あれから、私たちの静かな同棲生活が始まった。
舞香の家で二人で暮らすようになってから、
季節は静かに巡り、
途切れかけていた時間が再び動き出したようだった。
毎日、朝と夜に渡す白い処方薬。
1日2錠。
それは舞香の精神を正気に
繋ぎ止めるための命綱であり、
私たちが互いを縛り合うための大切な儀式だった。
生活が落ち着くにつれて、
舞香の顔色は劇的に良くなっていった。
かつて頬に落ちていた病的な影は消え去り、
瞳には本来の優しく澄んだ光が戻ってきた。
あんなに執着していたあのピンクの毒薬について、
舞香が口にすることは二度となかった。
それどころか、夕食が終わると
「衣織、今日の薬は?」
と、自分から私に手を差し出すようになった。
けれど、薬の恐怖や毒から抜け出すのと
引き換えにするように、
舞香には明らかな変化が現れていた。
私に対する執着と甘えが、
以前とは比べものにならないほど
異常なまでに強くなったのだ。
家の中にいるときはもちろん、
リビングでもキッチンでも、
私が動けば後ろをついてくる。
ソファーに座れば当たり前のように私の膝に頭を乗せ、
私が本を読んだりスマホをいじったりしていれば、
その隙間に顔をうずめて
私の服の裾をぎゅっと握りしめて放さない。
その過剰なまでの甘えは、
家の中だけにとどまらなかった。
テレビの収録現場でも、ダンスレッスンでも、
大きなライブの本番直前でさえも、
舞香は四六時中私にぴったりと
くっついて離れようとしなかった。
楽屋の長椅子に二人で並んで座り、
舞香が私の肩に顔を寄せてまどろんでいると、
通りかかった瞳がクスッと笑いながら声をかけてくる。
私はそう言って微笑み返し、
舞香の柔らかい髪を指で撫でた。
メンバーたちは「いかりんぐの仲良しエピソード」
として微笑ましく見てくれている。
誰も、私たちがどんな暗闇を
通り抜けてここに至ったのか、
舞香がどんな恐怖を抱えて
私にすがりついているのかを知らない。
私と舞香だけの、世界で一番甘くて重い秘密だった。
けれど、私の中にはずっと消えない
棘のような感情が刺さっていた。
舞香が回復し、
私に依存してくれるようになればなるほど、
胸の奥で罪悪感が育っていく。
あの毒薬の恐怖につけ込み、彼女を弱らせ、
私の手の中に囲い込んだ。
そして今も、精神科の薬を渡し続けながら、
彼女の「唯一の救い主」の座に居座り続けている。
私はただ彼女を助けたかっただけなのか、
それとも自分の独占欲を満たしたかっただけなのか。
本当の気持ちを隠したまま、
彼女の側に居続けることが、
どうしても耐えられなくなっていった。
ある日の夜。
いつもと同じように静かな夕食が終わり、
私はカバンから処方薬のシートを取り出した。
舞香は嬉しそうに微笑み、
私の手から白い粒を受け取ると、
水と一緒に喉の奥へ流し込んだ。
薬を飲み終え、満足そうにほっと息をつく舞香。
その穏やかな表情を見つめながら、
私は意を決して彼女の手を固く握りしめた。
いつもと違う私のトーンに、舞香は少し首をかしげ、
直前に飲み込んだ薬のせいか、
少しとろけたような瞳で私を見つめ返した。
部屋の静寂の中に、私の声が落ちる。
舞香の瞳が少しだけ大きく見開かれた。
私は握りしめた手にさらに力を込め、
溢れ出す想いを吐き出していった。
喉が絞り出されるように熱い。
私の目から、溢れ出た涙が頬を伝って落ちた。
一息に言い終えると、
私は舞香の反応が恐ろしくて、
俯いて視線を落とした。
拒絶されるかもしれない。
気味が悪いと思われるかもしれない。
またあのときのように
離れていってしまうかもしれない。
焦燥感と恐怖で心臓が潰れそうだった。
ふと、私の手に冷たい雫がぽたりと落ちた。
ハッと顔を上げると、
舞香がボロボロと大きな涙をこぼしていた。
慌てて謝ろうとした私を制するように、
舞香の唇がふわりとほころんだ。
溢れる涙をぬぐいもせず、
舞香は見たこともないような、
あまりにも優しく愛おしそうな笑顔を咲かせたのだ。
舞香は溢れる涙をそのままに、
勢いよく私に抱きついてきた。
私の首元に細い腕を回し、
顔をうずめて深く息を吐き出す。
泣きじゃくりながら胸の内を明かす舞香の声は、
どこまでも愛おしく、切なかった。
その言葉を聞いた瞬間、
私の中で弾けたのは、
言葉では言い表せないほどの歓喜だった。
私は舞香の細い身体を押しつぶすほど強く抱き返した。
舞香も私の背中に回した手に力を込め、
すがるようにしがみついてくる。
私の狂気も、舞香の依存も、もう解けることはない。
毒薬から始まった歪んだ救済は、
二人だけの愛という名の絶対的な檻へと変わったのだ。
広い部屋の真ん中で、
私たちは何度も何度も名前を呼び合い、
深く深く抱きしめ合った。
これから先、
どんな未来が待っていようと関係ない。
この部屋で、二人で生きていく。
私たちは永遠に、
解けない密やかな誓いを交わしたのだった。












編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。