第4話

大嫌いが崩れた日
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2020/05/27 08:13
隼___。

心のなかではさんざん悪態を付いてきたのに、いざ目にしてしまうと心臓ごと鷲掴みされるような、痛みに襲われる。それは少女漫画でありがちな、きゅん、といった甘いものではない。ぎゅ、といった苦い苦いものだった。

そんな私の動揺にはもちろん誰も気づかない。
みんなには__1年前のみんなには__私の姿すら見えていないのだから。その証拠に懐かしい元クラスメイトたちは、私の方を見向きもせず、黙々と英語の授業プリントを解いている。__黙々とやっていない人たちも少数いるようだが。

「斗真、俺この席絶っ対耐えられん。席替えしてほしいわ。この席のままじゃ俺たぶん全く喋んないと思う。あー陰キャになるわー、俺」

隼の低い声が静まり返った教室に響いている。

「いやー、するっちゃん...」
隼の親友で、私の、2歳のときからの幼なじみでもある斗真は困り顔で私と隼を交互に見ている。どんまい斗真。ちなみにするっちゃんとは隼のあだ名だ。するじ、という名字だからするっちゃんらしい。


「だってクラスで1番嫌いな奴が自分の前の席に座ってるんだぞ?同じ空気も吸いたくないねー、」


そんなことがあったあとの休み時間。
斗真が私に話しかけている。
あ、1年前の私に。ああ紛らわしい!
今後は説明を省くため、1年前の私のことを平仮名でわたし、と呼ぶことにしよう。

「ねー和佳、頼むからするっちゃんと仲良くなってくれない?」
「そうしたいのは山々なんだけど...無理!」
「そんな簡単に言うんじゃねーよ!俺が困るよ...和佳もするっちゃんも仲良いからどっち側に着くとかいうこともしたくねーしさ...」
「ていうか、仮にわたしが仲良くしようとしたとしても駿地にその気がないと思う.....。」
「うん、...確かに。」
斗真が思わず納得してしまうのも無理もない。
隼の敵対心は、本当に尋常じゃないものだった。


例えば同じクラスになったばかりの4月に行われた委員会決め。隼と私はそれぞれ、"行事運営委員会"という、その名の通り行事のときにクラスをまとめる委員会のクラス投票の、男子の1位、女子の1位だった。

「引き受けて貰えますか?駿地君と浪川さん」
くるくるのくせっ毛が特徴の担任、篠山先生がにこやかに問いかける。
正直面倒だな、と思った。クラスにはそれぞれにキャラというものがありその役目を枠からはみ出さず行わないといけない。私はどちらかというと、ドMいじられキャラで、クラスではボケ役だ。ボケ役が行事の進行なんて、きっと進むものも進まない。
一方、隼は低い声と仏頂面のせいか、ドSクールキャラで、斗真と共に男子のボス的な存在。きっと上手く仕切るだろう。駿地君がペアならやってもいいかな、と当時思った。

「自信はないけど...いいですよ。
頑張ります!!」
「あ、俺やりませんよ。」
半笑いしながら隼は言った。なんだって?
「男のケツ追っかけてばっかでいっつもヘラヘラしてるだけの奴がペアなんて嫌っす。」
低い声でぼそぼそとそのあとに続けられた理由は、私のただの悪口だった。呆気にとられて傷つく暇も無かった。周りがなんとか笑い話の方向にもっていってくれたのでネタになって終わったのだけど。

いっつもヘラヘラしている、というのは否定しない。私は怒ったり泣いたりする程元気のある性格ではないのだ。わらえなくてもとりあえず笑っておく。それで人付き合いなんて何とかなることばかりだ、という考えをもっていたから。最も隼といる時は笑いたい時に笑い、怒りたい時に怒って、我ながら呆れる位感情の赴くままに行動していたけど。

ただ、男のケツばかり追いかけてるというのにはかなりむかついた。池田をはじめとする、性別が違う友だちが、私は人より少し多くいる。でもそれを"ケツ追っかけてる"と呼ばれるのは心底腹が立った。外側だけ見て、決めつけた言い方をされるのは気分が悪い。
私は友だちをとてもとても大切にするタチなのだ。私の友だち付き合いを何も知らないのに悪く言わないで欲しい。それは私の友だちに対しても失礼だ。

憤慨した。あの時に駿地 隼を嫌うことは、私の中でもうほぼ確定していたのだ。




__あんなに嫌いだったのに、ひっくり返る事もあるもんだよな___。


このあと2人はベストコンビと呼ばれるくらいのカップルになるのだから、不思議だな、と私は思った。
しみじみしながら、ふと隼とわたしに目をやると、どうやらまたしても修羅場が起きたようだった。

隼とわたしが、通常の生活班だけでなく、授業中に話し合いをする2人から4人で分けられる学習グループまで一緒になってしまったのであった。

「最っ悪」

わたしと隼は同時に呟いて、ハモったことにお互い驚いている。目が合ったのも束の間、ふんっと慌てて目を逸らしている様子は、なんだか可愛らしく見えた。今思えばだけど、あの時が、隼を嫌いと思う気持ちが初めてぐらついた瞬間だった。

結局、わたしと隼の篠山先生への熱烈な懇願により、学習グループにはわたしとも隼とも仲の良い男子が入ることになって話がまとまったようだ。

「京が居るからまあいっか。よし、浪川、仕方ないから仲良くしてやるよ。」
「あ、別に仲良くしてくれなくていいから。でも池田が居るならたのしくなりそう!よろしく、池田!」

わたしも隼もなんというか、はたから見ていると変わり身が早い。早すぎる。早杉君だぞこりゃ。
早杉君のわたしと隼は、照れながらも目をちゃんと合わせて握手を交わしている。
この時にはもう、わたしのなかに、隼を嫌いだと思う気もちは無いのだろう。だってわたしの表情から完全に嫌悪の色が消えている。全く単純だ。

池田は元々の席が嫌だったし、班長の役目も他の人に丸投げできたし、でとても嬉しい、と意気揚々と話している。席の移動は、池田にとっても好都合なことだったのだ。まさにwin-win。

私と池田、そして隼の3人組のスタートは、こんな感じだったのか、と私はわたしを見ながら思い出す。
その3人組はもうとっくに壊れてしまったし、もう3人で会うことすら無いのだろうけど。
でも3人で過ごしたあの時間は、間違いなく、
青春そのものだった。


ピロリーン___。
トークアプリの着信音が鳴り響く。
ああ、朝が来たんだ。

夢から覚めた私は、体を起こさず、手を伸ばして携帯をとる。

JUN♪♪ から メッセージ1件。

「和佳、実技試験おわったら遊びいこーぜ!
お疲れ様ケーキでも、奢るよ。
あ、他に誰か誘う?宮武とか」

隼は隼だけど隼じゃない。
諸我からだった。

実技試験、...あぁ、今月末にピアノの校内試験があるんだった。ここで高得点を取らないと、校内コンサートに選抜されない。気を引き締めなきゃ。高得点撮らなきゃ。失敗は許されない。無意識に私は、拳を握っていた。いつからだろう。私は、ピアノを好きだと思えなくなっていた。



隼____。


隼、元気ですか?

今何処に居るんですか?

どんな世界に生きていますか?



私のいまの世界に




壮大な夢はもう無い。



あるのは厳しい現実だけです___。

















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