第36話

続き
312
2026/01/08 20:53 更新
昼。
朝のあの空気のまま、時間だけが進んでいた。
学校組はそれぞれ家を出たけれども、誰も言ってきますを明るく言えなかった。
蓮は玄関に立ったまま、靴を履きながら一度だけ振り返る。
……亮平
亮平
……
亮平の答えない。
その沈黙が答えだった。
……昼、戻らないから
亮平
そう
短い会話。
玄関のドアが閉まる音がやけに大きく響いた。
バタン。
その瞬間、まいとの肩がびくっと揺れた。
真都
……パパ、いっちゃった
亮平
……
亮平は何も言えず、キッチンで立ち尽くす。
大介
ママ……
今日は学校がお休みな大介。
大介が不安そうに見上げる。
亮平
……お昼、食べよっか
無理矢理作った明るい声。
昼ご飯はうどんだった。
いつもなら大介が喜ぶのに今日は箸が進まない。
真都
……ママ
まいとがぽつりと言う。
真都
パパ、かえってくる?
亮平は一瞬、言葉に詰まる。
亮平
……今日は遅いかもね
嘘では無いけど、本当でもない答え。
まいとは俯いた。
真都
ぼく、パパいないの、やだ
その言葉に、大介の目からぽろぽろと涙が落ちた。
大介
ぼくも……
亮平は2人を抱き寄せる。
亮平
大丈夫、大丈夫だから
でも、自分の胸の奥が一番大丈夫じゃなかった。
夕方。
学校から帰ってきた子供たちは、家の空気ですぐ察した。
……お父さん、まだ?
照が靴を脱ぎながら聞く。
亮平
……仕事
亮平の答えは、それだけ。
康二
……喧嘩、続いてるんやな
康二が小さく言う。
亮平
……
誰も否定しなかった。
まいとと大介はリビングの隅で寄り添うように座っていた。
大介
ねぇ、翔太にぃ
大介が小声で話しかける。
翔太
何?
大介
ママとパパ、ほんとに、きらいになっちゃったの?
翔太は少し驚いた顔をして、すぐにしゃがむ。
翔太
そんなことないよ
優しく、でもはっきり。
翔太
喧嘩してるだけ
大介
……ほんと?
翔太
ほんと
その横で涼太は黙ったまま拳を握っていた。
涼太
……俺が、何か言えば
そう思うのに、朝の光景が頭を離れない。
涼太
また、悪くなったら……
辰哉はその様子を全部見ていた。
辰哉
 全員、我慢してる
それが一番、まずいことだとわかっていた。
夜ご飯の時間になっても蓮は帰ってこなかった。
亮平
……もう、食べよ
亮平の声に誰も反対しない。
食卓に並んだ料理はどれも亮平の得意なものだった。
それが逆に胸に刺さる。
真都
……パパの席、あいてる
まいとが言う。
誰もすぐには答えられなかった。
亮平
……あとで、食べるかもしれないから
亮平はそう言って席を空けたままにした。
食事中、会話は少なかった。
箸の音だけが響く。
突然。
ガチャ。
玄関の音。
……ただいま
蓮の声。
一瞬、全員の顔が上がる。
真都
パパ……!
まいとが立ち上がりかけたが亮平の表情を見て止まった。
亮平
……遅い
亮平の声は冷たかった。
……ああ
蓮も短く返す。
その空気に大介は目が潤む。
大介
……やだ……
小さな声。
大介
……また、けんか?
耐えきれず、大介が泣き出した。
まいとも堪えていた涙が溢れる。
真都
ママ……パパ……
翔太が立ち上がる。
翔太
大丈夫だよ
2人に向かって優しく。
翔太
今日はちょっとすれ違ってるだけ
涼太
……
涼太は立ち上げりかけてまた座った。
涼太
今じゃない……
もう迷いが胸を締め付ける。
亮平
……もういい
亮平が言った。
亮平
今日は、これ以上話さない
……俺も
蓮は視線を逸らす。
ほんとに、口きかないから
その言葉で、全てが決まった。
辰哉はその瞬間をはっきりと見ていた。
辰哉
……ここから、地獄だな
普段、怒らない自分が。
こんなにも腹の底が冷えるほど、怒りを感じるのは久しぶりだった。
まいとと大介は泣き疲れて、翔太に抱き寄せられていた。
翔太
大丈夫
翔太は何度も言う。
翔太
絶対、元に戻る
その言葉を信じたいのに、
誰も確信を持てなかった。
それぞれが部屋に戻った後。
辰哉だけがリビングに残った。
静まり返った家。
空いた父の席と背を向けたままの母。
辰哉
…… 3日目で
辰哉
俺が、終わらせるか
小さく、でも確かな声。
こうして、1日は完全に壊れたまま終わった。

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