相変わらず最終下校ぎりぎりまで雑務をこなし、帰宅ラッシュ中の駅の中。
昨日聞いたばかりの心地いいテノールが耳に入った。
ぽんぽんと肩をたたかれてゆっくり振り返る。
整った顔をくしゃりと柔らかく崩して昴さんは笑う。
とくんと早くなった鼓動に気が付かないふりをしてさりげなく答える。
学校では笑うことなんて苦痛でしかないのに、どうしてこの人の前だと自然に笑えるんだろうか。
大きな騒音を立てながらホームに電車が滑り込んできた。
タイミングがぴったり重なってしまい昴さんの声はよく聞こえなかった。
目の前に停車する電車。
すでにたくさんの人がぎゅうぎゅう詰めになっているそこに、私も含めて、この中にさらにたくさんの人がこれから詰め込まれるのだ。
昨日の悪夢が若干フラッシュバックして、身体が少し震えた。
今笑った顔は不自然じゃなかっただろうか。
満員電車に乗ることへの恐怖と憂鬱感が頭の中でごちゃ混ぜになる。
ぷしゅーっと音を立てて目の前のドアが開く。
ぐしゃりと流れた人の波に逆らえなくて、まともに挨拶できないまま車内に流れ込んだ。
とんでもない圧迫感に息が詰まる。
近すぎる他人との距離に身震いしながら、電車が動くのを待った。
いつもより、少し呼吸が楽なのは気のせいだろうか。
普段ならドアと人との間に挟まれて苦しくて苦しくて、仕方がないのに。
上に視線を上げると、ばっちり昴さんと目が合った。
よく見ると、ドアに軽く手をついて私と人波の間にわずかながら隙間を作ってくれていた。
そういって、にっこりと笑った。
この人は、どこまでも優しい人みたいだ。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!