深瀬あなたside
シン、と一瞬、保健室の中が静かになる。
北さんは不思議そうにこちらまで歩いてくると、私が押し付けた研磨の持っているネックレスを見て目を細めた。
私の方を向いて、一言。
その言葉に、古川が顔を歪めるのがわかった。
他でもないあの「北さん」の言葉。
質の悪い冗談を言うような人ではないと、この場にいる誰もが知っている。
「あの」と赤葦が控えめに声を上げた。
「それがどうしたん」と首をかしげる北さん。
角名が私から手を離すと、私はまた古川に詰めよった。
今度は誰も止めなかった。
悔しげに顔を歪める古川に対して、私は一言、どうしても言いたかったことを言う。
この言葉の意味を理解できたのは、きっとこの部屋の中で研磨だけ。
でも、それでよかった。
顔を青くする古川。
赤葦が立ち上がり、小さく会釈して保健室の外に出ていく。
古川の顔は見ない。
澤村さんに頭を下げて、さっさと保健室を出た。
今は、北さんの顔も角名の顔も、とてもじゃないけど見れない。
「ちょっとあなた」と角名の声が後ろで聞こえて、それを無視してスタスタと廊下を歩く。
途中、すれ違った宮侑がぎょっとした顔をしていたけど、構っている暇なんてなくて。
人気のないフリースペースの、自販機の陰で屈み込んだ。
ネックレスをきゅっと握り締める。
丸まって、小さくなって。
泣きたくて堪らないのに、涙が出てこない。
安心と怒りと、そんな感情がごっちゃになって心に巻き付いているような。
もわもわチクチクとした何かが、心に刺さって抜けないような。
膝に顔を埋めて、息がしづらい。
だけど、顔を上げない。
顔を上げると、すぐ側に北さんが立っていた。
いつものように真顔で、感情が読めない。
慌てて立ちあがろうとした時、目の前がボルドーカラーになった。
暖かい。え、なに?
少しして、北さんに優しく抱き締められているのがわかった。
その言葉に、なにかが壊れた。
次から次へと涙が溢れて、北さんのジャージを濡らす。
うぅ、ぁ、なんて、言葉になっていない嗚咽をもらしながら、高校生にもなってみっともなく泣いた。
ダムの壁が壊れたみたいに、溢れる涙は止まることを知らなくて。
ただ久しぶりに、温もりを感じた。
手の中に握られたネックレスを、更に強く包み込む。
怖かった。
これが無くなったら、私にはなにが残るんだろうと怖かった。
これは、お母さんを殺した私への罰だったのかとも考えた。
違った。
全部が身勝手な古川によるもので、あのとき古川が倒れなければ、私はネックレスを一生失うところだった。
ぼろぼろと泣きながら、嗚咽に間にそう呟く。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう。
たまに涙が勝手にでてくることはあっても、すぐ泣きやもうと我慢していた。
だからこんなに泣いたのは、もしかするとお父さんのお葬式以来かもしれない。
今は、いつものように止めようとしても止まらない。
抱き締められながら、小さな子供をあやすように頭を優しく撫でられる。
擽ったくて、ぬくもりが嬉しくて。
余計に涙が止まらなくなった。
ちら、と時計を見る。
確かにそろそろ閉まる時間…。
北さんにもう一度「すみませんでした」と頭を下げてから、お風呂セットを取りにマネージャー部屋に向かった。
部屋のドアを開けると、ちょうど出ようとしていたらしい雀田先輩とぶつかりそうになった。
お互いに「わっ」と後退る。
部屋の中で本を読んでいた清水先輩が、ぱたりと本を閉じて心配そうにこちらを見るのがわかった。
部屋の中にはこの2人以外いなかったようだ。
言い訳を考えたが、何も思い付かなかったので事実を話す。
というか、あの場には私と古川の他にも人がいたのだから、今誤魔化したところで明日この2人の耳にも入るかもしれないし。
それなら無駄に誤魔化して変な疑問を抱かせるより、事実を話した方が良いだろうと考えたのだ。
心配そうな顔をする2人を笑って振りきり、お風呂セットを持って浴場に急いだ。
脱衣所で服を脱いでいると、脱衣所の鍵をかけ忘れていることに気がついた。
やばば、腕の傷丸出しだぜべいべ。
鍵をかけようとドアに駆け寄った時、目の前でドアがガチャリと開いた。
いやお前かい!!
落ち着け私、テンションおかしいぞ…
取りあえず開けられたドアはソッコー閉めて鍵かけた。
向こうで古川が「あなた?なんで閉めるの…?」とか言ってるけど。
え、鶏?さっきの出来事もしかして忘れた??
ハッ、腕の傷!
……ギリ、見られてない…筈。
はぁ?と思いながら見て回ると、脱衣場のかごの陰に隠れるように薄桃色のポーチがおかれていた。
油性ペンで丸っこい文字で「みつき」と書かれている。
取りあえず上に長袖を着て、そうっとドアを開けて隙間からポーチを渡した。
引っ込めようとした腕を掴まれて、隙間から眉を寄せて軽く睨む。
すると古川は、とんでもない事を言い放った。
「なにもわかってない。話しかけてこないで」
そう言い捨て、腕を振り払って再度ドアと鍵を閉めた。
私が男目当てって言いたいわけ?
……いや間違ってはないけど!
男目当てで稲荷崎行ったけど!
でも赤葦とは自主練で話す程度だし、月島だって他の烏野1年と比べたら交流があるだけ。
古川の目は節穴なのではないだろうか。
というか、さっきの私の「これ以上、私からなにも奪わないで」を男のことだと勘違いしたわけ?
シャワーで落ちる黒いワックスを見ながら、ぼそりと地面に向かって吐き捨てた。
とことんムカつく人だ。
お風呂から上がっても下らないことで話しかけられたけど全部無視していたら、いつのまにか諦めたらしい。
それで良い。
明日1日大人しくしてくれれば、もう古川とは全国大会以外で会わなくて済む。
──あと、1日なんだ。
ほっとするような、寂しいような












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。