第6話

Ep5 ... 2017.09 Hellevator 途中から🦊視点
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2026/02/06 01:38 更新


「そろそろ8時か、帰るかな」


練習室にかけられた時計を見上げ、夕方から続けていた練習を切げ上げることにした。壁際に置いておいた水のボトルを手に取り、ごくごくと飲み干す。



いくら練習しても足りないって焦りばっかだな。



PDニムから出された課題の評価日は着々と近づいてきている。近づけば近づくほど、焦りと不安が増していくのはなぜだろう。

ショーケース以降、あの優しい夢もみることがなくなっていた。子どもたちの姿を思い出すと会えない今がとても寂しくなる。
一方で、夢の中のStray Kidsとやらに惑わされることはなくなった。見なければ、結局あれは夢に過ぎず、現実にはないものだと思えたから。


コンコン。


ぼうっと宙を見つめていたら、ノック音がして扉が開く。
返事がなくても俺がいる部屋の扉を開けるやつは、高確率であいつしかいない。


「あなた、ちょっといい?」


ノーパソ片手に入ってきたクリスに頷けば、早足で近寄ってきたクリスは俺の隣に座り込み、


「これ、聞いてほしいんだけど」


と練習室の床にノーパソを置いてファイルを開き始める。
俺はクリスの後ろに座って、その背中に自分の背中を預けて腰を下ろす。「あなた、これ」と肩越しにクリスがイヤホンを片方渡してきてそれを耳に差し込む。


「作曲家ヒョンたちがガイドを作ってくれたんだ。最初にあなたに聞かせたくて」


そういったクリスは俺の返事は特に必要としていないらしく、そのまま音源を再生する。元のメロディーはメンバー全員で以前聞いていたけど、そこに編曲が加わって、ジソンとビニが書いたという歌詞が乗せられている。

次から次へと耳に流れ込んでくるその歌詞に、俺は思わず胸元のシャツを握りしめた。聞けば聞くほどぐっと胸が詰まり、鼻の奥がツンとして、目元が熱くなる。

今、泣いてはいけない。そう思うのに耳に流れ込んでくるガイドが、苦しくて、悲しくて、でも、嬉しくて。
俺は被っていたキャップを下げて、顔を隠した。




なぁ、クリス。この曲が作れたってことは、お前はあのときの地獄から、這い上がれたんだよな。




「どう、かな?」


曲が終わって、そう聞いてくるクリスに、俺は自分の声が震えていないことだけを願った。


「No doubt. You are the best.」


俺が、今心に感じている全てのことを詰めて、そう言った。


「Thanks, あなた.」


背中越しのクリスは、顔が見えなくても、間違いなく照れたように柔らかく笑っている。
こいつがこうして笑っていること、それだけでも奇跡だということを俺は知ってる。
クリスが作ったこの曲を、俺は一生忘れないだろう。



---------------



翌日、クリスはメンバー全員にガイドを聞かせた。
反応は上々で、大満足と言ってもらえて拍手までもらえたクリスは照れながらも、ほっとした笑みを浮かべていた。

夜宿舎に帰ったあとも、緩んだ顔が隠せないクリスに「お前らスリラチャは本当にすごいよ。俺らのグループの宝だな」と俺が言えば、「編曲に悩んだ甲斐があったよ」と返すクリス。
評価日に向けて高まる緊張と、不安と、責任感に日に日にピリピリとし始め、時には寝れない夜を過ごしていたこいつを見ていた身からすると、今日の安心しきった顔を本当に嬉しく思う。


「でもさ、本当にこの高音部分どうしよう」
「ジソナに任せたとはいえ、な」


さっきまでの穏やかな表情は一変し、真剣な顔になるクリス。難関個所を引き受けた時のジソンの様子も気がかりだ。


「クリス、お前なら当然わかってるだろうけどよ。あいつを追い詰め過ぎるなよ。ジソンならなにがなんでもやるだろうよ。でも、ジソンの力を信じてあいつに努力してもらうことと、ジソンしかできないって逃げ場を奪うことは、全く違げぇからな」
「うん、わかってる。今回は負担をかけすぎてる、よね。でも、俺、他にいい方法が全然浮かばないんだ....」


肩を落としていうクリスに、俺は無言で頭を撫でる。


「お前も十分よくやってるよ」


作曲も作詞も編曲も、プロデュースに関わることは一切やらない俺からは、それくらいしかかけてやれる言葉がなかった。



---------------



そんな話をしたわずか数日後のことだった。

今日の全体練習はクリスの当たりが特にキツイ日だった。
評価日まで2日しかない焦りからきたものだというのは全員よくわかっている。それでも、ジョンイン1人に矢のように向かっていった叱責に、場の空気が凍りついていたのは間違いなかった。




俺は深夜のシンとした会社の廊下を黙々と歩く。
まぁ、クリスは大丈夫だろ。
そう思いあいつは宿舎に置いてきた。今頃ジソンとビニと話し合いでもしてんだろ。
それよりも様子を確認したいのは、この先の練習室にこもっているジョンインだ。
ダンス練のときの焦って追い詰められたあいつの顔が脳裏にこびりついている。

気持ち早めに歩を進めていたら、暗い社内の中、煌々と光る扉が1つある。そしてその扉の前に、中からは見えないような位置に、立ち尽くしているミノがいた。

足音で気づいたのだろう、顔をあげて俺を見たミノは、どうしたらいいかわからないという戸惑いの表情を隠さなかった。なにも言わずに俺と練習室を交互に見やる。
そんなミノの肩を叩き、俺も無言で練習室を覗き込む。中には荒い息に肩を弾ませながら、膝に両手をついたジョンインがいて、完全に下がった頭から顔は見えなかったけれど、その背中は重苦しく、今にも崩れ落ちそうに見えた。


「ヒョン、俺...」
「ここはヒョンに任せとけ。落ち着いたら入ってこい。お前も力になりたいんだろ」
「ッ....はい」


ミノの肩をぽんぽんと叩き、俺は練習室の扉を静かに開けた。
足音にすら気づいていないジョンインに近づき、その背中にぽんと手を乗せれば、ボタボタと床に落ちる水滴と、苦しい嗚咽が漏れ聞こえてくる。


なぁ、ジョンイナ、ヒョンはお前の助けになれるかな。



---------------



🦊視点


「くそっ!」


深夜の練習室、何度も何度も繰り返し踊ってみても、全然自分が踊っている振りが、音に合っている気がしない。ゼェゼェと上がる息に、思わず悪態が口から飛び出る。
1日中踊り続けた身体は鉛を飲み込んだように重くて、両手を膝につく。練習室の床を見つめれば、身体がそのままのめり込んでしまいそうな気がした。


早く身体を起こさなきゃ。


そう思うのに、まるで大きな手に背中を押し潰されているかのように動けない。



「다시 다시 다시 다시!」
「ジョンイン、お前だけ遅れてる」
「今、お前だけが揃ってないから目立つんだよ」



チャニヒョンの厳しい声と鋭い視線が頭の中をぐるぐると回る。



わかっている。自分がなによりもわかっているんだ。


自分だけほかのメンバーより歌もダンスも劣っている。
全然力が足りていない。
今までの努力を経て、他のメンバーはみんな自分の役割をしっかり果たしているのに。
どうすれば…。


ただただ気持ちは焦って。


もっと練習しなきゃ.....


そう思うのに、もう身体が1ミリも動かなかった。


俺は.......。




そのまま気持ちも体も倒れていきそうになったとき、



ポンッ。



背中に温かいなにかが触れた。


「よぉ、ジョンイン。練習なら付き合うぜ」


ああ、あなたヒョンだ。
ヒョンの手が、背中に乗っている。


そう思った瞬間、涙がボタボタとこぼれ落ちていた。
必死に唇を噛みしめるのに、抑えきれない嗚咽ごと、一緒に床にこぼれ落ちていく。

ヒョンはなにも言わなかった。でも、背中に当てた手を離さないでいてくれた。



---------------



「ヒョン、ごめんなさい」


少し落ち着いたころ、あなたヒョンの手が俺の腕を取って、背中を支えながら体を起こしてくれた。身体は重しを乗せたように相変わらず重かったけれど、ヒョンの手を支えに壁際まで移動し、並んで鏡に背をつけ座り込んだ。


「なにが?」


俺の第一声に、ヒョンは俺のことをみることもなく、軽く答える。


「こんなに情けなく泣いちゃって」
「泣けて、よかったんじゃねーの?溜め込むばっかじゃ、沼からは抜け出せねーぞ」


ははっと笑うあなたヒョンは、俺をまっすぐ見つめると、腕を伸ばして、スウェットシャツの袖で俺の顔をゴシゴシと擦った。


「ヒョン、汚れちゃうからっ」


慌てて止めようとするけど、ヒョンは「洗えばいいだろ?」となんでもないことのように拭き続ける。


「おら、飲め」


最後には顔の皮膚が剥がれ落ちるんじゃないかってくらい拭かれたかと思うと、ヒョンがなにかを俺に向かって放り投げる。焦って受け止めれば、水のボトルだった。


「出した分だけ補給しとけ」
「ヒョン、고마워요.」
「おう」


ニカッと笑ったヒョンはそれ以上はなにも言わず、前を向いて、ただ隣に座ってくれていた。







「あの、ヒョン。俺のダンス、見てくれませんか」


数分だったのか、数十分経っていたのか、俺の口からはするりとそんな言葉が滑り落ちていた。
普段、ヒョンたち対して、こんな簡単になにかをお願いすることなんてできない。でも今は迷う暇もなく言葉は俺の中から流れ出てきた。


「당연하지. 해줄게, ジョンイナ」



そのときのヒョンの優しい顔に、止まった涙がまた溢れそうだった。




俺が会社に入社したとき、あなたヒョンはチャニヒョンと肩を並べて有名な練習生だった。
顔がとにかくとてつもなく綺麗で、スラッとした等身、王子様な見た目なのにボーカルではなくラップ担当。練習生生活はチャニヒョンに次ぐ長さで、誰もが認めるチャニヒョンの親友。近寄りがたくて、話しかけることすら難しかった。

チャニヒョンに誘われて、このチームに参加してから、あなたヒョンとの距離も少し近づいて、その見た目に反してかなり口は悪いこと、誰に対しても一線を引いているけれど、それを越えればかなり情に厚い人だということを知った。

宿舎でもジソニヒョンとの同室問題ではたくさん助けてくれた。いつもマンネである俺が追い詰められないように、手を差し伸べてくれる。


「あなたヒョン、정말 고마워요.」
「気にすんな。時間ももったいねぇし、さっさと練習しようぜ〜」


そういって俺の手をとったかなヒョンはぐいっと力強く引っ張って立ち上がらせてくれる。


「よぉ、ジョンイナ、俺ら最強の助っ人も手に入れたみたいだぜ」
「え?」


ニヤリと笑って出口のほうに目を向けるかなヒョンにつられて俺もそちらを見れば、ちょっと遠慮がちに下を向いて、気まずそうに頭をかきながら入ってくるミノヒョンがいた。


「ミノ、ヒョン?」
「なんか、俺でも手伝えることあるかなって」


最後には照れくさそうにそういうヒョンに、じんわりとした温かさが胸に広がる。


「手伝えるどころじゃねぇだろ。ミノがいたらうまくなるしかねぇな。俺らのダンスリーダー様だ」


俺の手を離してミノヒョンの肩に手を回すあなたヒョン。
離れた手の温もりに、少し心もとなさを感じながらも、俺は2人のヒョンに頭を下げた。


「あなたヒョン、ミノヒョン、よろしくお願いします」
「おう」
「頑張ろうな、ジョンイン。ディテール、詰めていこう」


この夜、日が昇るまで何度も何度も粘り強く指導をしてくれたこの2人のヒョンへの感謝は、一生忘れられない。
そして、この夜に、俺は遂にHellevatorに乗りこむ第一歩を踏めた気がしたんだ。




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