路地裏の薄暗い影の中、藍は視界を遮る帽子の庇を、不器用そうに指先で押し上げた。
首元には愛用のヘッドホンがぶら下がり、使い込まれた赤と白の帽子が、彼女の小さな頭にぶかぶかと乗っている。
頬をわずかに膨らませ、不機嫌そうに上目遣いで少年を睨む。
液晶の光しか知らなかった透き通るような肌が、マサラタウンの柔らかな木漏れ日に照らされていた。
藍を引っ張ってきた少年の動きが、ぴたりと止まった。
彼は数多の冒険を切り抜け、伝説のポケモンと対峙しても物怖じしなかったはずだが、
至近距離で向けられた「世界1位」の意外すぎるほど年相応で、無垢な少女の表情に、一瞬だけ言葉を失う。
少年は心の中でそう零した。
藍は無自覚だった。今までバトルと冒険に明け暮れ、人と深く関わることがなかった藍にとって、
その真っ直ぐで濁りのない視線が、どれほど「計算外」の破壊力を持っているかということに。
藍はその名を聞いた瞬間、脳内のデータベースが高速で火花を散らした。
彼女の視界には、少年の頭上に浮かぶ【サトシ:Lv. ???】という、
読み取り不能なバグのようなテキストが表示されている。
現実のプレイヤーたちが「効率」を求めて闊歩する一方で、
その中心には物語の主人公が実在している。
藍にとってこれ以上の「異常事態」はなかった。
藍は帽子の庇をさらに深く下げ、赤くなった耳を隠すようにヘッドホンを耳に戻した。
計算で導き出せない「主人公」という不確定要素を前に、
世界1位の心拍数は、ほんの少しだけ予定外の数値を叩き出していた。














編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!