その日は朝からずっと雨だった。
窓の外は薄い灰色で、まるで景色に色が抜けたみたいだった。
柚ノ屋の縁側に座って、ぽつぽつと落ちてくる雨音を聞いていると、時間の流れがぼんやりしてくる。
昔は、こういうのを無駄な時間って思ってた。何かしてなきゃ意味がない、って。
でも今はむしろ、この無駄がやっと自分を呼吸させてくれてる気がする。
そんなことを考えている自分に、少しだけ驚く。
「洸人くん、そこ濡れるよ」
背後からかけられた声に、俺は肩をすくめる。
『……平気。雨は別に嫌いじゃねぇし』
「うん、でも風邪引いたらおかゆ作る羽目になるしね」
『作らなくていいっつってんだろ、毎回』
「でも、作るよ。それに……たぶん洸人くん、雨が嫌いじゃないだけで、好きってわけじゃないよね?」
何だよその言い回し。
でも、反論はできなかった。
それにしても、大夢は人の小さなとこばっか見てくる。
深く踏み込まないくせに、見てないふりをしないのがずるい。
『……ちょっと外行ってくる』
「傘、持ってってね」
『いらねー』
「いるよ。洸人くんはいらなくても僕が気になるから」
仕方なく傘を受け取って、俺は玄関を出た。
しとしと降る雨の中、どこに向かうでもなく歩き出す。
歩いて10分くらいのところにある小さな商店街。
昼時でも人は少なくて、昭和みたいな雰囲気が残ってる。柚ノ屋に来てからここに何度か買い物に来た。
今日もその一角、駄菓子屋の前で立ち止まると、見覚えのある顔があった。
『……あ』
小さな女の子が、ひとりで店先に座っていた。
傘も差さず、抱えてる紙袋がしっとり濡れている。
『おい。なんでこんなとこで…』
「……ママ、まだ来ないの」
目をこすりながら、小さな声でそう言った。
たぶん5歳くらいか。前にも一度、柚ノ屋の前で近所の人と一緒に通ってたのを見た記憶がある。
俺はため息をついて傘をそっと女の子の上に差し出した。
『ほら、濡れてんぞ。傘させ』
「……これお兄ちゃんの、濡れちゃうよ」
『俺のはどうでもいいっつーの。お前のが大事だろ』
思わず口調が強くなる。でも、女の子は不思議そうな顔をして俺を見上げた。
「……ありがとう」
その言葉に、胸がチクリとした。
たった一言。それだけなのに、なんでこんなに苦しくなるんだろう。
俺は女の子の手から紙袋を取り上げ、駄菓子屋の軒下まで連れていった。
濡れた前髪を指で拭ってやると、小さな手が俺のシャツをぎゅっと握ってきた。
『……マジで、そういうの無理』
「でも…お兄ちゃん優しい」
『優しくなんかねぇよ』
たぶん、東京にいた頃だったら見て見ぬふりをしてた。
そうやって生きてきた。
人の弱さも、寂しさも、面倒くささも、関わらなければ背負わなくて済む。
でも――。
『……ったく、あいつのせいか』
ポツリとこぼれる。
思えば、大夢に会ってから自分のめんどくさいスイッチがちょっとずつ狂い始めてる気がする。
「お兄ちゃん、誰の話?」
『……気にすんな』
少しして、女の子の母親らしき女性が慌てた様子で駆けてきて深々と頭を下げた。
「ほんとうにすみません……ありがとうございます」
『別に、何もしてないんで』
それだけ言って背を向けた。
そして、しとしと降る雨の中をまたゆっくり歩き出した。
帰る頃には全身がぐっしょり濡れていた。
玄関を開けると、ちょうどキッチンの奥から大夢が顔を出した。
「おかえり、洸人くん……って、あれ?傘貸したよね?」
『……悪ぃ、子どもにやった』
「子ども?」
『一人で濡れてたから。……うぜぇ、そういう顔すんな』
何も言ってないのに、大夢の目がふわっと優しくなる。それがなんか腹立つ。
「じゃあ、着替えてきて。夕飯できるまでまだ時間あるから」
『……風呂、借りる』
「お湯、張っておいたよ。帰ってくると思ったから」
『お前、やっぱウザい』
「うん、でも嫌いじゃないでしょ?」
言葉が出なかった。
嫌いじゃない。たしかにそう思った。
でもそれを口にするには、まだちょっと、時間がいる気がした。
雨の匂いが、まだ身体に残っていた












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!