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第1話

クワガタとカフェラテ
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2025/08/04 15:32 更新
――午後三時の陽光が、ガラス窓から柔らかく差し込む静かなカフェ。  
木のテーブルに反射する光が、琥白のたくましい手の甲を照らしていた。

「……今度、その……ミヤマクワガタが羽化したんだ」

そう切り出した琥白の声は、いつになく控えめだった。彼の腕は日焼けし、鍛えられた筋肉がシャツの袖を押し上げている。だが、琳凰の反応をうかがうような目は、まるで迷子の少年のようだった。

カウンターの奥から、琳凰がぎこちなく笑う。

「そ、そう…。よかったね、うん」

彼女の手の中には、いつものように繊細なラテアートが施されたカフェラテ。だがその指は、ほんの少し震えていた。虫の話題が来るのは分かっていた——来ないわけがない。それでも、彼の来訪を断れなかったのは、カフェラテの香りと同じくらい、彼の存在がもう日常に混ざってしまっていたから。

「……見てみたい?」

「絶ッッ対に嫌!!」

声が跳ねた。店内にいた他の客がチラリと視線を向けたが、ふたりは気にする様子もない。琳凰は顔をしかめて、怖がりながらも正直だった。

「……うん。そこだけはぶれないね、琳凰」

琥白がかすかに笑った。彼の笑顔は、岩のような顔に不釣り合いなほどあどけなかった。その顔を見ると、琳凰はギュッとラテのカップを持ち直した。

「ちょっとずつ、克服…とかはあると思うけど。いきなりクワガタとか、無理なの。命に関わる……精神的に」

「じゃあ、ダンゴムシから始めるか?」

「ばっっかじゃないの!? もっと無理だよ!!」

店内に笑い声が広がる。笑ったのは、ふたりだけだったが、それで十分だった。

琥白がそっとテーブルの中央にポンと何かを置いた。

「これ。虫じゃないから、安心して見て」

琳凰は警戒しつつも覗きこむ。小さな銀のペンダントトップ。羽を広げる蝶の形。だが作りは繊細で、まるで虫とは思えないほど装飾的だった。

「……なにこれ」

「お守り。虫と向き合えるように――ってのは建前で。実は、あんた用の“間接的謝罪の印”」

琳凰はクスリと笑ってから、カップを口に運ぶ。

「ありがと。でも、やっぱムリなもんはムリだからね? クワガタ持ってきたら即出禁だから」

「あはは、怖い」

ここには、虫は持ち込めない。
だが、虫好きの男と、虫嫌いのカフェ店主のあいだには――少しずつだが確かな何かが、育ちつつあった。
それは虫のように小さく、カフェラテの泡のように儚いけど、確かだった。

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