目っ気のある一面も。





 ☆ Trivia : 紫金山・アトラス彗星

 2023年に少々世間を騒がせた、長周期彗星。
 地球最接近時の明るさは、場合によっては金星をも超えた。
 その周期は約23万年とも、1.4億年とも言われている。
 2023年の周期で軌道が変わり、もう戻ってこないとも言われる。
 まあ軌道が変わろうが変わらまいが、どっちみち今を生きる地球人類には二度と見えないのだが。



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