omr side
ソファに座ってる僕の腕を、
ツンっとつついてくる。
最近その “ツン” が増えた。
お腹が大きくなってきてるから移動が大変らしい。
テレビを見たまま、返事をする。
振り向いたら、あなたの下の名前は真面目な顔をしてた。
は、?
一瞬、意味が頭に入ってこなかった。
声が少し低くなるのが、
自分でもわかった。
あなたの下の名前は困ったみたいにして笑う。
医者でもないのに、
こんなことを即答してしまう。
でも、言うしかなかった。
あなたの下の名前が僕の手を取って、
お腹に当てる。
中で、小さく動く。
そのたびに、僕の心臓まで小さく揺れる。
そう言って軽く叩かれる。
いつも通りの会話。
でも、さっきの言葉が頭から離れない。
子供みたいな言い方になってしまう。
あなたの下の名前は少し黙り込んで……
そう言って小さく笑う。
その笑い方、ほんとにずるい。
ほんとに大丈夫な気がするのに、不安。
こうやって冗談を言って、笑い合う。
でも僕は、笑いながら思ってた。
なんで、そんな “もしもの話” なんかするの……
未来は、楽しいことしかない予定なのに。
お腹の子の名前は2人で何日も悩んだ。
女の子だってわかったから、
「もね」
っていう名前をつけた。
あなたの下の名前が好きなお花の、
アネモネから取った名前。
そう言って、お腹を撫でながら笑う。
お腹に向かってそんなことを言ってる。
僕はこんな光景を、
もねが生まれてからも見続けたい。
その日のお昼。
病院に行ってその帰り道。
夕焼けがやけに赤かった。
あなたの下の名前がまた言った。
即答。
だって、ほんとに怒ってるもん。
それから少しの間。
僕がそう聞くと、
あなたの下の名前は少し目を伏せた。
強いふりをしている。
一瞬でわかった。
ほんとは、胸が引き裂けそうなぐらいに怖いはずだ。
それでも、昔から強がる癖がある。
僕はそっとあなたの下の名前の手を握る。
そう言ってまた笑う。
この時間が、
永遠に続けばいいのに。
その日の夜。
あなたの下の名前は先に寝た。
穏やかな寝顔。
手はそっとお腹に置いてある。
守ってるみたいに……
僕は、いつもみたいに隣で寝ることができなかった。
“迷わず、赤ちゃんを選んでね”
そんな、選択させないでよ……、
どっちかなんて、、僕には選べない。
小さく動くお腹に、
あなたの下の名前の手と重ねるようにして手を置く。
小さい声で、もねの名前を呼ぶ。
そんなことを一人で言って笑う。
もしもなんて、二度と来なくていい。
来るな。
絶対。
でも、
もし、あなたの下の名前が生まれ変わって
僕のところに飛んでくるなら……
一目でわかると思う。
その時もきっと、
僕の隣で今みたいに笑ってくれる。
寝てるから、聞こえてないと思うけど。
それでも、僕はあなたの下の名前ともねと約束する。
3人で笑い合える未来を、守る。
だから、もしもなんて僕が追い払ってやる。
それから数日後。
予定日を少し過ぎてから、
ついに出産日が来た。
分娩室の空気は、ぴんと張り詰めていた。
それでも、あなたの下の名前は笑っていた。
額に汗を滲ませながら、
僕の手をぎゅっと握って。
自分の声が震えているのは、
よく分かってる。
でも、あなたの下の名前が笑うから。
僕も笑顔を作る。
あなたの下の名前が息を整えながら言う。
痛みの波が来る度に、
あなたの下の名前の指の力が強くなる。
それでも、合間には僕の顔を見てくれる。
微笑みながら。
また小さく笑う。
その笑顔が、いつも通りで……
怖さなんて、どこにもないみたいで。
こんな話をしてたら、急に。
医者の声のトーンが変わった。
“血圧下がってます”
“このままじゃ____”
空気が一瞬で変わる。
さっきまで僕たちの会話に、
微笑んでいた看護師さんや助産師さん、医者まで。
一気に表情が固くなる。
あなたの下の名前の手が少し冷たくなった気がした。
名前を呼ばれる。
医者がこちらを見る。
真剣な目。
まるで、どちらを助けるか選べ。
とでも言うように。
選べるはずがない。
そんなの、、、
そのとき、あなたの下の名前が僕の手をグイッと引く。
力は弱いはずなのに、しっかりと。
その声は、驚くほどに落ち着いていた。
なんで、笑うの。
こんな時でも、
弱々しいけどいつも通りの笑顔を浮かべる。
喉が詰まる感覚を覚える。
あなたの下の名前が、お腹に手を当てる。
涙がこぼれる。
なんで、あなたの下の名前が
こんな思いしないといけないんだよ…
その言葉で、心が崩れる。
目の前では看護師さんがバタバタしていて、
助産師さんと医者はできる限りの事をしてくれてる。
僕はあなたの下の名前を見る。
汗で濡れた髪。
青白い唇。
それでも目と口は優しく微笑んで、
僕のことをまっすぐに見つめる。
言った瞬間、
何かが崩れ落ちた。
医者たちが一斉に動く。
あなたの下の名前の手が、少しづつ力を合わせて失う。
掠れた声で、
1回だけ深呼吸をする。
呼吸が、心臓が止まりそうになる。
やっとのことで、それだけ言えた。
その直後、産声が部屋中に響きわたる。
小さくて、でも強くて。
その泣き声と同時に、
機械の音が乱れていく。
ピッ、ピッ、ピッ____
“血圧が上がりません”
“心拍が低下____”
僕は叫ぶ。
手をぎゅっと握って。
あなたの下の名前はほんの少しだけ微笑んだ。
もねの産声を聞いて、
安心したみたいに。
ピーーーーーー……
まっすぐな音。
医者の声が遠くなる。
心臓マッサージをされて、
あなたの下の名前の身体が揺れる。
“……時刻、”
聞こえない。
聞きたくない。
僕はあなたの下の名前の額に触れる。
まだ温かい。
声が震える。
部屋中に響くもねの泣き声。
強くて、生きてる音。
あなたの下の名前が守った音。
崩れ落ちそうになっても、
あなたの下の名前の手をぎゅっと握る。
少し、冷たくなった手。
さっきまであんなに温かかったのに……
静まり返った分娩室に、
小さな命の泣き声だけが響いていた。
小さな手が、
僕の裾を引っ張る。
キッチンで夕飯を作ってると、後ろから声。
振り向くと、そこに立ってるのは
今年で5歳になるもね。
あなたの下の名前に似た大きな目。
あなたの下の名前に似た笑顔。
包丁を持つ手が止まる。
いつかは、この質問をされる日が来ると思ってた。
でも、こんな早くにくるとは……
胸がぎゅっと締め付けられるように痛い。
そうだよね。
写真とかは見せてる。
でも、当たり前に生で見たことはない。
話したことも、抱っこされたこともない。
僕は包丁を置いてしゃがみ、
もねと視線を合わせる。
少し笑ってそう言う。
もねも一緒に笑う。
人生で、あなたの下の名前に何回怒られたことか……
数え切れない。
もねのことを抱きしめながらそう言う。
もねは、キャハキャハ笑う。
不意打ちな質問。
それでもすぐに答えられる。
喉がひりつく。
もねは首を傾げる。
この話し方と笑顔。
本当に重なる。
ぎゅっともねを抱きしめる。
まだ小さくて、温かくて……
そう言って笑いながら、
小さな手で僕の頬を拭う。
その仕草。
その優しさ。
あなたの下の名前そのままだ。
心臓が止まりそうになる。
そんな時に、ふと窓の方に目をやる。
ベランダには、3本の赤いアネモネの花。
1本のアネモネに、
黄色い蝶々が止まってこっちを見ていた。
もねは、ベランダの方まで走って
赤色のアネモネに止まってる蝶々を眺めてる。
もねが蝶々を見つめたまま、
淡々と話す。
そのもねの無邪気な笑顔を見て、
再び胸がきゅっと苦しくなる。
スマホを構えて、
画面にもねと僕と、アネモネと蝶々も映す。
シャッターを切って、
撮った写真を眺める。
振り向いた矢先に、
懐かしい人が…あなたの下の名前が立っていた。
急にそんなことを言い出す。
でも、こんな会話は
あなたの下の名前が生きてた頃に1度だけしたことがある。
あの時、教えてくれなかったアネモネの花言葉。
そう言って、ふっと姿が消えた。
もねが心配そうな目で、
僕を見つめている。
顔を触ると、
目からは大量の涙が溢れていた。
僕は、もう一度写真を見つめる。
僕ともねの真ん中に、
赤色のアネモネに止まってるキレイな蝶々。
これは、僕たち家族の
最初で最後の家族写真なのかもしれない。














編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!