第28話

リウ/海のような愛(4)
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2024/06/23 11:00
リウside

 《リウヤ、ただいま》

 彼女の元から逃げた後、家に帰っても、何も手につかなかった。

 いつの間にか父さんが帰ってくる時間になっていたらしい。

RW「…おかえり」

 《母さんのところに行ってきたよ》

RW「……そう、母さんの様子は?」

 《だいぶ落ち着いたみたいだよ》

 《……その、すまなかったよ》

 《父さんが何とかしなきゃいけなかったのに》

RW「……いいよ、別に」

RW「母さんも正気に戻り始めてるし」

 正直、自分が何を話しているのかよく分からなかった。頭の中は、逃げなければよかった。もっと優しく言えばよかった。今はどうしてるかな。今からでも行った方がいいかな。

 そんなことばかりで。

 ふと思った、父さんは今になってなんで戻ってきたのだろう。と。

 一度母さんの愛から逃げたのに。

RW「母さんのこと、まだ愛してるの?」

 《……どうしたんだ、急に》

RW「あ、いやちょっと気になって」

 《……愛してるに決まっているよ》

 《愛してるから逃げてしまって、それが間違いだと最近になって気づいたんだ》

 愛しているから逃げる……?

 母さんの愛に答えられなくなったのが怖くて逃げたんじゃないの?

 困惑した俺の表情から察したのか、父さんは静かに話し始めた。

 《リウヤ、お前は父さんのようになってはいけないよ》

 《子供が出来て、父さんは仕事に必死になって、母さんとの時間が取れなくなった…》

 《それで不安になっていく彼女を見て、どうすればいいのか分からなくなったんだ》

 《今の俺には余裕がなくて母さんを傷つけると分かっていたし、前のように愛を与えれないと気づいた》

 《だから怖くなった。母さんを自分が傷つけるのが怖かったんだよ》

 《だから逃げたんだ》

 ……それって、愛が冷めただけじゃないの?

 父さんは母さんを愛していなかったってことでしょ?

RW「……」

 《リウヤ、大きな愛に怖くなって逃げ出すのは…その人が大切だからだよ》

 《その人が自分に失望する姿を見たくないんだ》

 《逃げた後も、父さんは母さんを忘れたことはなかった。》

 《愛したいと思う気持ちがあったんだよ》

 《それはもう、その人を愛しているんだよ》

 《その人のために自分が変わりたいと願うのは、愛なんだよ》

 ……嘘だ。違うよ。愛っていうのは、その人がいないと涙が止まらなくなって、情緒不安定になって、その人の言動に死んでしまいそうなほど振り回されることでしょ?

 だって、母さんがそうだったじゃん。

 そうならないのは、相手を愛していないから。

 俺は彼女に対してそんなに大きな感情は無いのに。

 でも、父さんの言うそれが愛なら。

 じゃあ、俺が逃げたのは……




 頭が痛かった。今までの当たり前がそうじゃなかった。

 久しぶりだった。こんなに余裕が無くなるのは。


RW「……母さんは、そんな父さんのことを許したの?」

 自分が与えるより小さな愛でも、それでも母さんはいいの?

 《許すとか許さないとかの問題じゃないんだ》

 《父さんも、最近母さんと話して気づいたよ》

 《母さんは同じ量の愛を求めてるんじゃないんだよ》

 《そもそも愛に量なんてなくて、その人を愛しているという事実だけが大切なんだ》

 《人によって愛情表現が違うように、周りから見える愛の矢印が同じじゃなくても》

 《お互いだけが分かればいいんだよ》

 《父さんの不器用さを全部理解して愛してくれているのが母さんだから》

 《どれだけ俺が愚かでも、俺の持つ愛を受け止めてくれるんだよ》

 《だからリウヤ、こんなことでいいの?と思うようなことでも喜んでくれる人を離してはいけないよ》

 《誰よりもお前を愛してくれて、お前が愛するべき人なんだよ。それが》
 
 さっきから父さんの言葉が、鋭い矢のように突き刺さる。

 だって、そんなの全部彼女に当てはまってしまうから。

 俺のこの気持ちが愛だというのなら、この気持ちを愛として彼女が受け止めてくれるなら、俺は……。





RW「……父さん、ちょっと海行ってくる」

あなたside

 私を嘲笑うかのように美しい景色に、胸が痛かった。

 どうして?どうして私は一人なの?

 よろめきながら海に近づくと、ひんやりとした水が足にあたった。

 何一つモヤモヤは消えなかった。

 それどころか、冷たい水が私の心を抉った。

 痛い。痛いよ。

 彼も同じように痛くなって欲しかった。けれど、やっぱりそれは嫌だった。

 愛しているから。彼には痛い思いはさせたくない。

 もう居なくなった彼のことを考えて、また涙が溢れた。

 律儀に守っていた彼との約束。"一人の時は足首より上まで水に浸からない"

 それを今破った。自分の意思で足を進めた。

 ふくらはぎまで水が浸かり、足を掬われた。膝をついて転び、上半身まで濡れた。

 それでも、腕をつかんで私を助けてくれる人は、もういなかった。

 その事実に、声を出して私は泣いた。



 死んでしまいたかった。あなたの愛に溺れて。

 
 『……!』



RW「…1人で海に入るの禁止って言ったじゃん」

 彼はぎゅっと私の腕を掴んで海から私を連れ出した。

 『……なんでいるの』

RW「心配だったから」

RW「また1人で死のうとする気がして」

 『……また人助け、?』

RW「……ううん」

 その言葉に彼の顔を見ると、目が合った。

 彼が、私を見つめていた。

 『……じゃあ、なに?』

RW「知りたい?ㅎ」

 彼はにっこり笑って、私の濡れて崩れた髪をそっと撫でた。

 寒かった体が、一気に熱を持ち始めた。

 なに……なんで?

 恋愛する気ないって言ったじゃん。

 からかってるの?

 そっと目を反らそうとすると、彼の赤く染まった耳に気がついた。

 ……え



 海が、夕日に照らされて煌めいた。

 
RW「……知りたくない?」

 『…あ、知りたい!教えて!』

RW「……はは、必死になりすぎだよ」

 そう言って、彼は笑いながら自然な流れで自分が着ていた上着を被せた。

 またそういうことするんだから。

RW「……俺、すごい傷つけたよね…ごめん」

RW「その、俺の家はちょっと普通じゃなくて…」

RW「人を愛するとかそういうのが、俺は分からなかったんだ」

RW「だから、その……俺もちゃんと今の状況が理解できてないのが正直なところなんだけど…」

RW「……あ~、なんていうか」

 やたらと言葉に詰まる彼は、首の後ろを掴んで、顔をくしゃっとしかめた。

RW「…未だに愛がなにかは分からないんだけど」

RW「でも、君の愛が欲しいし、君に愛をあげたいって思ったんだよね」

RW「……だから、もし、こんな中途半端な俺でも、好きでいてくれるなら…」


RW「……俺は、君の海でありたい」

 



 いつかの私は、溺れて死んでもいいから、君の愛が海のように押し寄せてくることを願った。
 
 そうしてこそやっと、息ができるようだった。


 でも海は、相変わらず静かで。暴れるような波はやってこない。

 けれど、それでよかった。海が私のそばにあるなら、それだけで息ができた。

 海は頻繁に、貝殻や角の取れた綺麗な硝子を私に贈り物として与えた。

 青で統一された景色が、日に日に夕焼けを見せるようになり、波の揺れは強さを増す。




 そうして、私たちは本当の愛を知る。

 海のような愛は、美しかった。

 
 


 『……リウヤ、私ね、リウの愛が…溺れて死んでしまうぐらいの波になって押し寄せて欲しいって思ってたの』

RW「……なに、いつの話?」

 『……付き合う前』

 既に目を閉じて眠たそうな声をしたリウが答えた。

RW「どんだけ前の話だよ」

 『……へへ、思い出しちゃって』

 同じベットで眠る2人の薬指には、指輪がはめられていた。

 『……でも、リウは私を苦しめるような愛を与える人じゃないって、もう知ってるから』

 『だから、もう溺れるような愛はいらない』

RW「……そう」

 リウは目を開けて、突然起き上がると、私の口にキスを落とした。

 『……ぇ、なに』

RW「……本当にいらない?」

RW「俺は、あなたが溺れるぐらいの愛をもう持ってるけど」

 『……ぁ』

 どうやら私は、地雷を踏んでしまったらしい。

 彼を怒らせたかったわけではないのだが、私の発言は煽りになったようだ。

 私が答えを言う暇もなく、リウが私の口を塞いだ。

 息ができなくなって、涙が出るほど、激しい口づけだった。

 私の海は、私を溺死させられるほどの愛で満ちていた。

 激しい波が私を襲った。

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