あなたside
憂鬱な時に見に来た海は、いつしか彼に会うための言い訳になっていた。
悩みがあってもなくても海に行き、ひたすら自転車のチェーンの音が鳴るのを待った。
彼を待つ間、大好きな海を前にしても、どこか心が落ち着かなかった。
それはきっと、私にとっての海が彼になったから。
私が何を言っても動揺せずに、私を受け止めてくれる彼。声も出さずに、微かな息でたまに笑う彼。なかなか合わない目の下に、綺麗なほくろがある彼。
そんな彼の隣にいると、静かで穏やかな海に、髪を少し揺らす心地よい風。ほどよく雲がかかった空を思い出した。
そんな美しい景色に、閉じ込められる気分になった。
でも、だからこそ足りなかった。
辺り一面美しい青に囲まれるだけでは満足が出来ない。海が荒波を立てるところも見たかったし、夕焼けで真っ赤に染まるところも見たかった。
私を受け止めるだけの海が、いつか私の空っぽな心を満たすほど暴れることを願った。
私が彼を求めて愛するように、彼にも愛されたかった。
誰かに愛されたかっただけの私はもういなくて、ただ彼の愛だけを求めた。
No side
RW「最近よく会うね」
『……まぁね』
あなたに会いたくて来てるから。なんて言葉は言えないあなただった。
彼を好きになってから、嫌われたくない思いが強くなり、下手に動けなかったのだ。
RW「……なんかあったの?」
海が彼女にとっての避難場所だと知っているリウは、以前より明らかに彼女と会うことが多くなり、心配していた。
『……いや、別に?』
『言ったでしょ、好きで来てるだけだって』
RW「ふーん、ならいいけど」
ちらっとあなたの顔を見て、様子を伺ったリウだったが、いつから見ていたのか、あなたとしっかりと目があってしまい、すぐさま目を反らした。
一度気付くと、気にせずにはいられないほど、自分を追いかける視線にリウは戸惑った。
RW「……なに、なんでそんな見るの」
『……海が好きだから』
RW「は…?答えになってないけど」
『…なってるよ』
RW「……」
断固としたあなたの返答に、リウは何を思ったのか、小さく息を吐いて、それ以上なにも言わなかった。
そんなリウの反応に、あなたはふと思った。
この人、どこまでなら私を受け止めてくれるの?と。
私が好きだと言っても、動揺せずに受け入れてくれる?
あなたは知りたかった。海の深さを。
『ねぇ、気付いてた……?』
『私にとっての海は、貴方だって』
リウは何も言わなかった。ただ海だけを眺めた。そしてあなたは、そんなリウだけを見つめた。
今この瞬間、聞こえるのは、海のさざ波と、お互いの息づかいだけだった。
RW「…ごめん、そういう意図があって、君を助けたんじゃない」
RW「俺は人助けをしたまでだから……」
RW「俺の行動が勘違いさせたなら謝るよ」
RW「……けど、俺は恋愛するつもりないから」
そう言って、リウは残酷にもあなたを置いて去ってしまった。
『……はは……ばっかみたい』
その言葉は、愛なんかを期待した自分への言葉だった。
自分を愛してくれる人は、やはりいないのだと。
突然現実に戻された気分だった。
あなたは初めて、海が憎かった。
海は目の前にあるのに、少しも癒されない。
どれだけ切に願おうが、
あなたの愛した海は、もうどこにもいなかった。
あなたの瞳から、想いが溢れた。
リウside
初めから人助けだった。愛を求める姿が母に重なって。
習慣のように、自分が助けなければならないという使命感で一杯になった。
どうしても放っておけなかった。
それがいけなかった。
誰も愛せないくせに、咄嗟に手を差し伸べてしまった。
あまりにも自分勝手で笑えてくる。
彼女が自分に対して欲を持ち始めても、突き放せなかった。
怖かった。自分が手を離して、母さんのように発作が起きたら。また海に入っていったら。
……俺は何も責任を取れないのに。
結局また自己防衛だった。
自分のためにずるずると彼女を手放せずに、期待だけさせて、一度も気持ちを返せなかった。
ドーナツ1つにあれだけ喜べる愛に、俺がどうやって答えるの?
俺は優しい人なんかじゃない。あまりにも自己中心で醜くて。
罪悪感と使命感だけで人助けをする人間なのに、そんな俺でさえ受け入れてしまう大きな愛を、俺は持てないし返せない。
自分自身を愛せない人間が、どうやって人を愛すの?
だって、俺なんかの愛に価値がないって分かってるのに。
だから、いざ彼女に好意を伝えられると、やっぱり怖くて逃げてしまった。
まるで母親の愛から逃げた父のように。
……それでも、嬉しかったんだ。
こんな俺を愛してくれるのは。
だから、彼女がどうしても頭から離れなかった。
親に愛されずに育った、愛されたい彼女と、親から異常な愛を受けて育った、誰も愛せない俺。
出会ったのがいけなかったのだろうか。
でも、頭の片隅で考えてしまう。俺たちは出会うべき運命だったのではないかって。
もしかしたら、彼女こそが俺に必要な人なんじゃないかって。
だから俺は、
彼女を愛してあげたいと、思ってしまった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!