静かだった。とてもとても静かで、この世界に人がいるのかと疑問に思ってしまうほど、静かだった。
いや、少しこれは言い直そう。おそらく誤解を生んでしまっただろうから。
先ほどいった静か、という表現はあくまで人工的な音が聞こえないというだけである。車の走る音、家から漏れるクーラーの音。人の足音に話し声など、うるさくするつもりがなくとも人は生きているだけで音を出してしまうものだ。
しかし、それらの音が一切聞こえない。聞こえるのは、冷たい木枯らしが肌を引っ掻く音と、秋の虫たちが奏でる音だけ。
そんな静粛なこの場所を切り裂くようなコール音が、やけにうるさく響いた。そのコール音の中には若干の震えが感じられる。
その携帯を持っている少年、赤村ハヤトは焦っているかのように足を小刻みにタップしている。
そうやって心の中で焦っているハヤト。ちなみにターゲットがここに来てしまう〜、という発言だが、任務のターゲットのうち1人がいる場所に彼はもういるらしい。
柔らかな深緑色の草が風で揺れている。家も人も何もない、こんな空っぽな場所で、彼は1人、ポツンと立っていた。
あの路地裏からかなり離れているはずなのに、本当によくこんな早くついたな……という本音は置いておこう。そして、なんでターゲットがいる場所でこんなにも呑気に仲間に対して電話をかけているんだ、というツッコミも一旦置いておいてほしい。任務の時のハヤトに常識を当てはめようとすること自体が間違っているのだ。
……数分は待っただろうか。いや、こうやって何もせず待っている時は、時間の流れが遅く感じるから本当はまだ数秒しか経っていないのかもしれない。
ぷるるるるる……という音がやみ、通話が始まる。
思わず口角が上がってしまう彼は、空いている方の手でガッツポーズをつくる。
シャチ、と彼女の名前を呼ぶために彼は口を開く。
……しかし、その口はその後の爆音によって強制的に閉ざされることとなる。
……どうやら、彼女は人を勘違いしているらしい。
間違った相手の通話に出てしまったとわかった瞬間容赦なく切ろうとしてくるシャチを必死に引き止めるハヤト。
普通に悲しそうな表情を浮かべるハヤト。しかし、その表情は彼女からは見えないし、見えたとて彼女の意思が変わることはないだろう。
きっぱりと言い切る彼女に対して少し気分が重くなるハヤト。この調子だともしかしたら任務を手伝ってくれないかもしれない。
だけど、だからと言ってここで諦めたら彼に明るい未来は待っていないだろう。だからこそ、色々言いたいことはあるがそれを飲み込み、彼女が切る前に本題を話し始める。
ピコン、という音が携帯越しに聞こえる。おそらく、彼が電話をしながら送った資料だろう。数秒の沈黙が流れ、それを破ったのは彼女のうめき声だった。
ガチで引き気味にそういうシャチ。彼……というか彼らの上司、つまりKrakeに対して引いているのだろうか。まあ、実際引いても無理もない量だ。
ついつい声が大きくなってしまい、シャチは思わず携帯を耳から遠ざける。しかし、そんなの彼には関係ない。これで自分の未来が多少は明るくなったのだから。
……風が、彼の髪を揺らした。
とても、とても強い風で。
その風のあとに、ばん!という銃声が、この静粛な空間を引き裂いた。
煙が立ち、とても強い衝撃と音がお腹を震わす。
次に聞こえたのは、こんな言葉。
嘲るような色を目に浮かべ、にやりと口角を彼はあげる。暗い闇の中で、彼は目を光らせていた。
ちなみに彼はどうやらもうシャチとの通話を切ったらしい。攻撃が仕掛けられた瞬間に通話を切れる判断力は、本当にさすがとしか言いようがないだろう。
そんな不適なセリフを彼は口にし、目の前にいる相手の顔を緑色の瞳に映し出す。
資料で見た顔。……こいつは、今回のターゲットで間違ってないだろう。
すっ、とポケットに常備してある銃を取り出し、左目を閉じる。
そう言った彼の声には、一切の温度が込められていなかった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!