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第1話

プロローグ
5
2026/04/27 12:51 更新
気づけば、目で追っている相手がいた。

ころころと変わる表情、無防備に笑う顔。

そのどれもが、視界に入る度に心の奥の柔らかい部分を優しく刺すような痛みを与えてくる。

そんな甘い痛みは、痛みだというのに苦ではなくて。
むしろもう少しだけ見ていたい、と思ってしまう。

そんな感情に名前があることを、彼はまだ知らなかった。





白石杏
ちょっと彰人!聞いてる?
不意に名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。いつの間に移動してきたのか、普段は後ろの席にいるはずの杏が目の前にいて、不服そうにこちらを見つめていた。
東雲彰人
………悪い、ぼーっとしてた
教室の隅で友達と談笑していたアイツから目線を逸らし、あたかもウトウトしていました、という風を装って欠伸を一つ。
白石杏
……もう、しっかりしてよね。もうすぐイベントなんだから。彰人がそんなだとこはねが心配しちゃうでしょ!?
東雲彰人
あーわかったわかった。そんで?何の用だ
杏からの忠告を軽く流して、本題に入るよう促す。すると、杏はしばらく固まったあと、呆れたようにわざとらしく大きなため息をついてみせた。
白石杏
………聞いて無さそうだなとは思ってたけど、まさかほんとに何にも聞いてないなんて
どうやら先程からずっと話しかけられていたらしい。それをフルシカトしていた事実に少しのばつの悪さを感じ、目を逸らす。
東雲彰人
……悪かったな
ぶっきらぼうに返しながら、無意識のうちに再び教室の隅に視線を向けそうになって、彰人は小さく眉を寄せた。

───何やってんだ、俺。

明るく笑う顔とか、ころころ変わる表情とか。
そんなもの、別に今さら珍しくもない。

前からずっと見てきたはずなのに、最近、それが妙に胸に引っかかる。

自分の中で未だ名前のないその感情を、どう処理するべきか分からず、取り敢えず胸の奥に押し込む。

今はそんな思考に耽るよりも、杏の話を聞かなければ。
きっとイベントか練習に関することだろうから、聞き逃すわけにはいかない。

彰人が杏へ視線を向けると、杏は仕方なさそうに口を開いた。
白石杏
まぁいいけど。じゃあもっかい話すから、今度はちゃんと聞いててよ?
白石杏
今日の練習の事なんだけど、イベントが近いからそろそろ───
 
東雲彰人
……思ったより遅くなったな



夜。
彰人は帰路を辿りながら、電子広告版に表示された時計の表記を見て少し速度を早めた。


イベント前ということもあって、今日の練習はいつもより気合いが入っていた。時間を忘れるほど没頭していて、見かねた謙さんが声をかけてくれた時には、時間の経過の早さに驚いたものだ。
東雲彰人
(帰ったら風呂入って……早めに寝るか)
時を忘れて没頭していたとはいえ、当然ながら体に疲れは溜まっているわけで。

いつもより早めに寝ようと決めた彰人は、ちょうど青信号だった交差点を渡ろうとして───


見間違うはずもない横顔を見た。
東雲彰人
(……)
足が止まる。

さっきまで耳に入っていた車の走る音も、信号の電子音も、その瞬間だけ遠くなった気がした。
東雲彰人
(……なんで)
揺れる髪の毛、ふわふわしているスカート。

そして何より、次々に変化して見飽きさせない表情。

間違いなく、アイツ───あなただった。

練習終わりに、偶然知り合いに会っただけ。
言葉にしてみれば簡単なのに、彰人に対してはそんな簡単に片付けられる出来事ではない。

会えた。こんな時間に、こんな場所で。
それだけで、疲れなんて一瞬でどこかへ消えていた。


そのまま駆け寄って、声をかけようと思って。
足を一歩踏み出そうとした時。
東雲彰人
…………は?
───数拍遅れて、その隣に並ぶ男の姿が視界に入った。


思い返せば、何故気づかなかったか分からないほどだった。

まるで、それが当然であるかのように繋がれた手。友達などという言葉では言い訳できないほどの、近い距離。

今まで自分の視線があなたにしか向いていなかったのだということに気付かされた。



胸の奥がすうっと冷える。
まるで、燃え盛っていた炎に冷水を浴びせられたかのように。

見たくもないのに、繋がれた手ばかりが目についた。

笑いながら何かを話すあなたの隣で、その男は当たり前みたいな顔で肩を寄せている。

その光景が妙に現実味を持たなくて、ただぼんやりと立ち尽くすことしかできない。
実は夢なのではないかと思って頬を抓った。しかし、皮膚が引っ張られる鈍い痛みが、これが夢などではないということを思い知らせてくる。
東雲彰人
(……っ、クソ……)
別に、あなたに付き合っている相手がいようがいまいが、自分には何の関係もない。

あなたが誰と笑っていようと、彰人には、何の関係も。

そんなこと、とっくのとうに分かりきっているというのに。さっき学校であなたを見ていた時には甘く痛んでいたはずの胸の奥が、今はただただキツく、苦しく締め付けられていた。

そこで彰人は、ようやく思い知る。

ここ最近ずっとアイツを目で追ってしまうのも、ころころと変わる表情や華やかな笑顔に心が弾むのも、全て───


自分があなたのことを、どうしようもないくらい想っているからなのだと。
東雲彰人
(………そんなの、今わかったところで意味ねぇよ)
失恋して始めて、恋をしていたことに気付くなんて。

そんなの───そんなの。

なんて皮肉な結末だろう、と。

仲睦まじく歩いていくふたつの影を呆然と見つめながら、そう思わずにはいられなかった。

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