第112話

▲10-5 静かな音
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2026/07/03 12:30 更新
静かな音が落ちた。

ただ、それだけなのに、
さっきまでのざらついた空気が、
嘘みたいに静まる。

ーー来る。

そう思った瞬間、テサンが、顔を上げた。
まっすぐに、迷いなく、こちらを射抜いてくる。


「……」


一瞬、息が止まる。
逸らそうとしたのに、視線が、外せない。
逃げ場なんて、最初からなかったみたいに。

その目は、笑っていない。
何かを、叩きつけるような、
ただまっすっぐな強い瞳。

次の瞬間、
掠れた、けれど酷く純粋なテサンの声が、鼓膜の奥に染み込んでくる。
それは指先で触れられたくない傷口を正確に撫でられるような感覚だった。
胸の奥の、一番深い場所にそのまま沈みこもうとしてくる。

これ以上、入ってくるな。

そう思うのに、
視線が、外せない。
耳も、閉じられない。

指先が、わずかに震えた。

ーーああ、だめだ。
何かが、決壊する。
もう、止まらない。


「……」


さっきまで、
必死に押し込めていた何かが、
ひび割れたみたいに、
じわじわと滲み出してきた。

……痛い。
そう思った瞬間、
理由もなく、溢れ出す。

最後の音が、静かに落ちる。
機械的な伴奏が途切れると、
部屋に響くのは僕自身の、みっともない嗚咽だけになった。
いつから泣いていたのか、自分でも分からない。


「……っ…ぐっ……ひっ……」


テサンは、何も言わなかった。
マイクを口元から外して、ほんの少しだけ息を吐く。

こちらを確認することもなく、無造作にマイクを置いて、ノートPCを覗き込んだ。

『人生は長いからさ、
新しい旅立ちのときが来たんだと、
割り切れよ、兄弟』
無言の背中で、そう言われた気がした。

黒豹みたいなテサン。
新しい友達。

何かを言いかけて……僕は、やめた。
ましてや握手なんて、彼は嫌うはず。
感謝なんて言葉や態度にすれば、
むしろ『やめろよドンヒョン』
と顔を赤くしながら、
たちまち所在なさげに逃げ出すに違いない。

形式なんてどうでもいいから、
その後の、お前の生き方で見せてみろ……

そう言うだろう。


さっきまで、あんなに苦しかったのに。
呼吸が、少しだけ楽になっていることに気づく。

……テサンの歌が、全てを変えたんだ。
胸の奥で、何かが音を立てて切り替わる。
僕を壊して、作り変えた。

大切なものを守るなら、子供のままじゃいられない。
痛みなんて、とうに覚悟の上だ。

ねえ、ウナク。
君はなんて言うだろう……?
「新しい挑戦だね」と笑うだろうか。
「そんな辛い選択は辞めて」と泣くだろうか。

君にもう一度会うためならば、
僕はなんでだってやる。

今までの幸せだった日々に、背を向ける。
もう振り返らない。

スピードを上げるためには、
たったひとつを残して、
あとは全部投げ捨てて走る。

血だらけでも、前に進むしかない。


……ああ、ウナク。

君だけは、どうかーー
その心に、平穏が在らんことを。

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