彼女の声が背後で掠れた。
けれど俺は振り返らなかった。
ただ、冷えた廊下を進みながら
その手首をしっかりと掴んでいた。
細くて、柔らかくて、壊れそうなその腕を
でも、もう絶対に離さなかった。
言葉は意味をなさない。
今ここで必要なのは説明じゃない。
連行だ。
彼女の理性がまだ完全に崩れていないうちに
檻の中へ導く必要がある。
階段の前で、一度だけ彼女が振りほどこうとした。
だがその力は、風に抗う葉のように脆弱だった。
そう言って、俺は無表情のまま階段を降り始める。
彼女の身体が、引きずられるように着いてくる。
一歩、また一歩。
その震える足音が
まるで葬送曲のようだった。
地下室の扉を開けた瞬間
彼女の絶望が音を立ててあふれ出した。
俺は無言で、部屋の隅に立てかけてあった
バールに手を伸ばした。
扉の鍵を固定するための道具だ。
だが今は、それ以上の用途があるかもしれない。
鍵を開け、檻の扉を押す。
ガチャンと小さな音を立てて開いたその空間には
ただ無音が広がっていた。
今度は命令だった。
優しさは剥がれ落ち
残っているのは決意だけだった。
彼女の声は小さく震えていた。
だが俺は、表情を変えずに立っていた。
その瞬間、彼女の足が止まり
部屋に沈黙が落ちる。
そして、喉の奥から突き破るように叫んだ。
その叫びは、痛みでも懇願でもない。
生存本能の最後の一撃のようだった。
そのとき、世界が一度、止まった。
ドン——!
鈍い音が天井から降ってきた。
間違いなく、扉が壊された。
走ってくる足音。
現実が、重力をともなってこの部屋へ押し寄せてきた。
ハルト。
確かにそう呼ばれていた男。
彼女の口から何度も出た名前。
親友。
つまり、俺にとっての「障害」
バールを手にしたまま、反射的に俺の腕が動いた。
視界の端で、彼女が叫んでいた。
けれど、その声はもう届かなかった。
ゴンッ
ドシャ
ゴン
ゴン
、、、ゴン
どうして邪魔をするの?
俺はそう、心の中で呟いた。
それは問いではなく、確認だった。
これでよかったのだ
自分に言い聞かせるための呪文だった。
赤い液体が床を染めていく。
さっきまで命だったものが
ただの重さになる。
返り血が服と頬に散っていた。
けれど、不思議と、何も感じなかった。
彼女が崩れ落ちるのが見えた。
目を見開き
声を失い
世界から置き去りにされていく。
俺はそっと彼女を抱きしめた。
壊れそうな肩を包むように。
何もなかったように。
彼女は小刻みに震えていた。
けれど俺は、その震えを温もりとして感じた。
ようやく、彼女は俺だけのものになったのだ。
世界は、静寂の中で形を変え始めていた。
これが正しい愛のカタチだ。














編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。