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第1話

『吸血鬼のご主人様と執事の社内密会』~m×k~
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2025/10/26 02:42 更新
『吸血鬼のご主人様と執事の社内密会』~m×k~

Side 康二

「いや、だから、なんで俺が執事やねん!」

オフィスの一角に設けられた即席の更衣室で、俺は姿見に映る自分の格好を見て思わず叫んだ。
ぴっちりとした黒のベストに、白いシャツ、そして首元にはきゅっと結ばれたアスコットタイ。おまけに、白い手袋まで嵌めさせられている。我ながら、なかなかに様になっているとは思う。思うけども、納得がいかない。

「だって康二似合うじゃん。それに目黒君が『康二は執事がいい』って言ったんだよ?」
「はぁ!?あいつが!?」

同期の女子社員からの無慈悲なタレコミに俺はさらに声を張り上げた。
元はと言えば、毎年恒例となっている社内のハロウィンパーティーで俺たちの部署は「洋館の住人」というテーマでコスプレをすることになったのが始まりだった。
魔女やメイド、ゾンビなど、それぞれが好きな役を選ぶ中、俺は「なんでもええわ」と完全に他人事だったのが運の尽き。気づいた時には、俺の衣装は執事服に決定していたのだ。

そして、その犯人が、よりにもよって俺の恋人である目黒だという。

「めめ……覚えとけよ……」

ぶつぶつと文句を言いながらも、パーティーの開始時間は刻一刻と迫っている。
諦めてため息をつきながら更衣室を出るとそこには俺をこの格好に仕立て上げた張本人が、壁に寄りかかって立っていた。

そして、俺はその姿を見て、思わず息を呑んだ。

「……めめ……」

黒いシルクのシャツに、深紅のベルベット生地のベスト。そして、身体のラインに沿うように仕立てられた、豪奢な刺繍入りの黒いロングコート。普段はナチュラルに下ろしている前髪は綺麗にオールバックにされ、普段よりも鋭く見える目元には、うっすらと赤いシャドウが施されている。
極めつけは、口元から覗く、小さな白い牙。

吸血鬼。
陳腐なテーマのはずなのにめめがやるとまるで本物の何百年も生きる美しい夜の王のように見えた。あまりの格好良さにさっきまでの怒りなんてどこかへ吹き飛んでしまう。

「……なに、その顔。もしかして見惚れた?」

俺が呆然と立ち尽くしているとめめがにやりと意地悪く笑いながら近づいてきた。
その仕草一つで、周囲の女子社員たちが「きゃあ!」と小さな悲鳴を上げるのが聞こえる。

―――ちくしょう、俺の恋人なのに。

「……アホか。ただ、似合いすぎやろって思っただけや」
「ふふ、ありがと。……康二もすごく似合ってるよ。俺の忠実な執事くん」

そう言って、めめは俺が嵌めている白い手袋の上からそっと指を絡めてきた。
その囁きと、絡められた指先の熱に、心臓がどきりと大きく跳ねる。


―――あかん、こいつ、パーティーが始まる前からエンジン全開や。

「……誰がお前の執事や」
「え、違うの?俺が選んであげたのに」
「知ってる!」

今更ながらに怒ってみせてもめめは楽しそうに笑うだけ。
俺たちはそんな風にじゃれ合いながら、パーティー会場となっている大会議室へと向かった。

今年のパーティーは、例年以上に気合が入っていた。
薄暗く照明が落とされた広い会議室は、蜘蛛の巣やジャック・オー・ランタンで飾り付けられ、テーブルには豪華な料理やカクテルが並んでいる。DJブースまで設置され、重低音の効いた音楽が鳴り響いていた。
様々な仮装をした社員たちが、談笑したり、写真を撮ったり、思い思いに楽しんでいる。

「うわ、すごいな、今年!」
「ね。人事部頑張ったみたいだね」

俺たちも、すぐに人だかりに巻き込まれた。

「目黒様、血を吸ってください!」「康二執事、こちらのワインをどうぞ!」などと、皆がそれぞれのキャラクターになりきって話しかけてくる。

めめはその度に完璧な吸血鬼スマイルを振りまき、俺は「滅相もございません、お嬢様」などと、慣れない執事言葉を使いながら、てんやわんやだった。

特に、めめの周りはすごかった。

普段から社内でも一目置かれるイケメンが、今日は輪をかけて妖艶な美しさを放っているのだから、無理もない。
色とりどりの衣装を着た女性社員たちが、ひっきりなしに彼に話しかけツーショットをねだっている。

その光景を少し離れた場所から眺めながら俺は少しだけ、胸がチリっと痛むのを感じた。

分かっている。これはただのパーティーで皆が楽しんでいるだけ。

めめも、仕事仲間としてうまくやっているだけだ。
でも、俺の知らない顔で笑うめめを見るのは、やっぱり少しだけ、面白くない。
俺だけのものやのに、なんて。そんな独占欲が、むくむくと湧き上がってくる。

「……あーあ、暇やなあ」

誰に言うでもなく呟き、俺はテーブルに置かれていたカシスオレンジを手に取った。
カクテルの赤い色が、めめのベストの色と重なって見えて、また胸がざわつく。

「康二くん、一人?」

ふいに声をかけられ振り向くと、経理部の先輩が、可愛らしい魔女の格好で立っていた。

「あ、お疲れ様です。いやあ、うちの主人が人気者なもんで、放置されてますわ」

俺が執事のロールプレイに乗っかって自嘲気味に言うと、先輩はくすくすと笑った。

「本当に、目黒くんすごい人気だね。でも、分かるなあ。今日の目黒くんなんだか近寄りがたい色気があって、ドキドキしちゃう」
「……そうですかねえ」
「そうだよ。……でも、そんな目黒くんが、いつも康二くんのことばっかり見てるの、知ってる?」
「……え?」

先輩の思わぬ言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げた。
俺が、めめを?いや、めめが、俺を?

「ほら、今も」

先輩に促されるままに、恐る恐るめめの方へと視線を向ける。
確かに、彼は数人の女性社員に囲まれて談笑している。

けれど、その視線は、真っ直ぐに、俺の方を向いていた。目が合った瞬間、彼は周りには気づかれないように、ほんの少しだけ口角を上げて、悪戯っぽく笑ってみせた。

その瞬間、カッと顔に熱が集まるのが分かった。
心臓が、うるさくてたまらない。
あいつ気づいとったんか。俺が拗ねてたこと。

「ふふ、ごめんね、お邪魔だったみたい。私はあっち行ってるね」

先輩はすべてを察したようにウインクを残して去っていく。
一人残された俺は、どうしようもない高揚感と少しの恥ずかしさでその場に立ち尽くすことしかできなかった。

パーティーは、中盤に差し掛かり、部署対抗の仮装コンテストが始まった。
俺たちの部署は、めめの圧倒的なビジュアルのおかげで見事優勝をかっさらった。

景品の高級シャンパンが開けられ、会場のボルテージは最高潮に達する。

俺もめめも、ステージの上で散々いじられシャンパンを浴びるように飲まされた。

アルコールのせいか、会場の熱気のせいか、それともめめの視線のせいか、身体がずっと火照っている。

コンテストが終わり、自由時間に戻った頃、不意にめめが俺の腕を引いた。

「え、ちょ、めめ!?」
「康二、ちょっと来て」

有無を言わさぬ力強さ。彼は周りの喧騒には目もくれず、俺の腕を引いて、人混みをかき分けていく。

「どこ行くん!?」
「いいから」

短い返事だけを残し、彼は大会議室の出口へと向かう。ざわめきと音楽が少しずつ遠ざかり、俺たちは薄暗い廊下に出た。

ひんやりとした空気が、火照った肌に心地いい。

「……もう、なんやねん、急に」

俺が文句を言うと、めめはくるりと振り返り俺の身体を壁に追い詰めた。

ドン、と彼の手が俺の顔の横の壁につかれ、逃げ場を失う。いわゆる、壁ドンというやつだ。

「……さっき、拗ねてたでしょ」
「……は?拗ねてへんし」
「嘘。ずっと見てたんだから、分かるよ。俺が他の子と話してる時、すっごいつまらなそうな顔してた」

図星だった。まさか、あんな人混みの中で、俺の表情まで読み取っていたなんて。

「……別に、そんなんじゃ……」
「ふーん?じゃあ、なんでそんなに顔、赤いの?」

ぐい、と顔を近づけられ、吐息がかかるほどの距離で見つめられる。

オールバックにしたことで露わになった彼の力強い瞳が、俺を射抜くように見つめていた。もう、心臓は限界をとうに超えている。

「……うるさい……。アルコールのせいや」
「へえ。……じゃあ、これも、アルコールのせいかな?」

そう言うと、めめは俺の顎にそっと手を添え、顔を上向かせた。
そして、吸い寄せられるように、彼の唇が近づいてくる。
まずい。ここは会社の廊下だ。誰が見ているか分からない。

「めめ、だめ、ここでは……っ」

俺が必死に抵抗しようとした、その時。

「……冗談だよ」

ちゅ、と。
彼の唇は、俺の唇のほんの数ミリ手前で止まり、代わりに、俺の鼻先に、可愛らしい音を立ててキスを落とした。

「……へ?」

拍子抜けして固まっている俺を見て、めめは満足そうに笑う。

「康二のそういう顔、見たかっただけ」
「……めめ、ほんまに性格悪いな!」

俺が本気で怒ると、めめは「ごめんごめん」と笑いながらも、その瞳は全く反省していなかった。

「でも、本当はキスしたかったし、その先も、したかったよ。康二が、あんまり可愛い格好してるから」

彼の指が、俺の首元のアスコットタイを弄ぶように撫でる。その仕草だけで、身体の奥がずくりと疼いた。

「……こんなとこで、できるわけないやろ」
「だよね。……だから、場所、変えよっか」
「場所?」

「うん」と頷くと、めめは俺の手を取り、再び歩き出した。今度は、さっきよりもずっと優しい手つきで。

「どこ行くねん?」
「いいところ。静かで、誰も来なくて、二人きりになれる場所」

意味深な言葉に、俺の鼓動がまた跳ねる。
彼が向かったのは、パーティー会場とは反対側の、普段はあまり使われていない旧館エリアだった。ひっそりとした廊下には、俺たちの足音だけが響いている。

そして、彼が足を止めたのは、ある一つの部屋の前だった。

『第一会議室』

プレートにはそう書かれている。

ここは、重役会議などで使われる、一番格式の高い部屋だ。
防音設備もしっかりしていて外の音はほとんど聞こえない。

そして、この時間に使っている者など、いるはずもなかった。

「……ここなら、誰も来ないよ」

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