緑谷視点
宿へ戻った後、夜凪さんはすぐに治療を受けた。
結果は幸いにも大事には至らず、足に少しヒビが入っているだけだった。
しばらく安静にしていれば治るらしい。
その報告を聞いて、みんなが安堵していた。
もちろん僕も。
でも。
僕の頭から離れなかったのは別のことだった。
あの時。
森の中で見つけた水の蝶。
誰よりも先に反応したのはかっちゃんだった。
蝶を見た瞬間。
迷いなく飛び出した。
考えるより先に身体が動いていた。
あんなかっちゃんを、僕は初めて見た気がした。
夜。
宿の外。
みんなが寝静まった頃。
僕は一人で外に出た。
するとそこに先客がいた。
木にもたれながら夜空を見上げている。
かっちゃんだった。
いつも通りのぶっきらぼうな声。
でも今日は引き下がるつもりはなかった。
僕は隣に立つ。
しばらく沈黙が流れた。
虫の鳴き声だけが聞こえる。
そして僕は口を開いた。
かっちゃんは面倒そうな顔をした。
だけど僕は続ける。
かっちゃんの表情が固まった。
沈黙。
返事はない。
普段なら怒鳴られているかもしれない。
けれど今日は違った。
かっちゃんは空を見上げる。
そして。
長い沈黙の後。
そこで言葉が途切れる。
かっちゃんは舌打ちした。
まるで自分に苛立つみたいに。
その一言だけだった。
でも十分だった。
僕は少し笑った。
やっぱり。
そうだったんだ。
僕はずっと気づいていた。
そして。
自分の気持ちにも。
僕は真っ直ぐかっちゃんを見た。
逃げるつもりはなかった。
隠すつもりも。
かっちゃんを見据える。
ライバルとして。
友達として。
そして同じ人を好きになった者同士として。
しばらく沈黙が続いた。
やがて。
かっちゃんは小さく笑った。
本当に小さく。
挑戦を受ける時の笑い方だった。
自分の気持ちに嘘をつかないだけだ。
月明かりの下。
二人の少年は静かに向き合う。
そしてそれは――
長いライバル関係の、新しい始まりだった。












編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!