「ちょっと、リラックスしようか。
テテも倒したらいいよ」
グクさんがそう言って、シートを深く倒したあと、フロントガラスを見上げていて、その横顔がとても綺麗でつい見入ってしまった。
白い肌に雨の雫が影となり目元から、するりと頬へ滑り落ちていく様子がとても綺麗で。
涙のようだった。
ただ綺麗なだけではなくて、少し翳りがあり儚くて切ないというべきか。
なんだかよく分からないけど、じんわりと涙が滲み出そうで、堪えようとすると胸が痛くなる。
不意に話しかけられて、現実に戻されたようにシートベルトを外したものの、一瞬、固まってしまった。
高校生の僕にとって、車の助手席でシートを倒す機会なんて、ほぼなくて。
急に"一緒に並んで横になる"という体勢を想像してしまい、一人で勝手に顔がカッと熱くなっていく。
しかも、グクさんの車に乗るのは、まだ2回目だ。乗り慣れない車内で、どこをどう触れば良いのか分からず焦った。
暗闇の中でレバーを探して戸惑っていると、
グクさんがふっと笑いながら、僕の方へと身体を寄せてきた。
……どうしよう、声が出ない。
グクさんの大きな身体が、僕の視界を塞ぐようにして、助手席にぐっと覆いかぶさってきた。
すぐ目の前に、グクさんの胸元がある。
ストライプのシャツ越しに、熱い体温とあの爽やかなシャボンの香りが一気に押し寄せてきて、心臓が壊れたみたいに跳ねだした。
近すぎる距離に息の仕方も忘れて、完全にフリーズしてしまう。
僅かに手が触れてビクッと肩が揺れた。
グクさんは僕の焦りなんて気にする様子もなく、腰の横にあるレバーを引いて、簡単にシートを後ろへと倒してくれた。
バタン、と心地よい音を立てて僕の視界が上を向く。グクさんの身体が離れていった瞬間、肺が破れるかと思うほど激しく息を吸い込んだ。
そんな僕を追い込むように、ライトの光をかすかに浴びた顔が艶っぽくて、本当に息が止まるところだった。
そう言って自分のシートに戻り、背伸びをして横たわるスマートな様子に、僕は胸のバクバクを隠せないまま視線を奪われてしまう。
そしてグクさんの視線はというと、ザーザーと休みなく降っている雨を見ていた。
荒々しいはずの雨はガラスの表面で麗な丸い雫になって、するすると滑らかに流れていく。
ライトの光をかすかに浴びた彼の白い肌に、フロントガラスを流れる雨の雫の影が、まるで生き物のように美しく揺らめきながら映り込んでいる。
自分の火照った顔をごまかすように、視線をグクさんの横顔からフロントガラスの上へと移し、ぽつりと呟いた。
グクさんはシートに背を預けたまま、ふっと声を立てて笑った。
無意識に何かを期待していたかもしれない。それを、あまりにも現実的な種明かしみたいな言葉が返ってきて、僕は思わずグクさんを振り返った。
声を上げて楽しそうに笑うグクさんを見て、僕の緊張もすっかり解けて、一緒になって笑ってしまった。
グクさんは笑いを含んだ声のまま、少しだけトーンを落として僕を見た。
グクさんは僕を心配して、ただそれだけで、わざわざ会いに来てくれたんだ……。
デート気分で、ちょっと、いや、かなり期待していた自分が馬鹿みたいと思ったけど、それでも嬉しい気持ちは変わらなかった。
急にあの日の制服姿の話をされて、ドキリとする。
あまりにもまっすぐな褒め言葉に、体中の血が顔に集まったみたいに真っ赤になってしまう。
必死に両手で頬を押さえる僕を見て、グクさんは又、嬉しそうに笑った。
お兄さんのような優しい口調で言ってくれるその言葉が嬉しくて、だけど同時に胸の奥をキュンと締め付ける。
グクさんが楽しそうに次の話を続けている最中、車内の静寂の中に、ブーッブーッと低く短いバイブ音が響いた。
グクさんのポケットの中のスマホが、震えている。一回だけじゃない。数分おきに、思い出したように何度も繰り返されるその振動に、僕の胸の奥が冷たく凍りついていく。
だけど、何度も震えるスマホに一度も目をやろうとはせず、ただまっすぐに僕を見つめ、僕との会話を楽しんでくれていた。
それが今の僕にとって残酷で、優しい救いだった。
グクさんには、彼女がいるんだ。
これだけ優しくされても、僕の知らない場所に、彼の本命がいる。
スマホの画面に映っているのは、きっと、
僕が一生なれない存在の名前だ。
考えたくない。考えたら、この優しい雨の空間が壊れてしまう。
彼女の影から目を背けたまま、この人の隣にいさせてほしかった。
グクさんが顔を覗き込んできた。
ストライプのシャツ越しに、優しいシャボンの香りが近づいてくる。
さっきまで癒されていた匂いが、急に苦しく感じて、僕は無理に笑顔を作った。
嘘じゃない。
彼女のことで胸が張り裂けそうに苦しくても、グクさんの隣にいられるなら、この痛みにだって耐えられると思った。
明日には嘘みたいに梅雨明け宣言をしてもおかしくないほど降っている。
僕の思い違いかもしれない。
それでも、どんな音でも慰めてくれているようで、心に響くんだ。
そのすべてを激しく洗い流すような雨が、ルーフを激しく叩き続けていた。
僕とグクさんを巡り合わせるために、この日、この夜を狙い澄まして降ってくれたかのような、僕たちの特異日の雨。
車窓を白く染めるほどの雨量の中で、この夜に見た光景も、肌に落ちる影も、触れた体温のすべても、髪の揺れも、奥に渦巻くやるせない恋心も、一分一秒を大事にしたい。
僕に許されることは、必死に胸の奥のカメラに収めること。
一コマーコマ、見逃さないように記録していけたら、どんなに幸せだろう。
"一生忘れない"
そんな切なさを胸に秘めながら、僕はただ、大好きな人と隣り合う一瞬一瞬の幸せに、深く深く浸っていた。















編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。