第2話

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2024/07/02 03:17
ああ。また変な夢見ちゃったな。

くりがわはずるずるとベッドから這い出すと、目覚まし時計を止めた。

いつも通りいやにリアルな夢だった。見ている最中はもうこれが夢かと疑うことができないぐらい五感すべてがはっきりとしている(厳密に言うと、その感覚自体を覚えているのではなく、「そう感じたこと」を覚えているのだが)。

でも、こうして覚めてみると、やはり夢だけあって、ぼんやりとしている。

記憶が曖昧になるという意味でなく、何もかもに現実感がないのだ。映画を見たり、小説を読んでいる感覚に
近い。どんなにはっきりと感じたとしても、それが現実ではないことは揺るぎない事実であるとしっかり実感
できている。

しかし、どうしてあんな頭のおかしい人物やら動物やらが住んでいる世界の夢ばかりをみるのかしら?

あの世界のことはよく知っているはずなのに、いったいどこなのか思い出せない。夢を見ている間は
「ここがどこか」なんて疑問すら湧かないのに。

まあ夢なのだから、辻褄が合わないのは当然だとも言えるが。

でも、みんな夢は目が覚めるとすぐに忘れると言うけれど、わたしはずっと覚えている。実感はきえてしまうけれど、どんな事件があったかと言う記憶はずっと保持しているのだ。

これって特異なことなのかしら?

最近はこの夢ばかり見ている。ひょっとして毎日見ている?まさか。

昨日見た夢を思い出そうとする。

昨日はあの世界の夢だ。昨日はね。二日続けて見るのはそんなに不思議じゃない。

一昨日の夢を思い出そうとする。

たぶんあの世界の夢だったわ。たまたま三日続いただけだけど。

一昨々日さきおとといはどうだったかしら?

なんとなく、あの世界の夢だったような気がする。確証はないけど。

……。

亜里はふと不安を覚えた。

これって大丈夫なのかしら?大丈夫よね。

心理学には詳しくはないが、繰り返し見る夢には意味があると聞いたことがある。きっと、あの世界はわたしにとって何かの象徴で、今この局面で大事なことなんだ。だから、わたしの無意識がそれをわたしに知らせようとしているのかもしれない。

じゃあ、いつ頃からあの夢を見だしたのかしら?

それはどうもはっきりしない。相当前からのような気がするが、夢の記憶はあまり現実とリンクしていないので、年月の特定がしづらいのだ。

じゃあ、視点を変えてみましょう。あの夢以外に重要そうな夢って他にどんなのがある?
……。
何も思い付かない。

わたしあの夢以外の夢を見たことがないの?

いくらなんでもらそれはあり得ないわ。単にすぐ思い出せないだけよ。

亜理は唇を噛んだ。

夢のことなんかどうでもいいはずなのに、なんだか気になり始めちゃった。こんなことなら夢日記を付けとけばよかったわ。

そうだ。夢日記。

試しにこれから付けてみようかしら?ちゃんと日付を書いてメモしておけば、心理的な何かが摑めるかもしれないわ。

亜理は机の引き出しを開けると、授業のために買っておいたノートを引き摺りだした。

最初の二、三ページに何かが書いてあったが、そこは無視して白紙のページに書き込んだ。

五月二十五日

こんな夢を見た。
白兎が走る。蜥蜴のビルに「スナークはブージャムだった」という合言葉を聞く。
ハンプティ・ダンプティ殺害される。
「スナークはブージャムだった」ってどういうことかしら?ああ。でも、この言葉ビルが言う前にもう知ってたんだっけ。じゃあ、ひょっとするとあの世界では誰でも知ってる言い回しなのかしら?だとしたら、ビルはよっぽど間抜けだわ。

いけない。もうこんな時間だわ。早く大学に行かなくっちゃ。今日、実験装置の予約してたんだっけ。

亜理はペットのハムスターに餌をやると、慌てて部屋を飛び出した。
亜理が大学の研究室に着くと、建物内は妙に慌ただしかった。

ふだんはめったに姿を見せない職員たちが廊下を小走りしているし、見知らぬ人々や警官の姿も見掛けた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
何かあったんですか?
亜理は一年上の大学院生田中李緒たなかりおに尋ねた。
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
中之島なかのしま研究室の王子おうじさんが亡くなったらしいの
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
えっ?!
亜理は耳を疑った。中之島研究室の博士研究員ポスドクである王子玉男たまおとはそれほど親しかった訳ではない。研究会などで、たまに言葉を交わす程度だ。だが、昨日まで元気に生きていた人間が突然死んだと伝えられるとショックは大きい。
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
わたしもびっくりしたのよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
急病ですか?
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
玉子たまご綽名あだなされるほどの、あのまんまるな体型だから、糖尿病か循環器系かの病気だと思うでしょ。でも、違うの。墜落死だって
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
墜落?飛行機事故か何かですか?
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
そうではなくて、屋上から落ちたのよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
まさか、自殺……
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
それは今調べているらしいけど、目撃者によると屋上の端に座って、足をぶらぶらさせていたらしいわ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
見てた人がいるんですか?
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
ええ。だから、すぐに救急に連絡したらしいんだけど、もう手遅れで……。一時この辺りは救急車やパトカーやらで大騒ぎだったらしいわ
最近似たようなことがあったかも。

亜理はふと思った。

何だったかしら?
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
たぶん自殺じゃないわね
李緒はぽつりと言った。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
どうしてそう思うんですか?
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
自殺するようなタイプじゃないもの。そう思わない?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたし、王子さんとはあまり親しくないもので……
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
あの人は相当無頓着なタイプよ。物事を気にしないというか、屋上の端に座っていたというのもあの人らしいわ。本当に何の危険も感じてなかったのかもしれない
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
つまり、不注意からくる事故だったってことですか?
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
断言はできないけどね。とにかく、今日は実験をするような状況じゃないみたい
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
えっ?でも、わたし困るんです。今日蒸着じょうちゃく装置の予約をしていて、これを逃すと三週間先になってしまうんです
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
あら。それは困ったわね。でも、無理だと思うわ。今日は、実験中止だって、通達があったし
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
夜も駄目なんでしょうか?
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
基本的に夜間に出来る実験は許可を受けたものだけよ。今から申請しても間に合わないんじゃないかしら?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
どうしよう?
亜理は情けない声を出した。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
学会発表に間に合わなくなりそうです
田中李緒(LK)
田中李緒(LK)
どうしてもって言うなら、今週予約している他の人と交渉してみるのはどうかしら?余裕のある人なら譲ってくれるかも
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
そうしてみます
亜理は予約表を調べると、めぼしい人物をピックアップし、実験室を見て回った。

どの部屋でも殆どの学生や研究員たちは実験をせずにただ王子の死についての話ばかりしていた。

中には手作業でできる簡単な実験を行っている者もいたが、それは問題ないのか隠れてやっているのか、亜理には判断出来なかったし、問いただすつもりもなかった。今、亜理の頭の中は実験のことだけだったのだ。

王子には申し訳ないが、彼の死をいたんでいる暇はない。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
水曜日の蒸着装置の予約ですが、譲って貰うことはできませんか?学会発表の準備に必要なんです
亜理は他研究室の大学院生に尋ねた。
大学院生
ああ。ごめん。俺もいっぱいいっぱいなんだ。学会発表どころか、博士論文の〆切しめきりが危ないんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
誰か余裕ありそうな方、ご存知ないですか?
大学院生
余裕?そんなやつは……。いや……
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
心当たりあるんですか?
大学院生
まあ、余裕と言えば余裕だが、余裕とはちょっと違う気もするなぁ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
余裕か余裕でないのかどっちなんですか?
大学院生
まあ、あいつが変わってるのは間違いない
大学院生は頷いた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
誰ですか?
大学院生
井森いもりだよ。井森けん。知ってる?
名前は知っている。同学年だが、他学科から途中編入してきたので、それほど親しくはない。

そういえば、ゆったりとした雰囲気には余裕を感じないでもない。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
一応、井森君にも訊いてみます。今、どこにいるかご存知ですか?
大学院生
どうかな?あいつ、王子と仲良かったから、警察も捜しているみたいだったし
だとしたら、まずい、警察より先に確保しておかなくては。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
失礼します
亜理は挨拶もそこそこに井森の探索に向かった。

井森はすぐに見つかった。

食堂でぼうっとテレビを見ていたのだ。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
井森君!
亜理は息急いきせき切って呼び掛けた。

井森は亜理の方をゆっくり見て、そして少し首を傾げた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
あなた、明後日あさって蒸着の予約してるよね。あれ、譲ってくれない?
井森はまた首をひねった。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
首どうかしたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
今、思い出そうとしているんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
何を?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
いくつかの事柄を同時に。まずは蒸着予約の件だ。明後日、確かに蒸着の予定だったような気がする
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
そんな曖昧なの?明後日なのに?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
明後日のことなんか、気にしてられないよ。今日やることで手一杯なんだから
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
でも、、今あなたテレビ見てたよね
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そう。今日やることの一つがテレビを見ることなんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
呑気のんきにテレビなんか見ていていいの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
テレビを見られないほどの緊急事態ってなんだ?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
あなた、親友が亡くなったんでしょ
井森は首を捻った。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
どうしたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
もう一つ思い出さなければいけないことが増えた
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
思い出さなくてもいいわ。わたしが教えてあげる。王子さんよ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
王子?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
王子さんの名前も忘れた?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
いや。それは覚えている。だが、僕と親友だったとは初耳だ。ひょっとすると、忘れているのかも
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
じゃあ、わたしの勘違いよ。ただの友達だったかも
井森は首を捻った。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
友達でもないの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
わからない。僕が忘れているだけかも
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
あなたの認識では、二人の関係は何?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
顔見知りかな。でも、君よりは親しいと思う。王子さんとは、少なくとも廊下で会うと挨拶ぐらいはするから
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたしとは挨拶しないってこと?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
してたかな?
井森は首を捻った。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
それはわたしも覚えてないわ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
だとしたら、かなりの難問だ。君と挨拶してたかどうかについて、答えを出さなくっちゃいけない?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
出さなくていいわ。もちろん、出したければ出してもいいけど、それはまた今度にして
ああ。このまどろっこしいやりとり、最近どこかでしたような気がするわ。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
ああ。思い出した!
井森は亜理の顔を指差した。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
君は栗栖川さんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
それをずっと考えていたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そうだよ。だが、もう一つ思い出さなくてはならないことがある。それはもっと重要なんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
蒸着装置の予約の件?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
それはもう思い出した。確かに僕は蒸着の予定を組んでいた
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
替わって貰える?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そいつは難しいな。他のグループの蒸着も引き受けているから、僕だけの実験ならともかく他の人にまで迷惑が掛かってしまうんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
そうなの
亜理は項垂うなだれた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
どうしよう?もう駄目かもしれないわ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そうとも限らない。君の実験内容を聞かせて貰っていいかな?
亜理は落胆しながら、簡単に自分の実験内容を説明した。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
なるほど。電極を形成しさえすればいいんだろ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
ま、つまるところ、そういうことになるわね
井森建(HJ)
井森建(HJ)
だったら、スパッタを使えばいい
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
スパッタはちょっと大げさじゃない
井森建(HJ)
井森建(HJ)
大げさでもなんでも構いはしないさ。スパッタなら今週中に使えるはずだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
自分の実験予約は覚えていないのに、他の装置の予約状況は覚えているの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
覚えていなかった訳じゃない。ただ、思い出すのに時間が掛かっただけだ
亜理はしばしば考えた。確かに、電極を作る目的なら、スパッタでも構わないはずだ。装置の設定は多少面倒だが、使用経験はあるから、それほど困難という訳ではない。

これで、実験を大幅に遅らさずに済むかもしれないわ。当初の目的は達成しなかったけど、結果的に井森君に相談したのは正解かもしれない。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
ありがとう。スパッタを使ってみることにするわ
井森は首を傾げた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
何?まだ何かあるの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
あと一つだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
そう言えば、何かまだ思い出せないって言ってたわね
井森建(HJ)
井森建(HJ)
重要なことだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
思い出せないのに重要なことだってわかるの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
不思議なことにね
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
あれじゃない?今日の事件のことに関してとか
井森建(HJ)
井森建(HJ)
事件?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
それも忘れたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
いや。今日は結構事件があったから
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
王子さんの死亡より重要な事件が?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
ああ。あの事件のことか
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
他にも何か事件があったの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
自動販売機のコーラが売り切れていたこととか、大学に来る時に一駅乗り越したこととか
そして亜理の顔をまじまじと見た。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
今、ここで君に話し掛けられたこととか
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
そんなの全然重要じゃないでしょ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
重要かどうかはそれぞれの観点によるね
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたしに話し掛けられたことが重要?
井森は一瞬はっとした表情になった。

えっ?何、それ?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そうだ。君に関したことだった
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
何が?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
それをもう少しで思い出せそうなんだ。もうちょっと待ってくれ
待てって言われても、会話も変な方に流れてきちゃったし、ちょっと居づらくなってきたわ。

そうだ。こっちから話題を振ろう。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
王子さんはやっぱり事故だったの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
病死の可能性はゼロではないが、殆どないと思う。事故か自殺か他殺だろうね
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
病死でなかったら、たいていその三つの死に方よ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
しかし、極めて妙だ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
あなたもそう思うの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
彼は自殺するようなタイプじゃない
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
人は見かけによらないかも
井森建(HJ)
井森建(HJ)
もちろんそうだ。だが、自殺だという確証がないのだから、とりあえず除外して考えよう。次に事故だが、どんな状況下での事故があり得るだろう?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
屋上の端で足をぶらぶらさせている時にバランスを崩したのよ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
いい年をした大人が屋上の端で足をぶらぶらさせるだろうか?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
さあね。人それぞれ事情や嗜好があるだろうし
井森建(HJ)
井森建(HJ)
もちろんそうだ。だが、事故だという確証がないのだから、とりあえず除外して考えよう。次に殺人だが、どんな方法での殺人があり得るだろう?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
目撃者がいたんじゃなかったっけ?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
ああ。僕だよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
えええっ?!
井森建(HJ)
井森建(HJ)
実験に遅れそうだったので、ちょうど実験棟に向かって走っている時だった。王子さんは屋上の端に座って足をぶらぶらさせていた
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
それでどうしたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
何も。ただ危ないなと思った。下手に手を振ったりして気をとられたりしたら、落ちるかもしれない。だから、誰かに知らせて対策をとらなくちゃいけないと思ったんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
自殺すると思ったんだ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
自殺するようには全く見えなかった。だが、人間というのは突発的な行動をするものだからね。僕は物陰に隠れて、警察か消防に連絡しようとしたんだ。その時、王子さんは突然前のめりになった
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
自分で飛び降りたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そんな感じではなかった。必死で抵抗しているように見えた。だが、次の瞬間、王子さんはすでに落下していた
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
誰かに押されたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そんなふうに見えないこともなかったが、犯人は見えなかった。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
透明の犯人ってこと?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
いや。単に角度的に見えなかっただけかもしれない
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
目撃者はあなただけだったの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
もちろん他にも何人かいた。彼が落下した瞬間、悲鳴が上がったよ。ただし、知り合いはいなかった
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
それでどうしたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
僕を含めて何名かが落下現場に向かった。5階建ての屋上からだからね。殆ど即死だったと思う。落ちた瞬間に関節が外れたのか、手足と首が妙に伸びていて、なんというかばらばら死体のように見えたんだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
ばらばら死体?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
正確に言うと、壊れた物のようだった
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
人形みたいな感じ?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
人形というよりは何かが割れたみたいな感じだ。ガラスのコップとか、玉子とか
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
玉子というのは王子さんの体型からの連想じゃない?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
それは否定できないな
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
あなたは殺人だと思ってるのね
井森建(HJ)
井森建(HJ)
確証はない。だけど、とても妙な印象を受けたことは確かだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
警察には言ったの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
ああ。だけど、さほど重要視はしていない様子だった。まあ、当然だろ。単なる印象の問題だし
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
他の人も同じ印象を受けたの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
それはわからない。他の目撃者の中に知り合いはいなかったし、取り調べの前に目撃者同士が話をするのは捜査的によろしくないだろ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
どうして?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
互いの印象が影響を及ぼし合って、記憶が変化してしまう可能性があるからだ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
もう取り調べは終わったんでしょ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
どうだろう?まだ続いているかもしれない
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
でも、何人かは終わっているはずだわ。終わった人同士なら話し合ってもいいんじゃない?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
なるほど。だが、さっきも言った通り知り合いはいなかった。見付け出して、話をするのは難しいだろう
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
ネットで呼び掛けてみたら?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
何のために?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
真相を究明するために決まっているじゃない
井森建(HJ)
井森建(HJ)
悪いが、その方法では、真相には到達しないだろう。事故だと感じたにせよ、殺人だと感じたにせよ、それはあくまで印象の問題だ。何人に話を聞いても何も解決しない
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
犯人を見た人がいるかもよ
井森は首を振った。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
地上からは僕が一番よく見えていたはずだ。最も屋上から見ていたり、空から見ていたりしたら、話は変わるが
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
いるかもしれないわ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
いるかもしれないね。だけど、その話の真偽をどうやって確認するんだ?
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
証言に基づいて、証拠を積み重ねていくのよ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
それは警察の仕事だ。もしくはマスコミの仕事かもしれない
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたしたちがやっていけない理由はある?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
明らかに警察の捜査の邪魔になるよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
じゃあ、この話はこれでおしまいね。バイバイ
亜理は立ち去ろうとした。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
待ってくれ。君はこの事件に興味があるのかい?
井森は亜理を呼びとめた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
えっと。どうかしら?興味がなくはないという感じかしら?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
身近で死者が出た場合の反応としては特段変わったものではない。だけど……
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
だけど、何?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
君は関わっているような気がする
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
ちょっと待って。どういうこと?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
言葉通りの
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたしが王子さんの死に関係あるって?
井森は頷いた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
何か証拠でもあるの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
あるはずなんだ。もう少しで思い出せそうなんだが……
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
何、それ?あなたが王子さんの死に関わるわたしの秘密を知ってるっていうの?じゃあ、あなた自身も関係者ってことになるわね
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そういうことになると思う
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
それって、妄想の一種じゃないの?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
今のところ、そう言われても仕方がないが……
井森の目が一瞬うつろになった

何?ちょっと怖い。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
どうしたの?大丈夫?
井森の目の焦点が合った。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
大丈夫だ。ついに思い出したよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
事件に関すること?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
う〜ん。それはまだよくわからないな
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたしに関すること?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そうだよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
あなたにも関係すること?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そうだよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
二人の関係について何か思い出したってこと?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そうだよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたしとあなたの間に何か関係があるって?
井森建(HJ)
井森建(HJ)
そうだよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
わたしは知らないわよ
井森建(HJ)
井森建(HJ)
いいや。おそらく君も知っているよ
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
じゃあ、今すぐ証明してみせて
井森建(HJ)
井森建(HJ)
ああ。いいよ
井森は亜理の瞳をじっと見詰めた。

やっぱりこの人怖い。

井森はゆっくりと口を開いた。
井森建(HJ)
井森建(HJ)
スナークは
亜理の全身に電撃のように悪寒が走った。

口が凍りついたようになり、声を出すことはできなかった。

井森は静かに亜理を見ていた。

駄目。ここで答えたら、取り返しのつかないことになるような気がする

いや。もう取り返しは付かないのだ。平穏な人生はもう戻ってこない。

そんな予感がひしひしと伝わってくる。

井森は確信に満ちた目で亜理を見ていた。そこには一かけらの不安もなかった。彼は亜理が正しい答えを返してくると信じているのだ。

その一言で世界が崩壊しようが知ったこっちゃないわ。

そもそも世界は最初からこうなっていたんだもの。そうでしょ?

亜理は覚悟を決めた。
栗栖川亜理(HN)
栗栖川亜理(HN)
ブージャムだった
世界はがらりと変わった

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