ドアが開く
「 … こんばんは 」
柔らかい声だった
前と変わらない静かなトーンなのに 、なぜか少しだけ安心する
「 こんばんは 」
部屋の中へ通される
相変わらず静かだった
薄暗い照明
窓の向こうの夜景
トーンの統一された家具
けれど今日は少しだけ違った
彼女は以前みたいなきっちりしたブラウスとパンツスーツではなく 、柔らかい素材のニットを着ていた
淡いアイボリーの薄手のニットに長い髪が肩へ緩く落ちている
金縁のメガネもどこか仕事感が薄くて 、妙に落ち着かない
「 お疲れ様でした 」
そう言いながら彼女はテーブルへカップを置く
湯気がゆっくり立ち上った
「 … 紅茶 、飲まれてるんですね 」
不意にそう言われて 、少しだけ動きが止まる
彼女は小さく微笑んでいた
「 ああ 、まあ … ちょっとだけ 、頻繁ではないんですけど 」
なんでもない風を装って答える
けれど彼女がちゃんと覚えていてくれたことに 、胸の奥が少しだけ熱くなった
「 香り 、苦手じゃなかったですか 」
「 最初は新鮮だなと思ってたんですけど 、最近ちょっと落ち着く気がして 」
そう言うと 、彼女は “ 良かったです ” と静かに笑った
以前より少しだけ空気が柔らかい
それが嬉しいような落ち着かないような変な感覚だった
「 今日は 、ハーブティです 」
「 ... うわ 、香りが 」
「 苦手だったらごめんなさい 、リラックス効果があるので 」
手元に置かれたカップから漂う湯気にのって香りが充満する
「 お忙しかったですよね 」
「 まあ 、ありがたいことに 」
ソファに促されて 、腰を下ろしながら苦笑する
彼女も向かいへ静かに座った
「 海外公演 、お疲れ様でした 」
「 ... 見たんですか 」
「 少しだけ記事を 」
“ 記事を ”
その言い方が彼女らしくて 、思わず少し笑ってしまう
「 なんですか 」
「 いや 、普通に動画とかじゃないんだなって 」
そう言うと 、彼女は少しだけ困ったみたいに目を伏せた
ファンは記事よりも圧倒的に動画コンテンツを楽しむので 、耳慣れなかった
「 ... あまり 、SNSを見ないので 」
「 珍しいですね 」
「 向いていなくて 」
静かな会話だった
盛り上がる訳でもない
気を遣う訳でもない
それなのに不思議と居心地が良かった
もう今日は 、これでいいんじゃないかという気すらしていた
彼女が紅茶を一口飲む
白い指がカップを包むのをぼんやり見てしまう
「 … どうかしましたか 」
視線に気づいたのか 、彼女が小さく首を傾げる
「あ 、いや 」
咄嗟に目を逸らす
「 前より顔色が良さそうだなと思って 」
そう口にした瞬間 、自分でも少し驚いた
彼女は一瞬だけ目を丸くしたあと 、小さく笑う
「 本当にそういうことよく見ていますよね 」
「 気になりますよ 、普通に 」
あまり考えずに返してから 、少しだけ空気が止まる
これじゃ 、貴方のことが気になりますと言ってるみたいじゃないか 、と妄想が一人歩きして恥ずかしくなる
彼女の睫毛がゆっくり伏せられた
「 … ありがとうございます 」
その声は以前より少しだけ柔らかかった
施術は前より短かった
彼女が手を離す
静かな沈黙が落ちる
以前みたいな息苦しさはもうない
楽にはなった
でも今日は 、それより帰りたくない
そんな感覚の方が強かった
なのに理由が分からない
彼女も急かさなかった
カップへ紅茶を注ぎ直しながら 、静かに口を開く
「 甘いもの 、お好きなんですか 」
「 ああ 、まあ結構 」
「 海外だと何を召し上がるんですか 」
そこから 、本当にどうでもいい話をした
最近食べたもの
辛い料理の話
メンバーの寝起きの悪さ
海外で見た景色
彼女はちゃんと笑うんだ 、と思った
静かだけど控えめだけどちゃんと楽しそうに笑う
その表情を見るたびに 、胸の奥が少しだけ軽くなる
気づけば思っていたより長く居座っていた
時計を見て 、小さく息を吐く
「 … すみません 、長居しました 」
「 いえ 」
彼女は静かに立ち上がる
その後ろ姿が名残惜しかった
その時 、彼女が小さく咳をした
本当に小さな咳だった
けれど妙に耳へ残る
「 … 風邪ですか 」
彼女は少しだけ目を丸くする
「 ... いや 、なんかさっきも咳をしていらっしゃったんで 」
彼女は数秒黙ったあと 、困ったみたいに笑った
「 ... 数年来ずっと咳が続いてて 、感染したことはないのですが気になりますよね ... ごめんなさい 」
「 ... いや 、気になるだなんてそんな 、自分の治療の所為じゃ 」
「 大丈夫ですよ 」
その “ 大丈夫 ” が全然大丈夫じゃない時の自分とそっくりだった
けれどこれ以上踏み込むのも違う気がして 、小さく頷く
「 … ちゃんと休んでくださいね 」
そう言って部屋を出る
廊下を歩きながら 、ふと足を止めた
少し迷ってからエレベーターへ乗らず 、ホテルの駐車場へ向かう
マネージャーの車に積んである海外帰りのボストンバッグの中に手を突っ込んで色々ひっくり返した
目当てのものを手に取る
数分後 、再び彼女の部屋の前へ戻った
ノックをすると 、少し驚いた顔で彼女がドアを開けた
「 … 忘れ物ですか ? 」
「 いや 」
袋を軽く持ち上げる
「 喉痛そうだったんで 」
彼女は一瞬 、何も言わなかった
まるでそういうことをされると思っていなかったみたいに
「 本当に 、慣れているので平気です 」
慣れている 、と平気は同義ではない
「 自分も喉使う仕事なので 、これすごい効きます 」
「 まとめて購入してて 、腐るほどあるんで ... よかったら 」
「 … ありがとうございます 」
静かな声だった
彼女が未開封の飴の袋を受け取る瞬間 、細い指が少しだけ触れる
やっぱり少し熱かった
「 本当に無理だけはしないでください 」
それだけ言って 、今度こそ背を向ける
後ろから小さく
「 はい 」
と 、柔らかい声が聞こえた気がした











編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。