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第3話

第一章 玉珧 Ⅱ
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2026/05/30 12:00 更新
ーーーこの逃避行に終わりが来るなら、海の中が良いと思うんだ。





「ヘレナ? 」

 グレタから声をかけられ、私は勢いよく振り返った。
 周りを見渡すと、他の子らはポワントを履いていて、私だけがまだバレエシューズのまま突っ立っていた。

「わ、ごめん。ぼーっとしてた。」

 急いでポワントを取り出す。
 バーレッスンは終わったんだった。いけない、ついあの夢のことを考えてしまう。

「あなた最近変よ、ヘレナ。……この前の夕食も麻婆豆腐にタバスコかけてたし。」

 スクランブルエッグにチリソース。蕎麦に七味唐辛子。焼き鳥に辛子。

 一息で言い切ったグレタは、なんだか少し自慢気だ。

「ちょっと待って、辛味に罪は無いわよ。美味しいもの。」

 ええー、と焦ったそうにこちらを見るグレタに私は弁解した。
 異文化共生というアレね、とくすくすグレタは笑っていたが、その微笑みには少しの安堵が混じっていた。

 グレタは優しい。私が夢に囚われている事を見抜いている。
 そして、その上で敢えて話を逸らした。
 私だってそのくらい理解している。ごめんね、と心の中で唱えてから私は急いでポワントを履き、センターレッスンへと向かった。





 一通りセンターレッスンを終え、休憩時間になった。
 私はまた夢についてぼんやりと思いを馳せる。


ーーーヘレナ、これはキャッサバ。毒抜きしないと食べられないんだ。


ーーーこれは流氷。……え、海月クラゲ? アムール川にはいないかな。海月が見たいんだったら水族館にでも行こうか。


ーーーこのビザで、飛行機に乗って行きなさい。一人で行かなくちゃいけない。いいね?



 連日夢に現れてくる謎の青年。断片的な記憶が毎晩私に降りかかる。
 そして、やっと地名が出てきた。何かの手がかりになるかもしれないが、残念ながら私に心当たりはない。

 ずっとバレエ一筋でここまでやってきた。
 生まれはポーランド。今でこそロシアにいるけれど、アムール川のある沿岸部に行ったことはない。

「アムール川、か……」

 私のいるバレエ学校からは、どのくらい時間がかかるだろう。
 これ以上夢が続くなら、アムール川に行ってみるのも悪くないかも知れない。

「グレタ、次の休みはいつだったっけ。」

「次の休み……確か今週末は休みじゃなかったっけ?」

「そうだったかも。あれ、ハニースフレ食べにいく約束はいつだった?」

「まだ決まってないわ。……折角だから今日付き合ってよ。」

 いいかしら、とこちらを見るグレタ。綺麗な黒の瞳がキラキラと眩しい。

「勿論。アムールリンデンを探しに行こう。」

「探すだけじゃ嫌よ。食べるまでが遠足なんだから。」

「はは、生憎私も食べるまでが遠足派だ。」

 えへへ、と顔を見合わせてお互いに笑った。
 そうと決まれば善は急げよ、とグレタは笑う。

「よし、残りの練習頑張ろう。俄然やる気が湧いてきた。」

「もう、ヘレナったら。」

 グレタの苦笑に、私は左手をひらひらと振る。



 休憩終わりの合図と共に、ポワントの調子を確認してから、私は練習を再開する。
 ピルエットを上手く決め、幸先の良い滑り出しだ。

 ハニースフレを思い浮かべ、私は笑顔で踊り始めた。

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