第2話

2話目(前半):番付百位以下
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2026/02/14 10:00 更新
体育館の空気は、時間が経つほど濁っていく。

昼間よりも、
夜に近づくにつれて――
歓声は荒くなり、
笑い声は下品になり、
殴り合いは容赦を失っていく。

それでも、
この場所にいる誰もが慣れていた。

血の匂いも。
骨の鳴る音も。
誰かが倒れて運ばれていく光景も。

ここでは全部、日常だ。
壁際。

人の流れから半歩外れた位置に、
ひときわ大きな影が立っている。

身長、ほぼ二メートル。
肩幅も広く、
その場にいるだけで圧がある。

だが――
誰も気に留めない。

三年。
番付百位以下。
戦績ゼロ。

「見なくていい存在」。

それが、この学園で与えられた役割だった。

本人は、
そんな評価を気にする様子もなく、
リングを眺めている。

騒ぎに興奮するでもなく、
賭け札を握るでもなく。

ただ、
淡々と。
「……おい」

不意に、声が掛かった。

男の前に立ったのは二人。
二年生だ。

腕に巻かれた包帯、
袖から覗く刺青。
喧嘩慣れした立ち方。

「そこ邪魔なんだけど」

標準語。
苛立ちを隠そうともしない。

男は視線を向け、
少しだけ首を傾げた。
カイン
カイン
通路、空いとるやろ。
低い声。
抑揚の少ない関西訛り。

それだけで、
二年の表情が歪む。

「は?」

「何だよ、その喋り」

周囲から、
小さな笑い声が漏れた。

「百位が偉そうにすんなよ」

「三年のくせに、戦績ゼロだろ?」

いつもの流れ。
下を見つけて、
鬱憤をぶつける。

男は溜息を吐いた。
カイン
カイン
……別に喧嘩しに来とる
わけちゃうんやけど
「聞いてねえよ」

次の瞬間、
肩に衝撃。

突き飛ばされた。

だが――
男の体は、動かなかった。

揺れない。
崩れない。

まるで、
床と一体化しているかのように。

「……あ?」

突き飛ばした側が、
一瞬だけ間の抜けた声を出す。

周囲がざわつく。

「今の……」

「倒れないのかよ」

男は、
視線を落としたまま、
静かに一歩前へ出た。

拳は振るわない。
構えもしない。

ただ、距離を詰める。

それだけで、
二年は無意識に後ずさった。

――近い。

デカい。
圧がある。

視線が合う。

そこにあるのは、
怒りでも威圧でもない。

ただの、
冷めた目。
カイン
カイン
……鬱陶しいから、
どいてくれ。
淡々とした声。

その一言で、
空気が変わった。



「調子乗るなよ!」

耐えきれなくなった二年が、
拳を振り上げる。

その動きは速い。
少なくとも、
素人じゃない。

だが――

拳は、
途中で止まった。

男が、
腕を伸ばしただけで。

掴まれたのは、
手首。

力を入れているようには見えない。
だが、動かない。

「……っ!?」

二年の顔が歪む。

「な、何だよ……!」

骨が軋む音。

男は僅かに眉を寄せた。
カイン
カイン
……あー、悪い。
そう言って、
手を離す。

次の瞬間、
二年はその場に崩れ落ちた。

殴られていない。
蹴られてもいない。

それなのに、
立てない。

「いっ……!」

手首を押さえ、
呻く声。

体育館が、
一瞬だけ静まり返った。

「今の……何?」

「殴ってないよな?」

「百位以下だろ、あいつ……」

囁きが広がる。
男は、
自分の手を見下ろした。

(……加減、間違えたか)

小さな独り言。

勝ち誇る様子もなく、
相手を見下ろすこともなく。

そのまま、
また壁際へ戻る。

何事もなかったかのように。
観客席の最奥。

一段高い位置で、
数人が無言でその様子を見ていた。
……今の見てたか。
見てました。
殴ってへんな。
その中の誰かがスマホを操作する。

戦績ゼロ。
学園内喧嘩履歴なし。
…力の使い方が慣れすぎとる。
……素人やないっぽいっすね。
数字と現実が、
噛み合わない。
番付百位以下雑魚、ね……。
男は、
周囲の視線を気にすることもなく、
出口へ向かって歩き出した。
カイン
カイン
……やっぱ、うるさいな。
関西訛りの独り言。

背中に、
無数の視線を浴びながら。

まだ、
誰も知らない。

この男が、
“試される側”で終わらないことを。

そして――
次に動くのが、
誰なのかを。

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