前の話
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「婚約破棄、しましょう。」
わたしは冷たく言い放った。
カチャリ、痛いくらい静かな空間に、イデアがナイフとフォークを手放した音が響く。
これが最後のディナー。
あなたはただひたすら驚くばかりで、なにも言わなかった。
ほら、やっぱりあなたはわたしを引き止めない。
所詮、わたしと過ごした10年は、その程度のものだったんだね。
どうしてか滲んだ涙を隠すように、わたしは椅子から立ち上り部屋を出ようとした。
「まって、」
もう、遅いんだよ。
わたしは振り返らなかった。イデアも、わたしのことを追いかけなかった。
これでおしまい。きっと、もう会うこともないのだろう。
「どうぞ、監督生さんとお幸せにね。」
わたしはたっぷり皮肉を込めてそう言った。
綺麗に終わりたかった筈なのに、わたしの口からはそんな言葉が飛び出した。
もう早く帰ろう。これ以上ここにいたら、もっと彼を傷つけてしまうだろうし、
わたしだって辛かった。
「だから、まってって、なんで、どうして。」
どうして知らないふりをするの?
どうして、そんなに辛そうな声で話すの。
そんなの、期待してしまうじゃないか。
どうせ捨てられるというのに。
わたしは走った。頬を伝った涙を誤魔化したくて。
信じられなかった。どうしてまだ私は彼のことが好きなのだろう?
家について、この感情にとどめを刺してやろうと、わたしは彼との思い出を全て燃やした。
彼との思い出は、まるで一冊の分厚い本のようだった。
そして、今でもその記憶は、ページを開いて思い返すたびにはっきりと、鮮明に浮かんできた。
楽しかった。
ずっと続けばいいと思っていた。
その気持ちに嘘も偽りもなかったけれど、もう一緒にはいられない、そう気づいてしまったからには、もう許せなかった。
それでも、パチパチと揺らめく炎ですら彼のことを連想させて、
私は焦燥にかられた。
ねえ、どうしたらよかったの?
別れを告げることがこんなに苦しいことだなんて、私は知らなかった。
否、知らなくてよかったのだ。
*
出会ったのは10年前、社交パーティーでのこと。
当時わたしは6歳、彼は8歳だった。
会場に同じくらいの年齢の子は彼以外いなかったから、
わたしは仲良くなりたくて声をかけた。
「こんばんは、私の名前はリリー•テイラー。あなたは?」
声をかけられたことに驚いたのか、イデアは肩を振るわせた。
「き、君…誰なの?ど、どうせ僕のこの髪が珍しいからってからかいに来たんでしょ。」
確かに、彼の髪は綺麗な青色に燃えていた。
でもわたしは揶揄うつもりなんてなかったから、
彼がどんな意図で言ったのかよくわからなかった。
「え?わたしが、そんなことするように見えるの?」
「…は?僕の髪を見て、なにも思わないわけ。」
「確かに燃えているから不思議だとは思ったけど、まずは名前を名乗るのが礼儀じゃないかしら。」
「ご、ごめん。僕はイデア•シュラウド、あの呪われたシュラウド家の子供だよ。」
呪われたシュラウド家…。知ってる、お母様がこの前教えてくれた。
「でも、呪いは人にうつらないんでしょう?お母様が言っていたわ。なら別にいいじゃない。でも、まとめずらそうだし毎朝大変ね、それでも、すごく個性的で素敵だと思うわ。ねえ、炎は赤色よりも青色の方が熱いって言うけれど、火って不思議よね。青の炎は1番熱いのに、まるで冷たさの象徴みたいな色をしているのよ。」
わたしはそう言ってイデアの透き通るような青色をした髪を指で掬った。
「な、なにすんの…!?」
あまり触れられ慣れていなかったのか、イデアの髪は少しずつピンク色を帯びた。
どうやら、照れると色が変わるらしい。私は興味深くなって、彼の髪をより一層眺めた。
毛先までその色に染まり切ってしまう前に、イデアはわたしの腕を掴んだ。
「やめてよ…。そんなに面白いもんじゃないでしょ、」
「ごめん、つい…。ねえイデア、わたしとお友達になって。」
「…はあ!?!?」
青に戻りかけていた髪の毛は、ついに毛先までピンク色になって、
それどころか、頬までも赤く染まるものだから、わたしは彼のことが途端に愛おしくなって、その頬に軽くキスを落とした。
その時はただの友情のつもりだったけれど、今思えばその時からわたしは彼のことが好きだったのだと思う。
それから少しして、イデアの弟のオルトくんは事故で亡くなってしまった。
その頃にはもう何度か彼の家に遊びに行っていたことがあるので、
オルトくんとは仲が良かった。
初めて身近な人を亡くしたわたしはただ信じられなくて、信じたくなくて、
その日私はイデアの元に駆けつけた。
その時のイデアの辛そうな顔は今でも脳裏にこびりついて離れない。
それを見て、オルトくんが死んだという紛れもない真実をつきつけられた私は、しばらく立ち直ることができなかった。
それから私たちが会うことはほとんど無くなってしまった。
数年後、もう終わっちゃったんだろうな、そう思っていた私の元に、
少しだけ背も伸びて、声も低くなったイデアが現れた。
「ねえ、僕と婚約して、リリー。」
ただストレートに、率直に、それだけ伝えられたにも関わらず、わたしはその意味を理解するまでに時間がかかった。
「………は、」
こん、やく、こんやく、婚約…。
やっとその意味を理解した時には、わたしは彼の手を取っていた。
イデアはまるで存在を確かめるように、わたしのことを抱きしめた。
わたしも優しく抱きしめ返すと、イデアの髪は初めて出会った時のように、可愛らしいピンク色に染まっていた。
わたしは社交パーティーに招待されるくらいにはそこそこ良いお家の生まれだったので、
婚約の話はスムーズに進んだ。
気難しいお父様も、小さなころからそばにいたイデアにならわたしのことを任せても良いだろうとあっさり了承し、私達は晴れて婚約者同士になったのだ。
当時はまだ私が11歳になったばかりの子供だったから、どこかに2人きりでお出かけすることはできなかったけれど、お互いの家を行き来したりして、2人の時間をたくさん過ごした。
普段は外に出てきてくれないイデアも、私のためならいつでも会いに来てくれた。
春には、私の家の庭の芝生にレジャーシートを敷いて、満開に咲き誇る桜を眺めた。
イデアと芝生と桜なんて、なんだか珍しい組み合わせで新鮮ね、そう言って、顔を見合わせて笑った。
桜の香りを運んでくる風に揺れた私の髪を、イデアはそっと耳にかけてくれた。
夏になると、こっそり夜に抜け出して、じめじめと暑い空の下、イデアの家の中庭で花火をした。
全て燃えてしまった後に、2人で氷菓を食べた。
それが溶け始めてしまって、イデアの指先が甘いソーダ色に染まったから、
私は彼の手の甲にキスを落として、指の先を舐めた。
肌に残る氷菓を味わって、ふとイデアの方を見ると、イデアの髪は桃色に揺れていた。
秋が来て、ハロウィンになると、私とイデアはお互いに内緒で仮装して、脅かしあった。
イデアがなぜかケンタウロスの仮装をした時は、当時の私にはそれがあまりにも怖くて、
私は少し泣いた。それに驚くように、イデアはケンタウロス姿で私を抱きしめたが、
悪効果だった。今思い返せば、あの真顔でケンタウロスの格好をしたイデアは見ものだった。
なぜ写真を撮っておかなかったのだろう?と後悔するほどには。
冬が訪れると、2人は暖かい部屋で肌が触れるほどそばによって、一つの毛布にくるまって一緒にゲームをした。
そんな日は、なかなかクリアできなくて、夜更かしをして、イデアのお母さんに布団に押し込まれるまでがセットだった。
雪が降れば、寒いから嫌だと部屋から出ないイデアの手を引っ張って外に連れ出した。
大きな雪だるまを作った。
イデアがそれに魔法をかけると、雪だるまは少しの間だけ喋り、そして動くのだった。
空が夕焼け色に暮れて、2人は冷たくなった指先を暖めるように絡めた。
そんな日々を、過ごしていたのだ。
それから時間が経ち、私は13歳、イデアが15歳になった年、イデアの元にあの有名なナイトレイブンカレッジへの入学証が届いた。
イデアは外へ出る事を渋っていたが、わたしは嬉しかった。
すごいわイデア、さすがね、と褒めて、イデアの背中を押してあげた。
その頃のわたしは、イデアが自分から離れていってしまうなんて思いもよらなかったし、
彼はずっと自分だけのことを愛してくれるのだと、そう信じていたのだ。
イデアがNRCに入学してからも、私たちは手紙でやり取りを続けた。
イデアは初め、「なんでわざわざ手紙なわけ?」と、スマホを持っていなかった私にお手製スマートフォンを手渡した。
「手紙じゃなくて、メールでもいいし、通話でもいいじゃん?」と彼は言っていたけれど、私は拒んだ。
全く、乙女心をわかっていないにも程がある、と、少々キレ気味に言ってやった。
確かにメールや通話なら手軽にできるが、わたしは文章を自らの直筆で嗜め、
そして、返事を待っている時間に価値があると思うのだ。
そうイデアに力説すると、イデアは、「わかった、でも何かあったら心配だからこれは持っていて。」と私にスマホを渡した。わたしは渋々受け取った。
イデアが一年のうちはもちろん、二年に進学してからも毎週のように手紙でやり取りしていた。
イデアからの手紙の内容も、直接ははなかなか話してくれないような甘い言葉で溢れていたし、まるで同じ人物は思えないくらい、イデアが紡ぐ言葉には愛が籠っていた。
だから、私は彼の手紙を見て、そのひと文ひと文にいちいち驚き、そして喜んだ。
学園が休みの日にはよく私に会いに帰ってきてくれていたから、少しの間なら離れていてもこれはこれでいいかもな、とわたしは思った。
でも、そんなのは間違いで。
いつまでも彼がそばにいてくれるわけじゃない事を、
私はもっと早く気づくべきだったのだ。
ある日のこと。
寮長になった、という内容の手紙を最後に、それっきりイデアからの手紙は無くなってしまった。
忙しいのかな。そう思って手紙は出さず、ただひたすら私はイデアからの連絡を待った。
それで、わたしは待ちくたびれてしまったのだ。
お母様から、イデアの学園の学芸会、VDCのチケットを貰ったのをいいことに、
わたしはその日、さっそくイデアには内緒でこっそり賢者の島へと向かった。
イデアに会いたい、会ってびっくりさせたい、たったそれだけだった。
なのに。
砂糖を煮詰めたような、甘い声。
「イデア先輩♡」
「ちょっと、他の人に見られたら困るからやめてよ、監督生氏。」
わたしの目に映ったのは、ふわふわのボブカットに、綺麗な黒髪、華奢で可愛らしい女の子と、イデアが手を繋いで、人混みの中で2人、体をくっつけて歩いている姿だった。
わたしは初め、イデアが女の子に絡まれているんじゃないかと思い、すぐにそこに行こうとして身構えたが、やめた。
イデアの髪の先が、ほんのりと赤色に染まっているのが見えたからだ。
なんだ、共犯かぁ。
そう気づいてしまった私の瞳はやけに乾いていて、もう涙も出ない。
ただ、遠のいていく2人の仲良さげな後ろ姿を眺めるだけだった。
それでもやっぱり、一度は愛していた人なのだ。
『ねえ、何してるの?』
わたしは思わず、前にイデアからもらったスマホを使って、初めてそうメールを打った。
すぐに既読はついて、
『ごめん、今忙しい。また後にしてくれない?』
という、そっけない返事が返ってきた。
そっか。わたしじゃなくて、他の女の子と一緒にいるから忙しいってこと?
わたしなんてどうでもいいの?イデアにとってわたしは、そんなにいらない存在だった?
聞きたいことはたくさんあったけれど、それを上手に全部伝えるにはメールじゃできなくて。
でも直接追いかけて、またあの女の子とイデアが一緒にいるところを見てしまうのも嫌だった。
もう全部ぜんぶ最悪だ。
私は舞台を見る気にもなれず、そのまま家に帰った。
他の女の子のことを好きになってしまったのなら、そうと言ってくれれば良かったのに。
ちゃんと教えてくれていたなら、こんなに傷つくこともなかったのかもしれない。
さっきイデアに送ったメールを見て、私はイライラした。
なんだかまるで、私だけがあなたのことを気にかけているみたいじゃない。
きっと、実際のところはそうなのだろうが。
私は彼とのメールを消した。送ったことを無かったことにするかのように、
アカウントごと消してやった。
そして、行き場のない感情をどうにかぶつけてやろうと、私は手紙を書いた。
そう、紛れもない、彼に向けて。
*
あーー、リリーに手紙、まだ出せてないな、イデアはため息をついた。
3年になり、寮長になってからは、なぜか闇の鏡のミスで異世界から呼び寄せてしまったイレギュラーな女子生徒ユウこと監督生のことや、生徒が立て続けに4人もオーバーブロットしてしまったたことなどでいろいろと仕事に追われていた。
正直なところ、リリーにめちゃくちゃ会いたいし、吸いたいし抱きしめたいけど、
彼女の方からは一向に来ない手紙を見て、自分だけが期待しているみたいで、それがなんだか嫌で。
イデアは、もうリリー氏の方から手紙をよこしてくれるまで書かないもんね!!!
と意地を張っていた。
そのくせ、自分は彼女からの手紙を心のどこかで待っていて、毎日寮の自室に戻ってきた時、イデアは空っぽのポストの中を覗くのだった。
うわ、拙者キモすぎる。
なお、今現在陽キャパリピイベント、VDCの準備中である。
「イデア先輩♡お疲れ様でーす!」
そしてイデアには頭を悩ませることがもう一つあった。
それは、例の異世界から来ちゃった悲劇系ヒロイン、監督生氏が、
自分にあからさまな好意を抱いていることだ。
最悪。1番関わりたくないタイプなのに。
無論、イデアの人生のヒロインはカイア、ただ1人である。
イデアも自分に向けられた好意に気づかないほど馬鹿じゃなかった。
自分には婚約者がいるから、と、何度言っても聞かない監督生にイデアはイラつきを
覚えていた。
そして、最近はボディータッチが多いのだ。
それはそれはもう、周りに付き合ってんの?って聞かれるほど。
そんなわけあるかボケ。
それを聞いて調子に乗った監督生はいい気になって、さらにセクハラが加速する。
もうやだ、完全に被害者の俺氏。
しかも、何度振り払っても磁石のようにくっついてくるのだ。
この前強引に繋いできた手を解いたら、「先輩、ツンデレさんですか?♡」とか言って口にちゅーかまそうとしてきた。
やめろそれはまだリリーともやってないんですぞ貴様如きがやっていいと思ったら大間違いだ殺す、といったような、殺気を孕んだ目で睨みつけたら、監督生は逆に喜んでいた。
イデアはかつてないほど鳥肌がたった。
いくら鬱陶しいとはいえど、イデアもこのツイステッドワンダーランドの男子であり、
女の子は乱暴に扱っちゃいけません、と言う常識を幼少期から擦り付けられていたのである。
だから、ぶん殴ったり、引っ叩いたりして遠ざけるのももちろん、
言葉の暴力もそこまでキツくはしなかった。完全にやらなかったわけではないが。
そう、イデアもイデアなりに頑張っていたのだ。
効果はまったくといっていいほど得られなかったが。
もしかしたら監督生氏はあの某指定暴力団のオクタの方々よりも酷く頭のネジがどこかにぶっ飛んでいっているのかもしれない。
だがそんなの拙者には関係ない、早く拾え。
ついにVDC本番、イデアは当日の現場に"生身"でいかなければいけなかったため、人混みの中を嫌々歩いていた。
そこに、どこかで待ち伏せでもしていたかのように、監督生が颯爽と現れたのだ。
「イデア先輩、1人ですか?」
なんて最悪の日なんだ。
でも、出会ってしまったからにはもう引き返せない。
彼女はどこまででも追いかけてくるだろう。
そして、ここは人混みの中なのだ。イデアは大変恐縮していた。
そのため、監督生が絡めた指も、ぴったりくっついてくるのにも、なぜか逆らえなかった。
というよりか、何もやる気になれなかった。
そんな自分にも嫌気がさして、イデアは髪の先が赤く染まるほどイライラしていた。
その時、誰かからメールがきた。一体誰だよ、こんな時に。
『ねえ、何してるの?』
という文面を一瞬だけみて、ほとんどノールックで文字を打ち、返信した。
『ごめん、今忙しい。また後にしてくれない?』と。
イデアは差出人の名前を見なかった。
どうせこんなにフランクなタメ口で連絡をしてくるのはオルトくらいしかいないと
思ったからだ。
やっと会場に着いて、僕は監督生と離れた。
「先輩、後で一緒に売店巡りしましょーね♡」
「ごめん、嫌……」
「えー!ひどーい!!」
本当に勘弁してくれ…たのむから…。
服に残った甘ったるい香水の匂いに軽い吐き気を催して、イデアはオエっとなった。
中身は出なかったけど。
無事に(無事じゃない)VDCも終わり、やっと一息ついた頃、イデアは自分宛の手紙が一通送られてきていることに気づいた。
まさか。
イデアは期待に胸を膨らませ、手早く封を切り、中身を丁寧に開いた。
そこには紛れもない、愛する婚約者、リリー自身の手で綴られた文章が並んでいた。
Dear Idia Shroud,
こんにちは、久しぶりね。
忙しかったのかしら、なかなか手紙が来ないから心配したわ。
でも、私も私の方で少し忙しかったの。
連絡してあげられなくてごめんね。
私のことは心配しなくて大丈夫。
男の子の友達もできたし、上手くやってるわ。
この間も、2人きりでお出かけに行ったの。
イデアは最近どう過ごしてる?
しばらく会えなかったから、
今度都合のつく日に一緒にご飯でもどうかしら?
週末は今のところ空いてるわ、でも、もしイデアが忙しいのなら、
その友達と予定を入れようと思ってる。
返事が来ることを期待しているわ、楽しみに待ってる。
それじゃあ、また。
Best wishes,
from Lily Taylor
男の友達?イデアは目を疑った。
今まで自分以外の男と、リリーが喋っているのを見たことなんて無かったから。
最悪だ。ふざけるな。
自分のかわいい婚約者を、リリーを、どこの馬の骨とも知れない男に取られてなどたまるものか。
拙者だけが、僕だけがあの子のことを1番愛しているのだ。
そして、いつもよりもそっけない文章に、イデアはひやりとした。
まさか本当に、その男と友達以上の関係になりかけている、
もしくはもうなっているのだとしたら許せない。
イデアは急いで返事を書いた。
Dear Lily Taylor,
久しぶりだね。
最近は、女子生徒が入学してきたり、いろいろと不祥事があったりして、
忙しくて手紙を出せなかった。ごめん。
寮長になったことは言ったよね?
だから、今までみたいに時間が取りづらくて。
僕も会って話したいことがあるから週末必ず会いに行くよ。
だからその友達とは約束しないでいい。
またすぐに会おう、さよなら。
Best wishes,
from Idia Shroud
イデアはそう短めにまとめて、すぐに手紙を送った。
手紙の文章など考えていられなかった。
ただ、早くリリーに会いたくて仕方なかった。
*
私はイデアに当てて書いた手紙をポストに出した。
次会った時。それでもう私たちの関係はおしまいだ。
どうせ捨てられるくらいなら、私から手放してしまった方がきっと辛くない。
無論、私に男友達なんていない。
イデア以外の異性と2人きりでご飯など行けたものではない。
イデアがめちゃくちゃに嫉妬深くてヤンデレっぽいことを私は知ってるから。
見られたら一巻の終わり、死ぬまで冥府の扉とくっつけられて監禁生活まっしぐらだ。
まあ、今はそんなことないだろうけど。
どうせ私なんか、イデアにとってはもう終わった女なんだ。
今は監督生というふわふわ可愛い女の子の彼氏をやってるんだから、
今更私が男と遊びに行ったとしてもどうとも思わないだろう。
それでも私が"男の友達"というのを(でたらめだけど)強調して入れたのは、
少しでも嫉妬してくれないか、なんて、ちょっとした期待だったりもする。
それから、男の"知り合い"ができたのは、一応本当のことではある。
あの日、VDCを見に行こうと思い、監督生ちゃんとイデアが手を繋いでいるのを見て、
もう家に帰ろうと思った時だった。
「うわ〜、監督生とイデア先輩、超ラブラブじゃん!」
「そういえば、付き合ってるんだったか?」
「そうそう。残念デュース、お前の入る隙間はありませんでしたー。」
「なっ!?お前もだろ、エース!」
赤い髪で、目元にハートのスートがかかれた男子生徒と、
青っぽい髪で、目元にスペードのスートがかかれた男子生徒の2人組がそう会話しているのが聞こえた。
へえ、あの子、監督生っていうの。
しかも、付き合っているのね。
私は2人に話しかけた。
「ねえ、監督生さんってどんな人なの。」
そう、率直に、ストレートに問いかけた。
自然に、怪しまれないように、そして、持ち前の笑顔を最大限に活用して。
「こんにちは、私はリリーよ。あなた達は?」
「俺はエース•トラッポラ。エースって呼んで!」
「僕はデュース•スペードだ。よろしく。」
「私、イデアとは古い仲でね。監督生さんって人と付き合ってるのは知ってるんだけど、どんな人なのかは教えてくれなくて気になるの。えっと、あなた達は監督生さんのお友達、で合ってるかしら?」
「そうそう。俺らは監督生のマブダチ。それにしても、イデア先輩にこんなに可愛い知り合いがいたとか意外なんだけど!な、デュース。」
「か、かわ…!?いや、まあ、その、確かにそうなんだが…。、」
「…あの、私のことはいいんです。監督生さんについて知りたいの。」
イデア以外の人からこんなふうに容姿についてどうこう言われるのは、たとえそれが褒め言葉であろうとちっとも嬉しくなんてなかった。
むしろ、そういう相手に対して嫌悪すら抱いている。
所詮、顔しか見ていない人間の相手などしていたところで時間の無駄なのだ。
私は若干の苛立ちをなんとか抑えつつも、あくまで、にっこりとした、無害そうな笑顔をつづけた。
「ごめんごめん。えっとー、監督生は学園唯一の女子生徒で、闇の鏡っていう生徒を選別する機械?のミスで異世界から連れて来られちゃったわけ。そんで、この世界のことが何にもわからなかった自分にいろいろと教えてくれたイデア先輩が好きになって、イデア先輩も両思いだったらしくて付き合った、って、監督生が言ってたけど。」
「そう…。教えてくれてありがとう、エース。」
「またなんかあったら聞きに来ていいよ。あ、連絡先とか交換する?」
「えっと、ごめん、スマホは持ってないの。2人ともありがとね、それじゃあ。」
そういって、わたしはその場から離れたのだ。
たったそれだけ話しただけだけれど、それでも一応"知り合い"にはなるだろうか。
私はイデア以外の男子と話せたことになぜだか達成感を覚えていた。
そして、それから私は手紙を書くまでの経緯に至ったのだ。
返事はすぐに返ってきた。
いつもよりも冷たい文章で、短く、簡単にまとめられていた。
私宛の手紙に時間を割くつもりもないのね。
乾いた笑いが、少しだけ溢れた。
*
やっとリリーと会える当日。
呼ばれたのは小洒落たレストラン。珍しく今日はランチではなくディナーだった。
はじめは普段通り、最近の生活についてや、学校の行事などの会話が弾んだ。
いや、会話が弾んだというよりかは、会話をした、だ。
いつものようにそこに笑いがあることもなく、ただ淡々と、
言葉のキャッチボールをするだけだった。
リリーの元気がいつもよりなかった。
でも、最近は忙しかったと言っていたので特に気にはしなかったけれど、心配だった。
リリーのことはなんでも知っていると、そう自負していたはずなのに、
リリーがどこか知らない場所へ、知らない人間のもとへ行ってしまうのじゃないかと、
置いて行かれるのではないかと不安だった。
僕は、あの手紙に書いていた男の友達について尋ねた。
別に何もないよ、仲良くしてるだけ、リリーはそう言うけれど、相手がどう思っているかなどわからないのだ。
男はみんな野蛮なんだから気をつけて、僕が少しキレ気味にそう言うと、リリーはうん、そうだね、と含みを持たせて言った。
あれ、やっぱり何か隠してる?
探りを入れようと口を開いたら、僕が何か言葉を発する前にリリーは言った。
「婚約破棄、しましょう。」
…は?僕は言われたことを理解できなかった。
なんで?僕が手紙を出さなかったから?でも、それは君も同じじゃないか。
やっぱり他の男ができたんだ、そうでしょ。
ねえ、ひどい。こんなに君のこと愛してるのに、僕には君しかいないのに。
僕は怒りと驚きで、何も言葉を出せなかった。
なんて言えばいいかなんてわからなかった。
僕が黙っているのをみて、リリーは席を立って部屋の出口に向かった。
いやだ、行かないで、
「まって、」
たった一言、僕の口から出た言葉は、自分が想像していたよりもずっと弱々しくて。
「どうぞ、監督生さんとお幸せにね。」
僕が引き止めるよりも先に、リリーはその場から飛び出した。
「だから、まってって、なんで、どうして。」
僕の言葉が届いたかどうかはわからない。
それでも、部屋を出て行ってしまったリリーは、もう戻ってくることはなくて。
置いて行かないで。
でも、そんなこと僕が言える資格なんてなかった。
リリーは言った。監督生、と。
きっと、僕が監督生氏にくっつかれている所をどこかで見たのか、
誰かから聞いたかしたのだろう。それも、都合の悪い場面を切り取られて。
最悪、最悪だ。
イデアは舌打ちをした。
なぜ、あんな女のせいで、僕は愛する婚約者から、別れを告げられなければならないのだろう?
ああ、それとも、監督生はただの言い訳に過ぎなくて、本当は別の男にうつつを抜かしていたのだとしたら?
どちらにしろ、ちゃんと話さなくては。
イデアは彼女の後を追った。
幸い、まだそう離れてはいず、イデアはリリーに追いついた。
外は雨が降っていた。
分厚く大きな雲は、まるで2人を包むかのように、灰色だけを残した空を覆っていた。
2人とも傘もささずに、ただそのどしゃ降りの中に立っている。
「リリー」
「やめて」
「リリー、」
「聞きたくない」
「………リリー、ごめんね。」
その声はひどい雨の音と混ざって、まるで綺麗には聞こえなかった。
それでも、彼女にはきっと、ちゃんと伝わった。
「なにが」
「不安にさせちゃったこと」
「べつに、してない」
「うそ」
「してないって」
彼女は泣いていた。はじめは雨のせいで気づかなかったが、
雨にしては綺麗すぎる雫が、やがて頬を伝って流れ落ちた時、
イデアはほんの少しだけリリーの方に歩みを進めた。
あと一歩で触れられるような距離に来て、イデアは足を止めた。
さっきよりもリリーの綺麗な顔がはっきりと見えた。
目元は赤く、髪ももうほとんど濡れきっていたが、それでもイデアの目に映る
リリーの姿は、他のどんな女性よりも輝いて、美しく見えた。
「監督生氏とは、本当に何もない。…いや、何もないって言うのは違うけど、
なんていうか、拙者は別に、あの子のことなんて好きじゃない。」
「でも、手を繋いで歩いてた。監督生さんのお友達も、2人は付き合ってるって。」
「そっか、見たんだ。」
「うん、VDCの時。」
「誤解させてごめん。あの子、拙者のことが好きなんだろうね。
いつもああやってくっついてきたり、手を繋いだりしてくるの。
僕だって本気でやめろって何回も言ったけど、それすら逆に喜ぶし、やめないし、逆に悪化する、頭のねじの緩んだ最悪な女。僕が好きなわけないだろ。
付き合ってるわけないし、監督生が勝手に嘘ついてるだけ。本当に何もないよ、ああ、なんなら今すぐここでスマホでもなんでも見てもらってかわまないし…。」
「…ごめんね、そう信じたいけど、やっぱりまだ整理が追いつかないわ。
だって、無理やりその監督生さんと離れることだってできたんじゃないの?
少し考えたいの。本当にあなたが悪くないのだとしても、
大好きな人が、違う女の子と手を繋いで歩いている姿を、私は見ちゃったから。
うまく言葉にできないけれど、こう…なんていうか、すごく辛かった。
だから、この関係は一旦終わりにしたいの。」
「…そうだよね、わかってる。」
僕は言った。
リリーの気持ちが、なんとなく汲み取れたからだ。
リリーにとってしてみれば、僕はただの婚約者を抱えた浮気者。
ならば、婚約者という存在を無くして、また何もない関係から始めたい、と。
なぜなら、僕が本当に浮気なんてしていなかったのか、いや、本当に愛していたのか、確かめるために、客観的に見れるようにする為に。
僕とリリーが婚約者でなくなれば、僕が何をしようが彼女にとっては関係がなくなる。
いわば、リリーの精神衛生上その方が楽なのだ。
それでまた、僕たちが恋に落ちれば、また初めからやりなおせばいい。
きっとそういうことだった。
「またね、イデア」
だから、僕はもう、帰ろうと後ろを向き、歩き始めた彼女のことを引き止めようとは
しなかった。
*
あの日から数週間が過ぎたが、リリーはまだあまり立ち直れないでいた。
確かに私から別れを告げたのに、どうしてか胸は苦しいまま。
やっぱり大好きだったんだな、わたしは思った。
彼ともう事実上まったくの他人になってしまうなんて、今までの私には想像もできなかったから。
それからただゆっくりと時間は流れていった。
リリーも、イデアのことを忘れようとしていた。
そんなある日のこと。
「イデア君がオーバーブロットをした」
と、母から突然電話がかかってきたのだった。
考えるよりも先に体が動いていた。
イデアの実家に続く鏡を通り抜けて、彼のことを見つけるまでに、3時間もかからなかった。
久しぶりに見た彼はベッドに横になっていて、
ずいぶんと、酷くやつれているようだっだ。
「イデア」
そう名前を呼ぶと、彼はうっすらと目を開けた。
部屋には2人きりだった。
わたしは、彼の横になるベッドの脇に立っていた。
「…リリー、?」
イデアがゆっくりと起き上がる。
これは、惚れた弱みなのだろうか。
こちらを見るそのイエローアンバーの瞳が、やけに愛おしく見えた。
一度さよならしたはずなのに、それでもわたしは彼のことが好きだった。
「ねぇ、監督生さんとは、どうしたの。」
私はそう問いた。
ああ、オーバーブロットした人間に対してかける言葉が、ただの嫉妬だなんて、最低だ。
それも、もう婚約者でも、何でもない人間からの。
私はそう思って、何か違うことを言おうとした時だった。
イデアは驚いたような顔をして、それから少しだけ真剣な声で言った。
「本当に、監督生氏とは何もないから。あれから、ちゃんと監督生に伝えたんだ。
君のことは好きじゃないし、もう関わらないで欲しい、って。」
「でも、少なからず、イデアもあの子のことが好きだったんじゃないの?」
「なんで、そう思うわけ。どうして伝わらないの?」
「だって、監督生さんと歩いてる時、イデアの髪の毛先が少しだけ赤色に染まってたから。赤に燃えるのは、照れてる時でしょう?」
「赤…?違う、赤は、照れてる時なんかじゃなくて、怒ってる時。…困るな、この髪。
思ってることが出すぎる。」
赤。
確かに、照れている時はピンク色だ。
イデアの髪が赤色に染まったところは見たことが無かった。
だから、勘違いをしていたというのだろうか。
「そうだったの…?」
「そう、だからさ。ようやっとわかってよ。僕は本当に、リリーの事しか見てないって。」
イデアはそう言って、ベッドから起き上がった。
「ねえ、まだ寝ていなくて平気なの?オーバーブロットしたって聞いて。」
「…それで、飛んできてくれたわけ。」
「………そうね、心配、だったから。」
「はぁーーーー、君ってさぁ、もう、本当に、そういうとこだよ…」
イデアは私のことを引き寄せて、抱き留めた。
久しぶりに感じる体温は甘くて、心地が良かった。
「イデア」
「なに、リリー。」
「ごめん、勝手に勘違いして、勝手に婚約も破棄して。ひとりよがりもいいとこだよね。」
「不安にさせた僕が悪いから。リリーは何も悪くないよ。」
わたしの瞳から溢れた涙を拭うように、イデアはより一層強く、私のことを抱きしめた。
「ねえ、リリー、そういえば、スマホのアカウント、消したよね?」
「あ…消しちゃった…かも…?」
「しかも、メッセージ送ってくれてたの?拙者、気づかずに返信してましたわ。
冷たかったよね、ごめんね。せっかく送ってくれたのに。」
「ううん、いいの。」
「あと…男の友達がいるって言ってたけど、どんな人なの。」
「…でたらめ。嫉妬してほしかった。」
「なにそれ。」
「………あのさ。わたし、やっぱりイデアのことが好きだなって。」
「僕も、リリーの事が好きだよ、今もずっと変わらない。」
「イデア。…また、元どおり、わたしの婚約者になってくれる?」
「……別に、元の関係に戻らなくてもいいんじゃない?」
抱きしめていた私の体を離すと、イデアはそう言った。
「どういう意味?」
わたしはひやりとした。
もう付き合えないと言われたら?
一度手放してしまった、1番大好きな人が、もう戻らなくなってしまうなんて、
そんなの辛かった。
都合の良いことだとわかっていても、それでも、またやり直させてほしい。
そんな不安を包み込むように、イデアはその大きな手を、私の頬にするりと滑らせた。
「どこにも行かないで。僕とずっと一緒にいて。____結婚しよう、リリー。」
唇に、暖かい感触が広がった。
イデアが頬から移動させた手はわたしの腰を抱き、もう片方の手で、わたしの指とその長い指を絡めた。
イデアは私を膝に乗せ、そのままベッドの上に腰掛けた。
やがて、唇を触れ合わせるだけだった軽くて優しいキスは、
貪るように、深いキスへと変わった。
息は荒くなり、頬は赤く紅潮していた。
イデアはわたしをベッドに押し倒した。
「もう、離さないから。」
イデアはまた、優しいキスをして微笑んだ。
それにつられて、わたしも笑う。
「ふふ、でも、学園にいる間はできないんだから、結局婚約者に元通りじゃないの。」
「まあ、それはそうだけどさ…。」
そう言ったイデアの頬に手を当てて、今度はわたしの方からキスをした。
驚いたイデアの髪は桃色に染まっていた。
「愛してる」
そう言った声は、もうどちらのものだかわからなかった。
2人は甘い夜に溶けた。
___________触れ合う体温が、声が、ただ愛おしかった。












編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。